闇夜に隠れる犯人を追え

第7話 事件の爪痕


 小気味よいリズムを刻んでいく包丁の音。聞くのはいつ以来だろうか。


「もうすぐできるからね、真一郎」


 妻の亜希子ははにかんで笑顔を見せると、再び調理に没頭し出す。彼女の後ろ姿こそ、真一郎にとって幸せの象徴だったのかもしれない。

 後ろで一歳にも満たない息子が泣き出した。「うるさい」と全く思えないのはやはり愛ゆえだ。


「よーしよし。竜もごはん食べたいのかー?」


 妻の代わりにあやす。普段は仕事で忙しい分、こういう時くらいはと思った。

 息子の顔を覗きこむ。強面こわもてな自分とはつゆほど似てない、可愛い顔立ち。妻似でよかったと思いつつも、成長したら自分に似るのだろうかという期待もあった。


「はい、できあがり! じゃあ家族一緒にごはん食べましょ!」


 席につき、手を合わせる。「いただきます」と。

 幸せを噛み締めようとした次の刹那。画面はブラックアウトする。


 ――ああ、また夢か。


 視界が晴れた時に広がっていたのは虚しい現実だった。シミひとつない真っ白な天井。対照的に床やテーブルにはものがとっ散らかって、汚かった。

 真一郎は上体を起こし、頭を抱える。何度見ても慣れなかった。もういない……妻と息子の夢を見るのは。

 「はあ」とため息をつくが、別の音にかき消される。誰もいないはずのこの家から自分以外の音がするのだ。

 慌てて飛び起きた真一郎はリビングへと向かう。小気味よく刻む音。それだけは現実だった。


「お前……なんでいんだよ」


 そこにいたのは相棒の警察官――白峰恋南だった。スーツの上着だけ脱いだ姿で呑気に朝飯を作っていたのだ。夢の原因は彼女らしい。


「姉さん……いえ課長からの命令でして。遅刻魔の暮海さんを連れてくるようにと」

「最近事件なんて起きてなかっただろ。魔術師ウィザードがわざわざ朝早くから出張る必要のあることか?」

「緊急の会議です。つまり、新たな幻霊獣ホロウビースト事件です」

「マジか。けど、だからって魔術でドアこじ開けて侵入してくる必要ないと思うんだがねぇ」

「『ドア叩いても出てこないから』と言われたもので。強行策を取らせていただきました。あ、もうすぐできるんで、先に身支度しといてくださいね」

「へいへい。全く……有能な相棒を持つのも困りものだぞ、っと」


 愚痴りつつ、歯磨きと洗顔をしに洗面所へと向かう。鏡に映る壮年の男の姿は仏頂面で、顎髭だけが伸びている。無論、好きで伸ばしているのだ。そこだけは今日も剃らない。

 着替えを済ませて、言われるがままに席につく。不思議と悪い気はしない。白峰姉妹――二人が自分を気遣っているのだとよく理解していたからだ。

 しばらくして朝飯が運ばれてくる。焼き鮭に白米、味噌汁に卵焼き。日本の朝食のステレオタイプを体現したかのような献立である。

 恋南はちゃっかり自分の分も作っていた。二人で同時に「いただきます」と斉唱する。


「意外でした。朝、弱いんですね」


 しばらく箸を進めていると恋南から真一郎に喋りかけた。遅刻魔だったとを知らなかったらしい。


「弱いってわけじゃない。急ぎの仕事の時は起きるさ。ただ……」

「ただ?」

「このまま夢の世界にずっといられたらどんなに幸せかって思うことが多いだけだ」


 真一郎は自分の言葉を誤魔化すようにリモコンのボタンを押す。テレビに映し出されたのは民放のニュース番組だ。


「次のトピックはこちら! アイドルグループ『X number』。メンバー九人で再始動!」


 彼は画面の中のアナウンサーに対して「間がわりぃな」と悪態をつく。箸の動きが完全に止まってしまった。

 あの事件からは二週間が経過していた。幸いなことに『九尾』がいなくなったことで、『X number』のメンバーの火傷は跡形もなく消えた。事件の痕跡は自然消滅したのだ。

 一方で唯一の死者である十和田愛理については偶発的な事故死として処分された。当事者たちの記憶を改竄かいざんしたことによって、殺人事件は抹消されたわけだ。


「これでよかったんでしょうか……犯人が捕まらないって」

「仕方ないだろ。魔法は秘匿されてなきゃいけねぇし、なにより魔法犯罪を裁く法はない。事件は形を変えて、さも解決したかのように隠蔽いんぺい。犯人はこうやって記憶を消して社会に帰すしかないんだよ」


 テレビをじっと見つめる恋南の目は不服そうであった。

 彼女たちはなにもなかったかのように、アイドルとして今日を生きている。再始動したメンバーの数は九人。画面の中には事件の犯人であった一色希もいる。

 『魔法に触れたから悪事に手を染めてしまった』。一般人が起こした魔法犯罪は例外なくそう解釈される。彼、彼女らがもともと持っていたであろう悪心を度外視するのだ。


「それで彼女が変わることはあるんでしょうか? 自分たちの罪と向き合うことは……やはりこの結末は歯痒いです」

「だな。だからこそ黒幕を早急に捕まえなきゃならない。問題の根本を解決して、一般人が魔法に触れないようにするしかないんだよ」

「……はい」


 現場の彼らにできることは黒幕を捕まえることだけ。処罰する対象はカードのブローカー――末堂という老人なのだ。ようやく捕まえた尻尾を逃すわけにはいかない。

 捜査するためにもまずは腹ごしらえである。エネルギーを補給して一日を始める。真一郎は飯をかきこんでいく。


「ご馳走さん。美味かったよ。以前は家庭的な女子高生だったのかもしれないな、お前」


 真一郎は手を合わせて、感想を漏らす。返礼として持ち合わせているものが褒め言葉しかなかったのだ。


「どうでしょう……ほら、姉さんってずぼらじゃないですか。それでこの三年の間で一通りの家事を覚えたというのもあります」

「そうか。どちらにしろいいお嫁さんになれると思うぞ」

「……茶化さないでください」


 ジト目で不満そうであるが、やや頬が紅潮している。どうやら満更でもないらしい。

 生真面目な相棒の人間らしい一面を垣間見た。それだけでも寝坊した甲斐はあったかもしれない。


「それじゃ、さっさと片して仕事に向かいますかね」


 真一郎は立ち上がり、二人分の空いた皿を流しに運んでいく。作ってもらった分、片づけは家主である自分がやるべきだという使命感があった。

 久しぶりの皿洗い。それでも彼は面倒な顔一つせずに、意気揚々とこなしていった。

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