砂漠渡りと長月

夢月七海

1.


 西の大陸を三分の一ほど占めるトッソト砂漠。そのほぼ真ん中に位置する最大のオアシスに作られた街・スカヒシアも朝を迎えていた。

 黒くて小さな火山石交じりの地面や、岩をそのまま削り出した灰色の四角い家々にも、等しく日光が投げられる。夜を支配していた冷気は去り始め、空は眩く白々と輝く。


 そんな町の一角に、駱駝らくだを売り買いする商家があった。今朝も、そこで働く商人たちが総出で、市に売り出す駱駝を移動させている。

 しかし、熟練の彼らが珍しく、一頭の駱駝に振り回されていた。普段は大人しいその雄駱駝は、商人が囲む円の真ん中で、左右へ行ったり来たりをし、時々興奮した様子で立ち上がる。


「一体どうしたんだ、ラマダンのやつは」

「親方、今日、売りに出すのは辞めた方が……」

「そうしたいが、あそこまで暴れられると、小屋にも戻せるかどうか……」


 商人の輪から、数歩離れた位置で、親方と二番手の男が、渋い顔で話していた。

 初めての焦れに戸惑う親方の目の前で、駱駝は鼻息荒く、ぐるぐると商人が掴んだ手綱ごと回る。


「ああするのは逆効果よ」


 背後からそんな声が聞こえて、親方と二番手は振り返った。

 そこに立っていたのは、一人の少女だった。小柄だが、大荷物を持ったり背負ったりしている。薄い青の瞳は、親方達ではなく、例の駱駝の方を見つめていた。


 親方は、少女の艶やかな黒髪を巻く、スカーフの縁取る水の流れを表したような模様を見て、はっと息を呑んだ。

 怪しむ二番手の男を制して、親方は少女の方に向かって口を開いた。


「どうすればいいんだ?」

「あの子は、進行方向を人に塞がれると、急に怖くなっちゃうの。前を開けてあげてね」


 まさかという顔を浮かべる二番手の男に対して、親方は神妙な顔で大きく頷いた。彼の判断は早く、すぐに駱駝を囲む商人たちに、少女の忠告通りの指示を出す。

 すると、駱駝はだんだんと大人しくなり、その内ぴたりと足を止めた。商人たちは信じられないという目線を交わし合っている。


 そんな彼らの合間を縫って、少女は落ち着いた駱駝のそばまで近づき、その首元を撫でる。「よしよし」という言葉にほっとしたように、駱駝は目を細めていた。

 少女の真後ろまで、親方と二番手の男は歩み寄った。人の気配に振り返った少女は、乏しかった表情に、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。


「いい子ね」

「ああ。人に囲まれなければ、暴れることはしない、大人しい奴なんだ」


 親方の皮肉めいた言い方に、少女も「ふふっ」と笑い返す。

 そして、親方と向き合い、改めて宣言した。


「この子を買うわ」

「まいどあり」


 周囲でざわめきが再び広がったが、親方は涼しい顔をしている。二番手の男も、懐からさっと購入証明書である羊皮紙とペンを取り出した。

 少女は羊皮紙の説明を黙読し、氏名欄に「ミルファ・マウメッド」と記入した。親方は、駱駝に気性難のあることが判明したため、事前に決めていたものよりも安い値段を提示し、少女は一気にそれを支払った。


「この子の名前は?」

「ラマダンと言うんだ」

「そう。ラマダン、これからよろしくね」


 ミルファという少女に頭を撫でられて、駱駝のラマダンは、嬉しそうに彼女に頬ずりをした。元々人懐っこい駱駝ではあったが、初対面の相手に心を許すのは珍しく、商人たちも面食らっていた。

 親方に命じられて、ぽかんとしていた商人たちは、ミルファの大量の荷物を、ラマダンに乗せる手伝いをした。最後に、ラマダンに付けられた鞍に、ミルファは跨り、手綱を握った。


「これから出発かい?」

「ええ」

「そうか。ミルファ、君の旅路に、幸運を」

「ありがとう。あなたたちも、良い一日を」


 親方とそんなやり取りを交わしたミルファは、そのままラマダンの足を進めた。ゆったりと、ラマダンは町の出入り口へと進んでいく。

 二番手の男は、親方の隣で、そんな彼女の様子を心配そうに眺めていた。


「大丈夫でしょうか? どうやら、一人で旅立つようなのですが、世界最大の砂漠は、そんなに甘い所ではありませんよ」

「心配いらないさ。彼女は、砂漠渡りの一族だからな」

「砂漠渡りの一族?」


 親方のすぐ後ろに立っていた、黄色いターバンの青年が、そう尋ね返した。

 彼の方を振り返った親方は、ああと頷く。


「駱駝と心を通わし、絶対に狂わない方向感覚で、砂漠の中のオアシスを見つけたり、道を開拓していった一族のことだ。殆どのオアシスが発見され、安全な道が確立された現在では、その一族は街中に定住していったようだったが、久しぶりに会ったよ」

「なんで、彼女がその一族だと分かったんですか?」

「スカーフの模様が、砂漠渡りだということを証明するものだったからな」

「へえ……」


 納得した青年に対して、親方はふと、青さが濃くなっている空を見上げた。


「そう言えば、今は長月だったな?」

「ええ。それがどうかしましたか?」

「砂漠渡りは、長月の季節に、彼らだけで砂漠を渡ることがあるらしい。噂だが、彼らしか知らないオアシスに向かっていると、聞いたことがある」

「オアシス……」


 青年の瞳が、一瞬鋭く光ったが、親方はそれには気付かず、まだ遠くなるミルファとラマダンの姿を眺めている商人たちを見回し、𠮟責した。


「ほら、お前ら、いつまで呆けてるんだ。仕事はまだ途中だぞ」

「あ、はい」

「すみません」


 我に返った商人たちが、わらわらと自分の仕事へと帰っていく間、青年だけが、まだミルファを見つめている。


「おい、ダジェッツ、お前も動かんか」

「あ、分かりました」


 親方と二番手の男に睨まれて、青年も渋々その場を離れる。しかし、後ろ髪が引かれるように、ミルファに視線を向けていた。

 自身の歩調でゆったり進むラマダンは、砂の上に足跡を刻んでいく。その二つの瘤の間に腰掛けるミルファは、視線を真っ直ぐにしたまま、じっと揺られていた。












































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