4.


 青一色の中に浮かぶ太陽を、ミルファは見上げながら、砂の上を歩いていた。今日の風は静かで、より高い熱を服の中で感じていた。

 彼女が手綱を引くラマダンの上には、ジェーンが座っていた。体力面と砂漠に慣れていないのを鑑みると、ジェーンが今日もこの位置にいることが最も速く進めるのだと説得させた。アルベルトが、ミルファの後ろを歩いているのは変わらない。


「ミルファさん、あとどれくらいなのですか?」

「この調子だと、明日にはたどり着けるわ」

「予定通りでしょうか?」

「ええ。大丈夫よ」


 ミルファが断言すると、ジェーンは良かったと安堵の表情を浮かべた。どうやら、自分たちがミルファの足手まといになることを、ずっと気にしているようだった。

 一方、アルベルトは、終始気を張っている。ミルファを見据える顔つきも険しい。私が二人の命を握っているようなものだから、しょうがないと、ミルファは彼の態度を受け入れていた。


 ふいに、ラマダンが左右を見回した。ミルファもつられて、同じ位置を見るが、そこは何もない。


「何かいたの?」


 ミルファがその首筋に触れた時、ラマダンの筋肉が、硬くなっているのが感じられた。

 直後、後ろで付いてきていたアルベルトが、ぴたりと足を止める。


「近付いている」


 鋭いアルベルトの声に、ミルファはラマダンの歩みを止めさせた。緊迫した様子で息を呑んだジェーンと、後ろを振り返る。

 アルベルトが、「しっ」と言ったので、ジェーンは口をつぐんだ。ミルファは、その言葉の意味が一瞬分からなかったが、ジェーンの行為に従う。


 直後、微かな足音が、ミルファの耳にも入ってきた。それも、複数体だ。

 はっと、ミルファは周囲を見回した。彼女たちを囲む砂山の向こうから、男たちが現れる。


 彼らは、体格も年齢も異なっていたが、全員が曲刀を差している。五人が地面に立ち、一人は駱駝に乗っていた。

 盗賊だと、ミルファは瞬時に気付く。警備隊の服装ではなく、彼らが、獲物を品定めする肉食獣の目つきをしていたからだった。


 進路を一頭の駱駝と二人の男に塞がれたラマダンは、興奮し始めていた。今は、船の櫂を漕ぐ人のように、上半身を前後させているだけだが、この状況が続くと背中のジェーンを振り落とすほど暴れ出しそうだ。ミルファは、彼の気を静めようと、必死に首を撫でて、「大丈夫だから」と小声で繰り返した。

 ジェーンの方は、ラマダンの上で、緊張した表情をしている。何か、母国語で小さく呟いたが、「危ない」「怖い」という意味だろうとミルファは解釈した。


「あいつが、オアシスの場所を知っているのか」

「ええ。そうです」


 ミルファたちの正面に立つ、最も長い顎髭をした、盗賊の頭と思しき男が、隣の青年にそう確かめていた。その黄色いターバンの青年のことを、ミルファは見たことがあった。

 ラマダンを売ってくれた駱駝売りの商人たちの一人、親方からはダジェッツと呼ばれていた男だった。商人の一団は、彼の潜入先だったらしい。


 これはまずいことになったと、ミルファは渋面で黄色いターバンの青年を睨む。ラマダンの性質を知られている状況から、上手く逃げ切れるだろうか。

 その時、ミルファとジェーンを乗せたラマダン、盗賊たちの間に割り入るように、アルベルトが立ち塞がった。すらりと、腰の剣を抜き、白銀の身を中段で構える。


 一瞬、時が止まったかのような静寂が、砂漠を支配した。


「やれ」


 頭からの命令は、簡潔で、容赦が無かった。

 最初に砂を蹴って走り出したのは、前方の左側にいた、緑のターバンの男だった。曲刀を抜き、自分の間合いでそれを振り上げる。


 ヒュンと、風が斬る音がした時、ミルファは思わず目を閉じてしまった。しかし、男の刀はアルベルトには当たらず、砂の上を無意味な切断をしているだけだった。

 狙いはしっかりしていたはずなのにと、不可解そうな顔をする男の刀の峰に、アルベルトは剣を叩きつけた。重たい一撃によって、刀はパキリと折れる。


 目を向いた男の右肩を、アルベルトは突き刺した。そのまま、男を押し倒す。

 砂埃が舞い上がる中、真ん中の黄色いターバンの男と前方右側の槍を持った男が、弾かれたように飛び出した。


 男が突き刺してきた槍は、アルベルトの左こめかみを掠めた。一歩も動かないアルベルトの右側から、黄色いターバンの男が、斬りかかってくる。

 しかし、その刃はアルベルトには当たらず、勢い余って、槍の柄の部分を斬り落としてしまった。


「おい!」

「わ、わりい」


 槍の男が叱責し、黄色いターバンの男が謝っているのをよそ目に、アルベルトは槍の男の腹部を蹴った。足は胃に直撃して、槍の男が吐瀉物を地面にぶちまける。

 奥歯を噛みながら、黄色いターバンの男が、曲刀を振るった。アルベルトは、半回転しながら、腰を前に曲げて、それを躱す。


 回転の勢いをそのままに、アルベルトは剣でターバンの男の腕を斬りつけた。傷は浅かったが、痛みのあまり、曲刀を取り落とした。

 その曲刀を、アルベルトは踏みつけて、真っ二つに折る。槍の男はまだ、腹を押さえて蹲り、黄色いターバンの男は、手の傷を庇いながらアルベルトを睨むことしか出来なかった。


 緊迫状態の中、必死に、ラマダンが暴れ出さないように抑えているミルファの頭上を、一本の矢が通り過ぎて行った。砂の山に刺さった矢を見て、ミルファから、冷たい汗が吹き出す。

 振り返ると、彼女の右手側に立つ男が、弓を構えていた。二本目の矢は、ミルファの背中を掠める。


「ミルファさん、大丈夫です」


 青白い顔をしているミルファを、揺れるラマダンの上からジェーンが声を掛けてきた。ミルファははっと、ジェーンを見上げる。自身の首筋を矢が飛んで行っても、ジェーンの眼差しはしっかりとしていて、恐怖の欠片も無かった。

 なぜかわからないが、ジェーンがそう言い切るのなら、何とかなるのかもしれない。そんな考えが浮かんだミルファの真横を、アルベルトが走り抜け、弓矢の男へと向かう。


 自分に放たれた矢を全て紙一重で躱し、アルベルトは弓矢の男に肉薄した。頭上に高く掲げられた剣を、男は弓で受け止めてしまった。途端に、弓は真っ二つに折れる。

 青褪めた男は、何も持っていないと示すために、両手を開いて、アルベルトに見せた。しかし、アルベルトはそれ以上に彼には構わず、反対側にいた紫の貫頭衣の男を見る。


 紫の貫頭衣の男は、すでに曲刀を抜き、ミルファたちの元へと走り出していた。アルベルトは、腰を抜かした弓矢の男をよそに、彼を追随する。

 しかし、紫の貫頭衣の男の方が、先にラマダンの後ろに迫っていた。ミルファは、その間、ずっとラマダンの首をさすりながら、小声で窘めていた。ラマダンは、ずっと苛ついたように足踏みを繰り返している。


「今よ!」


 ミルファが叫んだ途端、曲刀を振りかざした男を、ラマダンは両足で思い切り蹴り上げた。抑圧されていた暴走衝動が乗ったラマダンの両足は、男の胸に当たり、天高く舞い上がった。

 砂漠の上に仰向けになった男は、苦しそうに蹴られた部分を抑えている。駱駝の本気の蹴りを受けたのだ、肋骨が折れているだろうとミルファは少々同情して見ていた。


 ずっと砂山の上で、手下たちの奮闘を眺めていた頭は、色を失っていた。次に、手下たちへの失望とアルベルトとラマダンに対する怒りで、顔が真っ赤に染まった。

 ミルファは、そんな彼を、そして、彼の乗った駱駝を見つめていた。


「あなたは、このままでいいの?」


 ミルファの鋭い問いは、鞭を高く掲げた頭の手をぴたりと止めた。駱駝も、足を踏み出すのを躊躇している。

 頭は、自分に話しかけられたのかと、一瞬錯覚した。しかし、ミルファの目は駱駝を、正確にその胴体に深く刻まれた鞭の跡を捉えていた。


「このままだと、その男にいつまでも酷使され続ける。年老いたり、怪我をしたら、あっさり捨てられるだけ。逃げるなら、今じゃないの!?」

「何を言っているんだ、お前は?」


 頭は、訝しげな顔をする。だが、その言葉を聞いた駱駝の死んだような目に、光が宿った。

 駱駝は、突然後ろ脚で立ち上がった。驚愕の表情を浮かべたまま、頭は駱駝から振り落とされる。砂の上を転がる頭を飛び越えて、駱駝は左方向へと走り出す。


「クソッ、待て!」


 慌てて頭が駱駝を追いかけるが、とても追いつけそうにない。手下たちも、怪我をしたものは担がれながら、頭の後を追った。

 砂山の向こうに盗賊たちが姿を消す前に、ミルファの合図で、ラマダンとアルベルトは走り出した。聖地への道順から外れるが、盗賊たちとは反対方向へと逃げていった。






   ⦿






 ミルファたちが人心地着いたのは、日が沈み出してからだった。天幕を張ったが、火を熾すのは盗賊たちを警戒して、自粛した。寒さを凌ぐために服を重ね着し、食事は質素なものになったが、月の灯りだけでも十分に周りを見回せた。

 周囲を巡回するアルベルトの元に、ミルファは近付き、彼に頭を下げた。


「昼間はありがとう。あなたのお陰で、助かったわ」

「いえ……、当然のことです」


 アルベルトは、ミルファから目を逸らした。恥ずかしがり、謙遜しているのではなく、心の底からそう思っているようだった。

 その為、ミルファは自分が思っていることを正直に話した。


「あなたはとても勇敢ね。尊敬するわ」

「……俺は、勇敢ではありません」


 しかし、ミルファの賛辞をアルベルトは受け取らず、下を向いて、そう断言した。

 きょとんとするミルファをよそに、「では」と一言だけ残して、アルベルトは巡回に戻った。


 ミルファは、天幕の所へ戻った。そこでは、ジェーンがラマダンの首の毛を櫛で梳かしていた。

 ラマダンを挟んで、ジェーンの反対側にミルファは立った。そして、ラマダンの耳の後ろを掻きながら、ジェーンに話しかけた。


「アルベルトに悪いことを言ってしまったみたい」

「何があったんですか?」


 ミルファは、ジェーンにアルベルトとのやり取りを伝えた。すると、ジェーンの瞳が、太陽に雲がかかったかのように、突然翳った。


「ミルファさんは悪くありません。ただ、アルベルトは、旅の中で起きた出来事によって、とても神経質になっているのです……」

「そう……」


 彼に何があったのかまでは、ミルファは尋ねなかった。その出来事は、ジェーンの心にも深い傷となっていることに気付いたからだった。

 しばらく、二人は気まずそうに黙り込んでいたが、今度はジェーンが話しかけてきた。


「あの盗賊たち、一体、ミルファさんの何を狙っていたのでしょうか?」

「きっと、砂漠渡り達の間に伝わる聖地、幻のオアシスを知りたいと思ったからでしょうね。私を脅して、案内させるつもりだと思うわ」

「オアシスをですか?」


 トッソト砂漠の外部から来たジェーンには、オアシスの重大さがよく分からない様子で、首を捻っていた。


「オアシスは、砂漠にとっての金脈よ。そこを中心に、人が集まり、町ができる。億万長者になりたかったら、オアシスを探すのが一番手っ取り早いの」

「だから、盗賊たちも必死だったんですね」

「ええ。でも、オアシスはもう全て発見されていて、その上、新しいのは出来ないだろうと学者たちは言っているくらいね。だから、『幻のオアシス』と訊いて、いてもたってもいられなかったでしょう」


 そこまで訊いて、ジェーンは、「もしかしてですが……」と窺うようにミルファに尋ねた。


「ミルファさんが今向かっているのは、そのオアシスですか?」

「ええ。そうよ」


 あっさりとミルファが認めたので、むしろジェーンの方が戸惑ってしまった。


「部外者である私たちが、同行してもいいのでしょうか?」

「大丈夫よ」


 ミルファは、ジェーンから譲られた金の腕輪をなぞりながら、笑い掛けた。


「あなたは、この腕輪に誓ってくれたんですもの。信用するわ。私達のために、命を懸けてくれたアルベルトも同じよ」

「ありがとうございます」


 ジェーンは頬を染めながら、頭を下げた。そして、ミルファに櫛を渡しながら、別のことを尋ねた。


「そのオアシスは、どんなところですか?」

「実は、私は行ったことがないの」

「え、そうなんですか」


 これまで、迷わず聖地へと歩を進めていたミルファの言葉に、ジェーンは驚いて目を瞬かせた。


「私のおじいちゃんの代で、町に安住してから、聖地には行かなくなってしまったのよね。でも、言い伝えと方向は伝わっているから、それをもとに歩き続けているの」

「へえ……。聖地ってどんなところでしょうか?」

「それも伝わっていないわ……。でも、きっと素晴らしい所でしょうね」


 ミルファが微笑むと、ジェーンは真剣な顔で、力強く頷いた。






   ⦿






 夜が深くなり、天幕の中で仰向けになっても、ミルファは中々寝付けなかった。

 目を閉じると、頭の中に蘇るのは、盗賊たちが襲ってきた瞬間だった。アルベルトに向かって降ろされた刃先や、自分達を掠めた矢を思い出す。


 ミルファは、寝転んだまま、天幕の出入り口から覗く月を見上げていた。そして、貫頭衣から首飾りを取り出し、そこに付いた薄い水晶を楕円型の月に翳した。

 月の光が水晶に集まり、ミルファの腹部に、もう一つの月のように楕円型の光が落ちる。


「もしも、あの二人に会わなかったら、私は殺されていたのかな?」


 盗賊に脅されようとも、聖地の場所を教えるつもりはなかった。そうなると、自分の命が奪われていただろう。


「きっと、おじいちゃんの導きのお陰で、あの二人に会えたのね」


 そう呟くと、それが真実のようにすっと心に入っていった。

 ミルファは、水晶を持ったまま、その手を胸に当てて、穏やかな気持ちのまま眠りに付くことが出来た。







































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