第17話 憧憬
『お久しぶりです。ゆかです。まだ、おぼえていてくれてますか?
突然の手紙、失礼します。驚きましたか?
ごめんなさい。でも、どうしても伝えたいことがあったから、この手紙を書きました。
ゆかが事故に遭ってから、小説の更新はあまり出きていません。未だ累計ランキングは二位をキープしていますが、一位との差はもう、埋めるには遠すぎます。
それに加えて、右腕が思うように動かないから、執筆するにしてもだいぶ時間がかかってしまいます。3000文字を書くのに、半日。調子が良くても、四時間はかかってしまいます。
小説家として、致命的なのかもしれません。更新頻度は、とても大事なものですから。
キーボードを打つたびに痛みが出て、うまく打てなくて、ここ最近は泣いてばかりです。
けど、ゆかはまた、累計ランキング一位を取り戻そうと思います。
自分のためにも。
こんな程度の怪我で、諦めたくはありません。
なので、心の隅でもいいので、ゆかを応援してください。
あなたの応援があれば、ゆかはまたがんばれるから。
カノンさんは、もう本当に書いていないのですか?
ゆかは、カノンさんの小説が大好きです。本当に、心から大好きなのです。
どうしたら、もう一度、カノンさんの生み出す言葉や世界を見られるのか。
考えて、でもわからなくて。
もうカノンさんとは会えないのに、忘れてしまった方が楽なのに、今でもあなたのことが頭から離れません。
カノンさんの泣き顔が、忘れられません。
どうすればいいのか、わかりません。
けど、ゆかは小説家ですから。
言葉で伝えるより、文字で伝える方が得意だから。
ゆかには、それしかできないと思ったので、小説を書きました。
ゆかを、玖楽蓮を応援してくれるファンにではなく。
ゆかが愛したあなたのためだけに、小説を書きました。
もうゆかに会ってくださらないのなら。
せめて、その小説をあなたに読んでほしい。
それだけで、ゆかは満足です。
あなたの心の中に、何かを残せれば、それで。
長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。
どうかお元気で。
さようなら』
*
久しぶりにスマホで『小説王』のサイトを開いた俺は、累計ランキングをみた。
一位には、八幡いちかの名が堂々と映し出されていた。
二位との差は、十万以上。
この三ヶ月で、すごい伸びようだった。
「………」
軋む胸をおさえて、震える指で
作品欄には、新着の小説があった。
昨夜、投稿されたばかりの小説『あなたの絶望は私が喰らうから』。
「……この文字数……あの腕で……っ」
小説の詳細ページには、第三十部という文字と、十万文字を越える数字。
一話を書き上げるのに、半日かかると手紙には記されていた。
痛みが伴うとも。
それなのに、あいつは。
俺のために、十万以上の文字を、書いたのか。
読むのが、怖かった。
けど、想像を絶する痛みに堪えて書いたゆかの小説を、ここで読まなかったら、俺は——
唇を噛み締めて、俺は第一部に飛んだ。
震える体。
ただ、小説を読むだけなのに。
「……っ」
生唾を飲み込み、俺は、体を震わせながら文字を追った。
*
その小説を読み終わった時、俺の胸にぽっかりと穴が空いたような感覚に落とされた。
もう、目の前の文字が見えなかった。
ぼやけて、歪む視界。
一人の少年が、数々の悲劇に襲われ、それでも尚立ち上がる。運命と絶望に抗って、立てない傷を追って、それでもそばで少女が笑ってくれるから、立ち上がる。
次は君が幸せになる番だよ。ボロボロになった少年を、少女や周囲の人々が英雄として讃える——
そんな。
そんな、ありふれたストーリーなのに。
どうして、涙が止まらない?
愛が溢れていた。言葉と描写の随所に、ゆかの想いと覚悟があった。
これからも書き続ける。他の誰でもない、あなたのために綴ると。
ああ、悔しいな。
嬉しいな。愛おしい。
俺も——
「こんな小説を……書きたい」
いつだって、そうだった。
忘れていた。
この感情を。
なんのために書いてるのか。
ただの自己満足かと言われれば、そうなのかもしれない。
自分より優れたストーリー。キャラクター。言葉。描写。
それらを見て、感じて、俺もいつかこんな風に書いてやるとパソコンの前に座った。
自分より上手く、おもしろい作品を書ける人なんて山ほどいる。
もしかしたら、俺の作品になんの需要もないのかもしれない。
けど、けれど。
書かずには、いられなかった。
この十一年。
俺は、手を伸ばして追い続けていた。
いつか憧れたその背中の、さらに向こう側に立つことを夢見て。
どうしても伝えたいことがあったから。
俺は、あなたたちの作品に救われたのだと——憧憬の彼方に伝えたかったから。
「どうして……忘れてたんだろうな」
小説家になるのなんて、ただの通過点でしかない。
それが伝えられるのなら、俺は小説家にならなくていい。
手段にしか過ぎないから。
俺は、俺を陰鬱な世界から救ってくれたみんなに、ありがとうを伝えたかったんだ。
「ゆか……ありがとう」
受け取ったよ。
ゆかの愛も、想いも、覚悟も何もかも。
だから、もう一度、歩いてみようと思う。
俺をこんなにも愛してくれているきみに、応えるために。
あの笑顔を、もう一度見たいから。
俺は、また書くから。
俺の小説が好きだと言ってくれたきみのために。
そして、迎えに行く。
俺が俺に満足できるようになったら。
きみと並び立てる男になったら、俺はきみにまた、出逢いに行くから。
何をするべきか、考えるまでもかった。
奈々との約束を断って、引っ張り出したパソコンと向き合う。
空白と向き合う。
俺の中にある想いを、余すことなくぶつけるために。
文体がどうとか、台詞がどうとか、そんなのはもう、どうでもよかった。
あとで書き直せばいい。
今はただ、このあふれる想いを伝えたかった。
『——ラノベ作家の頂点、ですか。いいですね、その夢。ぜひ、ゆかに応援させてください。運命のお方』
夜中の並木道。変な迷信を信じて、三十日も俺を待ち続けていた少女。
俺は彼女と出会って、目標とする背中を意識した。
『何度も、何度も。幸せになりたい生き物だから、忘れていくのです。この気持ちを、大好きなお方と何度も味わえるように』
彼女と過ごした束の間の休息。
彼女の一挙手一投足が、輝かしい笑顔が、かわいらしい反応が、俺の書くキャラクターに落とし込まれていった。
『ゆかは仰いましたよ。ご自分と、我が子でもある作品に自信を持ってください、と』
ゆかだけは、俺を信じてくれていた。
俺なら絶対にやれると。誰よりも、俺のことを信じて支えてくれていた。
だから、俺は諦めず書き続けることができた。
『けど、ゆかはまた、累計ランキング一位を取り戻そうと思います。
自分のためにも。
こんな程度の怪我で、諦めたくはありません』
何度倒れても、辛くても、苦しくても、立ち上がって戦う姿勢を、覚悟をゆかが教えてくれた。
なんのために書くのかを、思い出させてくれた。
『いつまでもお待ちしております。ゆかはもう、カノンさんのものですから』
夜風の涼しい並木道を、子どものように無邪気な笑顔を浮かべて、俺に笑いかけるゆか。
俺のことが好きだと、まっすぐに伝えてくれたゆか。
握った手の感触。
触れ合った肌。
交わした言葉の数々が、俺には掛け替えのない宝物だった。
「ゆか」
ゆか。
ごめん。
ありがとう。
俺、どうしようもなくゆかのことが、好きだ。
「ゆか……っ」
瞼に焼き付いて離れない彼女の微笑を。
もう一度、俺に———
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