第5話 丹代奈々
「――へえ。ふぅん。そう。つまり、私が忙しく仕事に追われていたって時に、女を作ってたワケね」
横並びに座る俺とゆかと、その正面に座ってビールをあおる
あの事故からすでに一時間は経っていて、奈々に何度も説明をしてはいるのだが、壊れた人形のように同じことを言ってはビールをあおっていた。
「ところで、カノンさん。丹代さんとはどういう関係なのでしょうか?」
妙に自信たっぷりと、令嬢の落ち着きを払ってみせるゆか。
目の前の奈々とは大違いの風格だ。
本当におなじ女性だろうか。
すこし勘繰ってしまう。
……それにしても。
「カノンさん?」
「あ、いや……」
先のことを忘れてしまったかのように、平然としているゆか。
どうやら、さっきの事故を引きずっているのは俺だけのようだった。
今でも、鮮明に思い出せる。
ゆかのあの表情を。
匂いを。
言葉を。
あのときめきを。
「か……カノンさん?」
「ニート歴三ヶ月目ぐらいからだったかな。たまにこう、考え込むことがあるのよね。ニート病ってヤツよきっと」
おい、聞こえてるからな?
思考の渦から抜け出した俺は、こほんと咳払いをしてから、ゆかに奈々を紹介する。
「こいつは丹代奈々って言って、高校の頃からの同級生で職場も一緒でな。結構長い付き合いなんだよ。まあ、ふたりして去年、仕事やめたけど」
「一緒にしないでもらえる? 私はしっかり働いてるから」
「そ、その通りでございます……」
マウントを取ってくる奈々に、俺は勝てない。
現時点では。
そう――現時点では。
「ご高校からご職場まで……。仲が良いのですね、おふたりは。――ちなみに、おふたりの前職っていったい?」
「ん? 言ってなかったの、
「まあ、公務員とだけは伝えてあるけど」
「?」
「いやホント、大したことじゃないし、ここまで引っ張るとなんか壮大な職業に就いていそうな雰囲気でちゃうけどさ、ホント大したことじゃないんだよ?」
「もったいぶってないで言っちゃいなさいよ。恥ずかしいじゃない。本当に大したことないのに」
「ま、まあ……その、俺ら前まで――」
「――私たち元自なのよ」
おまえが言うのかよ。
喉まででかかったが、何とか飲み込んだ。
「受験勉強も就職もめんどくさかったし、親にも教師にも反抗したい時期だったしね。だから適当に自衛隊に入隊したってところよ」
懐かしいなと、感慨深く当時のことを思い返しながら、俺は長い前髪に触れた。
「それにしても、俺らだいぶ髪の毛伸びだよな。おまえは色がヤンキーだけど」
奈々の腰元まで伸びた桃色の髪を見遣る。
お返しとばかりに、奈々が俺の目元を隠す前髪を見た。
「かわいいって言いなさいよ。それと、なにその前髪。もうアーティスト気取り? ランキングに載ってからイキリなさいよね、パーマ野郎」
「……ハイ」
クソ、絶対に近いうちに見返してやるからなこの毒者め……!
俺が奈々を前髪の奥から睨みつけていると、ゆかが俺の肢体に目を向けた。
「そうだったのですね。道理で、とてもしっかりとされたお体付きで……」
ペタッと、なんの前触れもなくゆかが俺の胸筋に触れた。
ピクッと、胸筋が跳ねる。
向かいで、空のビール缶を握り潰す奈々を、俺はみた。
そんなことも露知らず、ゆかはペタペタと俺の胸筋、腹筋と手のひらをなぞらせて、
「……お上着、お脱ぎになられてはどうでしょう?」
と、煩わしそうに俺のTシャツを摘んだ。
すかさず、奈々がテーブルに缶ビールを押し付けてペシャンコにする。
「ダメに決まってるでしょ何言ってんのアンタ遠回しに言っちゃってそれならどストレートに言ってくれた方がこちらとしてもまだ気持ちいのだけれどていうかさせないけれどそんなこと」
「あら? よろしくありませんか?」
「う、うん。ちょっとやめておこうかな……」
そういうことに厳しいお姉さんが目の前にいるから。
居なくとも、脱いだりは絶対にしないけど。
「そうですか。残念ですが、近いうちにぜひ拝見させていただきますね」
ころころと表情を変えて、頬を朱に染めたゆかを横目で映しながら、奈々が食卓の下で俺の膝を蹴った。
ムスッとした奈々が俺を射抜く。
多分、なんなのこいつ、と俺に言ってきているのだろう。
誠に残念だが、俺だって詳しくは知らない。
付き合いができてもう一週間ほどだが、どうして俺に好意を寄せてくれているのかは未だ不明だ。
それから、奈々を加えた三人で、重箱に敷き詰められた料理に
毎度のことながら、感動をおぼえるほどの美味さ。
それは奈々もおなじだったのか、
「何これ、めっちゃ美味しい……。こんなおいしい煮物、たべたことない……」
「お気に召したようでうれしいです。きっとシェフもお喜びになられますわ」
「……奏音。よくもまあ、こんなイイとこのご令嬢捕まえてきたわね」
「捕まえたっていうか……捕まった?」
「あら、ふふっ。ご冗談を、カノンさん。ゆかたちは運命に引かれあったのですよ。あの出会いもきっと偶然ではありません」
「ふぅん……? ベタ惚れじゃない。――それにしても、あの並木道、ねえ……」
煮物を摘んで口に放り込む菜々。
食べ方も仕草も何もかも、ゆかとは比べ物にならないほどお粗末だっ――
「いぐッ!?」
「私のこと馬鹿にしたでしょ?」
「し……してないけど?」
「……。まあいいわ」
ビールをぐいっと喉に流し込むと、奈々はゆかに目を向けた。
「どうしてゆかちゃんはその並木道にいたの? その美貌だったら、噂とか迷信なんて頼らずにも引く手数多なんじゃないの? それにほら、小説家なんでしょ? 売れてるらしいじゃないの」
俺も気になっていた疑問を、奈々が訊いた。
ゆかは箸を揃えて置くと、一拍間を置いてから答えた。
「ゆかは、お待ちしておりました。一目見て、このお方なら身も心も捧げられるという、そのお方を」
チラッと、流し目を俺に送るゆか。その微笑に、俺は緩みそうになった頬をなんとか引き締める。
奈々の前ということもあるし、何よりもそれを許すと、今後歯止めが効かなくなってしまいそうだったから。
「運命に導かれたお二人なら、きっと会話を交わす必要もなくわかる。そう信じていたからこそ、これまでお付き合いどころか恋愛というものを経験してきませんでした。ですが、お恥ずかしいことに、恋愛をしたこともないのに恋愛小説を書いていていいものなのかと疑問になりまして」
「だから並木道の迷信を頼ったのね」
「そうです。三十日間、まいにち通い続けました。そして五日前、とうとうカノンさんがお迎えに来てくださったのです」
三十日間、毎日という言葉に俺と奈々が同時に頬を引き攣らせた。
しかし、とても幸せそうに頬を崩すゆかをみて、俺たちは何も言えなかった。
「……それで、その運命の相手がこいつだったってワケ? 錯覚とか、待ちくたびれたからとかじゃなくって? 本当に? 運命ってヤツを感じたの?」
「はい。このお方を……カノンさんをお待ちしておりました。きっとゆかは、生まれた時……カノンさんがお隣にいないことを不安に思い、泣いていたのです」
「よくもまあ、そう平然と恥ずかしいこと言ってくれるわねえ」
「ゆかは恋愛作家ですから」
「あー、納得」
そう言って、ニマニマと俺を見遣る奈々。
俺はただただ恥ずかしくって、重箱の中から玉子焼きをとって口に入れた。
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