エピローグ 会いに
寝る間も惜しんで、食事の回数も一日一回に減らした。
バイトも、しばらく休ませてもらった。
一日のほとんどをパソコンの前で、文字を埋めるために時間を費やした。
不思議と苦ではなかった。
どれだけ文字を重ねても、辛いとは思わなかった。
楽しかった。
空白の中で、ゆかが紡がれていく気がしたから。
ゆかと、画面の向こう側で、キーボードを通して触れ合っていたから。
ゆかに会いたい。
触れたい。
謝りたい。
その思いが際限なく溢れてきて、その想いを余すことなく空白に連ねる。
もちろん、ゆかに教えてもらったことは忘れない。
小手先のテクニックと言われればそれまでだが、やらないよりはマシだった。
日付の感覚も体内から消えて。
空腹にも慣れた。
凝り固まった体を動かして、見直し作業に入る。
もう、俺の頭の中には、ゆかの笑顔しかなかった。
断続して鳴っていたスマホも、今では微動だにしない。
食費とか、税金とか、保険料とか、もはやどうでもよかった。
ゆか。
俺、書けたよ。
また、小説、書けたよ。
予感が、あった。
あの時と、おなじ——。
「あ……れ」
瞼が、垂れ下がっていく。
体の力が、抜けていく。
一瞬だけ、緩められた緊張を狙って、疲労が襲いかかってくる。
「ゆ……か」
朧げになっていく意識の中で。
ゆかが、微笑んだ気がした。
*
「……満足そうに眠っちゃってさ」
キーボードの上で眠る奏音。
しばらく見ていなかった、幸福そうな顔。
こいつをこんな風に笑顔にさせられる人間を、私は一人しか知らない。
「本当、嫌になっちゃうよ」
パソコンに映し出された文字列。
見なくてもわかる。それは、奏音があの子に向けて書いたラブレターなんだって。
結局、私はあの子に敵わなかった。
私じゃ、あの子の代わりにはなれなかった。
悲哀の隙間につけ込んで、今度こそ私だけを見てもらおうと近づいたものの。
最後まで、心は私に向かなかった。
私を介して、どっかの誰かを見てるだけ。
私のことなんて、見ていなかった。
「本当に……嫌になる」
もし、この小説を。
書き上げた小説を、消してしまえば。
彼の心の中に居座るあの子も、消えてくれるだろうか。
マウスを動かして、ホーム画面にぽつんと残された書類データのメニューを開く。
このまま、ゴミ箱に捨てれば。削除すれば。
彼は、私のところに戻ってきてくれるだろうか。
万が一。
ほんの少しの可能性があるのなら。
私は——
「やーめた」
つくづく、思う。
惨めな女だって。
「頑張りなよ。私はもう、助けてあげられないから」
もう、助けてあげないんだから。
助けて……あげないんだから。
「じゃあね。本当に、さようなら。楽しかったよ。大好きだよ、奏音」
死んだように眠る奏音の唇にキスをして、私は部屋を出た。
合鍵は、もう要らないかな。
でも……もう少しだけ、持っててもいいよね。
「うぐ……っ、ぅ……ぁ」
我慢してた声が、漏れる。
まだ、泣いちゃだめ。
せめて、家に帰ってから——
「うぅぅぁぁぁぁぁぁぁぁっ———」
廊下で崩れ落ちて、硬いコンクリートに向かって叫ぶ。
我慢できなかった。
もう、限界だった。
泣いて、泣いて、泣いて。
どれくらい泣いたのかわからないけど。
このままじゃ、いけないから。
「もう……後悔しても、知らないんだから……っ」
涙を拭って立ち上がった私は、マンションを去る。
振り返らない。
私もまた、歩き出すから。
「じゃあね」
大好きだったよ。
*
小説は書き上げた。
長いこと時間はかかってしまったけれど。
間違いなく、最高傑作。
「——って、書き上げた物ぜんぶ最高傑作って呼んでるな」
一人、パソコンの前で自嘲気味に笑う。
反応してくれる人は、もう、誰もいなかった。
あらすじを確認し、タイトルを吟味して、いや、でもこれでいいのかな、なんて直前になって不安になる。
だって、タイトル……結構ひどいぜ?
なんか、恥ずかしいし。
ほぼほぼ俺のことだし。実体験だし。
まあ、そんなこと言ったら、この小説の内容なんてほとんど、俺と彼女の恋愛話なんだけど。
「やべえ……めっちゃ恥ずかしくなってきた。ホントにこれ投稿してもいいヤツか?」
この小説を、あの二人が読むかもしれないと考えるだけで照れが押し寄せてくる。
「……まあ、いいか。せっかく書いたんだし……」
あの子が俺へ向けて書いてくれた小説の、アンサーとして。
これを出さなければ、俺は出発できないと思うから。
本当の意味で歩き始めるのは、ここからだから。
目標は遠い。
なんせ、累計ランキング一位だぜ?
二位を除いて上位を固める神作家だぜ?
しかも、あの小説が書籍化も決まって予約殺到だってさ。
全然、追いつけそうにない。
けど、
「今度は、俺がその座を引き摺り下ろしてやる」
あの子には悪いけど。
いや、むしろ喜んでくれるか?
それとも頬を膨らませて怒ってくるかな?
どちらにしろ、とてつもなく可愛いのは確かだ。
「じゃ、投稿するぜ」
あの時とは違って、今は一人だ。
けど、確かに、俺は二人の体温を感じていた。
俺は一人じゃない、なんて月並みな言い方だけど。
それでも、一人ではここまで来られなかったから。
「もう折れない。諦めない。喰らいつく」
俺の絶望は、余さず彼女が喰い尽くしてくれたから。
だから、俺は何度転んでも、最後には立ち上がってみせる。
だから——今度は、
「俺から会いにいくから」
そして、この想いを伝えるんだ。
『底辺WEB作家もどき(ニート)の俺は、神作家のキミに愛を伝えたい。』
その第一部の投稿を、はじめた。
底辺WEB作家もどき(ニート)の俺は、神作家のキミに愛を伝えたい。 肩メロン社長 @shionsion1226
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