第6話 お誘い

「――ふふ。奈々さん、お拗ねになってしまいましたわね。少々、悪いことをしてしまいました」



奈々を交えた夕食を終え、二十二時をまわった頃。

俺とゆかは並んで夜道を歩いていた。

ゆかに逆ナンされた並木道を、涼しい夜風に押されながら歩く。


ここ最近、夜の散歩という日課に、ゆかの送迎が加わっていた。

 


「まあ、あいつを送ってやるなんてこと、今までしたことなかったしな」


「では……ゆかは特別、ということですか?」



車道側を歩く俺を見上げて、蕩けるような目つきで言った。



「カノンさんの、特別になれたのでしょうか?」


「それは……」



特別とは、つまりそういう関係になりたいと、俺が思っているのかどうかを聞きたいのだろう。


俺は、戸惑う。

ゆかはめちゃくちゃかわいい。こんなに可愛らしくて、明るくて、こうも真っ直ぐに好意を寄せられた経験などない。


お嬢様の気品を併せ持ちながら、男の俺をエスコートしようとするところとか。

正直言って、ここまでされて好きにならない方がどうかしている。

 

開き直ろう。


俺はもう、既に、彼女に惹かれていた。


けど、俺は首を振る。



「俺は、恋愛にうつつを抜かせる余裕なんて、ないんだ」



もう二十五歳だ。


結婚していてもおかしくない年齢で、俺の周りでニートやってる人間なんていない。

そして何よりも、恋愛を初めてしまうと、小説を書く時間が減ってしまう。


もし。

もし、ゆかと付き合うのだとしたら。


次の新作が、ランキングにも載らず大惨敗したときか、あるいは俺が小説家としてゆかに並び立ったとき。


 

「でも、感謝はしてる。ゆかのおかげで俺、いまがとてもたのしい。ちょっと前までは考えられなかった。これからも、友達としてよろしく頼むよ」


「……そうですか。ええ、カノンさん。ゆかはいつまでもお待ちしております。いつまでも。カノンさんの夢がお叶いになるその日まで」



 笑って、ゆかは耳元の茶髪をくるくると指でまわした。







「奏音。アンタ、正直なところあの子のこと、どう思ってるの? 満更でもない感じ?」



ゆかを送って、三十分ほどかけて家に戻ってきた俺へと、奈々が開口一番にそう言った。

わずかに漂うタバコの匂い。

禁煙したと言っていたはずなのに、また吸い始めたようだった。



「俺はニートの底辺作家もどきで、相手はお嬢様だぞ。さっきも家に送り届けてきたけど、めちゃくちゃ大きかったし」


「釣り合わないって、言いたいワケ?」


「そりゃそうだろ。今は熱に浮かされてるだけで、もうしばらくしたら夢は冷めるさ。こんな男に魅力なんてないって、すぐに気付く」



言って、胸が痛くなってきた。

ゆかが俺を見限って、他の男の元へ行ってしまう。

そう考えただけで、眠気も覚める。


何缶目になるのか、再びビールを開けた奈々がソファにどっと腰掛けた。

 


「女の子の恋って、長引くよー? 一日二日じゃ大抵は終わらないって。しかも初恋らしいじゃん。映画で見たけどさ、子どもの頃の初恋を引きずって、大人になってもまともな恋愛ができないとか、あったじゃん? 


 ――ああ、でもそれって、主人公男だったっけ。女の子の方はあっさりと結婚しちゃったけど」



つまり、男女ともに、恋を忘れるのに相応の時間がかかる、ということを言いたいらしい。

だらしなくソファに腰掛けた奈々を見て、昔のことを思い出す。


 

「……なに?」


「て……テレビ、付けないのか?」


「ん? ああ、つけてー」


「おう」



意識を奈々から引き剥がし、俺はリモコンでテレビをつけると、自室に向かった。



「寝るの?」


「いや、書く。まだ眠くないからな。おまえも、早めに帰れよ」


「はいはーい。……ねえ、送ってくれたりしないの? 私のことも」


「格闘検定特級のおまえをいったい誰が守ってやれるんだよ」


「まあねえ。でも、そういうのって守ったり守られたりだけの話じゃ、ないと私は思うけど。あんたはあの子のこと、守るためだけに送迎してんの?」



奈々の言葉に、俺は言を詰まらせた。


夜道、暴漢や変質者から身を守るために家まで送ってる。あの容姿だから、声をかけられる確率は高いだろう。


それらから守るためかと言われれば、確かにそうだと頷けるが、それだけじゃないのは、俺だって感じていた。



「久々にいろんな話でも、しない? 恋バナとか」


「……悪いけど、俺、こう見えて焦ってるんだ」


「そっかあ。ざーんねん。――じゃ、帰るわね」



ソファから立ち上がった奈々が、荷物を持って部屋を出ていく。

振り返らず、そのまま玄関を出て、合鍵で鍵をかける。

残された俺は、自室へ入るとパソコンの前に座った。







――俺と丹代奈々の出会いは、高校二年の春だった。


新学期。隣の席に座っていたのが、他でもない清楚系美人で有名の丹代奈々ご本人。


いつもにこにこと女子の相手をして、授業が始まると寝ることもなく真面目にノートを綴る。

もちろん男子からも人気だった。


それと同じくらい、俺も人気だった。クラスでは。


丹代奈々という美少女の隣に座る俺を妬んだり、羨んだりされるぐらいには人気だった。


必然と、女子との会話も増えた。

奈々に話を振られたのがきっかけで、昼休みなんかはよく女子グループと飯を食った。


それと同時に、俺への人気も(主に男性陣)跳ね上がり、体育の授業で二人一組を作れないほどに、友達がいなくなった。



「大変ですね。奏音くん」



見兼ねた奈々が、声をかけてきた。

それから卒業するまでの間、ずっと俺たちはペアだった。

 






「よ……ようやく、十万文字いった……っ」



ゆかと出会って、三週間が立っていた。

もう少しで七月。

本格的に暑くなってきた昼下がりのなか、俺はパソコンの前で両手を大きく広げた。


約十万文字。

小説にしたらだいたい一冊分。


キリのいいところで終わらせられたし、もしランキングに載れたら続きも書いていこう。

 


「少し休憩してから、見直しするか……」



スマホを確認して、LiNEラインの通知を確認する。

一時間前にゆかからメッセージがきていた。



『ごきげんよう、カノンさん。きょうはお暑うございますね。

 ご執筆はご順調でしょうか? 本日もそちらにうかがいますね』


『おはよう、ゆか。きょうも暑いね。日焼けしないように気をつけて。

 ちょうどいま十万文字書き終わったよ。少し休憩したら見直すかな』



無難な返信を送ると、すぐに既読がついて、



『カノンさんの小説、心待ちにしております!

 ところで、明後日からは二日ほど、お時間をゆかにいただけないでしょうか?』



二日、時間をいただきたい?

どういうことだろうか。



『何かあった?』


『ご一緒に海へ参りませんか?』



「えー……ゆかと、海か……。——いや、いやいや。そんな時間はないって!」



一瞬、ゆかの水着姿を想像して、首を横に振る。

とても心苦しいが、断ることにしよう。


残念だけど――と打ったところで、ゆかの先制攻撃。



『お母様が保有するプライベートビーチで、かつお母様が運営しているホテルの宿泊になりますからお代金は一切かかりません。次回作の取材も兼ねていて……。どうでしょう? お仕事とはいえ、ゆか一人では寂しくて堪えられません』



「プライベートビーチって、そんな言葉を知り合いから聞くなんて……」



さすが、小説界隈で知らぬものはいないと評される神作家、玖楽蓮くうられん

いや……この場合、お母様の力か。

いったい、小兎姫ことひめ家は何をやってるのだろうか。

今度、調べてみよう。



『謝礼も出させていただきます。百万ほどお出ししますので、何卒お願いします』



「ひゃくま……!?」



『足りないようでしたらもっとお出しできます。考えてはいただけないでしょうか?』



なんとしてでも俺を取材に連れていきたいらしい。

しかし……取材か。

なんか、とてもいい響きだ。



「……これも、仕事……だよな」



経験に勝るものはない――って、偉い人が言っていた気がするし。

小説の質を上げるために、行ってみるのもいいかもしれない。



「欲望に負けたわけじゃない欲望に負けたわけじゃない欲望に負けたわけじゃない」



言い聞かせて、俺は行く旨を伝えた。

もちろん、お金は要らないとも。



メッセージ上で喜ぶゆかを見て、気がつくと俺の頬が緩んでいるのに気がついた。



「だいぶ、ほだされたな」



しかし、悪い気はしなかった。

むしろ、幸福に満ちている。


それから出発までの間。

俺の中に焦燥感と呼べるものは現れなかった。

 

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