露と答えて 参


 

 朝になった。


 空は昨夜の豪雨ごううが嘘のように、蒼くみ渡っている。


 男は、再び校倉へと戻ってきた。逃げ出してしまった自分を恥ずかしく思いながら、今度こそ鬼に自分を食わせるために戻ってきたのである。


 その校倉は、昨夜見たものとはまるで別物のように思われた。月明かりすらない闇夜の中の校倉は、それこそ鬼が出てもおかしくはないほどに不気味に感じられたのに、日の光の下で見るそれは、本当に同じ校倉なのかといぶかってしまうほどに、真新しいものであった。


 明るいということが、はげみになるのだろうか、男はおくすることなく、校倉の戸を引いた。


 鬼の姿はない。倉の中は森閑しんかんとしていた。動くものは何もない。


 ただ、そこには、脱ぎ捨てられた女の着物が一重ひとえと、小さな髑髏しゃれこうべがひとつ、転がっていた。


 男は目を見開いてくずおれると、うようにして、髑髏の許へと歩み寄った。


「──ああ、あああ──」


 床に転がった髑髏を拾い上げると、男はそれをひしと抱き締めた。灰白色の骨は、恐ろしく軽く、恐ろしく乾いていた。


 男はいとおしげに幾度いくども幾度も骨をでさすり、歯がき出しになっている口元へ、自らの唇を重ねた。まるで石に口付けているような感覚であった。しかし、男は喉の奥からしぼり出すように嗚咽おえつを漏らしながらも、それをやめようとはしなかった。


 髑髏を抱きながら、男は校倉の外に出た。かれは輝く太陽に目を細めると、涙をぬぐって項垂うなだれた。足元のくさむらの上で、無数に輝いている露が目に入る。かれは、昨夜、女が口にした言葉を思い出した。


 ──綺麗──


 ──あの、白く輝く玉は何なので御座いますか。真珠でございますか──


 ふと、昨夜のことはすべて夢だったのではないかと、男は思った。だが、腕の中にある、髑髏が、無言でそれを否定する。


 何故、私は生きているのだ。鬼も、貴方の命も、そして自らが口にした睦言も誓いも、何もかもが露のように消え失せてしまったのに、私だけは、ここにこうして、在り続けている。


 ああ、あの時「あれは露というものだよ」と微笑みかけて、そのまま私も露と同じく貴方の眼前から消え失せてしまっていれば良かったのだ。貴方の代わりに、私が消えておけば良かったのだ──。


 男は、慟哭どうこくした。涙を流しながら、小さく、歌をんだ。




 白玉か 何ぞと人の 問ひし時 つゆと答へて 消えなましものを




 男の両の眼から一滴二滴、雫が流れ出て草葉の上にはらはらと落ちた。しずくはそのまま朝露にまみれると、そのままいずこかへ流れて消えた。

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