別ルート⑥
依頼にあった魔物を発見し、爆破の魔法で粉みじんにして、さっさと街に戻ってきた。
活気ある街中を無言で通り抜け、いつもの斡旋所へ。事務受付に寄って、討伐が完了した証を見せつつ一言報告すると、それで仕事はひとつ終わり。
酒場の隅に行き、報酬をテーブルにぶちまけて、指で数える。
後は、やることがない。喋らなさ過ぎて喉が衰えていくのを感じながら、誰かを待っているかのように、ぼうっと過ごした。
僕はいま、ミゼルに、一か月も放置をくらっている。顔も見てないし、声も聞いていない。
ミゼルは、以前声をかけてきた女子パーティー共の誘いに乗り、彼女らについて迷宮の冒険に出た。
そうすることを告げられたときは、さすがに、雷が落ちたかのような気分だったのだが。あいつの前で取り乱すことは自尊心が許さず、色んな言葉を飲み込んで送り出した。
……それをいま、わりと後悔している。なぜなら。
いらいらする。ものすごく。
想定していたよりずっと、毎日、毎分毎秒、つまらない。今の自分の日常からミゼルを抜いたら、こうなる。それを認めるのも悔しい話だった。
というかむらむらする。鏡の中のアスリカを罵倒して、深々と謝らせてみても、なにか物足りない。……一人遊びじゃ、もう満足できない。
ミゼルをからかったり、ミゼルに……何かを、させられたり。そういったことをおあずけにされているこの現状は、酒やらタバコやらギャンブルやらに依存している人が、それを禁止されるようなものだ。
もし。ミゼルが僕に対して、もろもろへの反撃・復讐のつもりでこんな真似をしているのだとしたら。
あまりにひどい報復だ。
ミゼルが僕から離れられなくなるようにと思って、色々と仕掛けてきた。それが、こんなことになるなんて。
現状はまったくの逆。依存させようと思っていたのに、それはいつからか反転してしまっていたらしい。
「ん、ん……っ」
テーブルの下、足をもぞもぞと動かす。あいつのことを考えると、落ち着かない。汗が出てきた。
ああ、ミゼル、ミゼル。
僕はいま、キミに――、
死ぬほど腹が立っている。
次に顔を見たら、めちゃくちゃにしてやる。僕をないがしろにしようだなんて、大きく出たものだ。
どうしてやろう。このまま向こうのパーティーに入るなんてことは許さない。もしかしたら“原作”のミゼルの仲間なのかもしれないけれど……それがなんだ?
今さら僕から逃げられると思うのか。
今までの100倍の嫌がらせをしてやる。元のアスリカの記憶なんていい思い出になるくらいの。
それで、それで。また、向こうを怒らせて。冷たいあの声で、命令を――、
………。
早く、戻ってこい。
“向こうから襲わせたい”なんて、今思えば遠回りな話だった。帰ってきたら、ミゼルを。
「……ふーっ、ふーっ……」
「あ、あのー。大丈夫ですか、アスリカさん」
「……!? ふぁ、は、はい」
いつの間にか、組合の事務員さんがすぐそこにいた。
あわてて体裁を整える。
「ごめんなさい。体調が悪くて」
「たしかに、顔がお赤いですねー。アスリカさんあてに指名依頼が入ったのですが、後日にしましょうか」
「依頼?」
……ミゼルに、ではなく?
体調が悪いというのは勿論嘘なので、ひとまず話を聞く。
……単純な、魔物の討伐依頼だった。依頼人が僕(アスリカ)を選んだのは、近頃組合が売り出している冒険者だから……らしい。
目撃情報などから想定される現場も、このバルイーマからかなり近い。うまくいけば、朝飯を食べて街を出て、午後のおやつの時間までに帰ってこられるような仕事だ。
「明日なら受けられます」
「わかりました、ではそのように。よろしくお願いしますね」
事務員さんは、その依頼に関する資料を置いて、他の仕事に戻っていった。
目を通し、内容をかみ砕きながら、達成に必要なものごとを頭の中で組み立てる。いつもの作業だ。
……まあ、今はこれくらいしかやることがない。ストレス発散と、日々の生活のためだ。向こうから仕事をくれるのなら、ありがたくもらう。
単独だとこの仕事の危険さはぐんと上がるが、それにも多少は慣れてきた。
そもそも、この身体の才能と実力はそれなりに確かなもの。それに以前痛い目に遭ってからは、わりと真面目に魔法使いとしての努力をやっているつもりで、アスリカの身体はそれに応えてくれている。良い子だ。
標的のレベルが事前情報通りのものかどうかは気がかりだが、きっちり準備していけば、仕事はこなせるだろう。
ミゼルがいなくとも。
▼
今日もソロ。
仕事に集中して、欲求不満を抑えることにする。昨日請け負った依頼をこなそう。
街を出てしばらく歩けば、討伐対象が徘徊しているらしい現場には、すぐに辿りついた。
石くれがゴロゴロと転がっていて、足の踏み心地が悪い。荒れ野だ。それと、棲みついているやつらも大人しい気質なのか、こちらから攻撃しなければ襲ってこない。
……人間は、こんなところに用事はないだろう。依頼者は、なぜこんなところにいる魔物をわざわざ討伐させるのだろう。
そんなことを考えていたときだった。
……索敵の魔法を広げていた範囲に、誰かが侵入してきた。
“誰か”だ。人間のカタチをしている。
警戒を強め、体内で魔力を加速させつつ、その来訪者の姿に目を凝らした。
「……!? あなたは……」
「おはようございます。ようやくひとりになってくれた。“赤熱の魔女”」
そう声をかけてきた人物は、たしかに知った顔だった。
彼は。
今回の武闘大会での準優勝者だ。ミゼルに降参した、あの陰鬱な雰囲気の、魔法使いの男。名前は忘れたが。
僕は彼を大会で見たとき、見覚えがあるような気がして、気になってはいた。
……しかし、何故ここに?
それにいま、まるで。
こちらを待っていたかのようなことを、言った。
「厄介な“契約術士”は今頃迷宮の奥深く。人間の男は人間の女に弱いというのは本当だ」
「何かご用ですか。仕事があるのですけど」
「それは捨て置いて構いませんよ。あの依頼は嘘なので」
緊張で心拍数が上がっていく。
……誘われた、らしい。どうやって組合の人間をあざむいたのかはわからないが、こいつは僕をここに呼び寄せた。そう言っている。
何を考えているのか、表情からは読めない。平坦なのだ。この状況への、悦びも緊張も感じられない。まるで人でなしのよう。
「目的を聞かせてもらっても?」
魔法をいくつも準備しつつ、声を振り絞る。
男は……、
「火の魔力をもっと伸ばしたくて。あなたの心臓をください。大分前から狙っていたんです」
そう言って、隠されていた頭部の“角”と、本来の“青い”肌色をさらした。擬態を解いたのだ、と感じた。
それを見て、ふたつの記憶が反応する。
……あれは、“蛮族”だ!
知能を持つ魔物……と、定義される存在。人語を操り、人に似た姿をしているが、彼らは人間の敵対者だ。“堕ちた魔人族”とも呼ばれている。
これは、アスリカの記憶にある知識。でも、実物は初めて見たようだ。
ならばなぜ、僕はこの男に見覚えを感じていたのか?
いま、それを思い出した。こいつは……、
原作で、アスリカを殺した魔物だ。
「火属性だしステーキがいいかな? 良い酒があるんです。……いや、そうか。女だし、限界まで子供を産ませるのが得か?」
あくまでマンガのページ上で見かけた存在だから、わからなかったんだ。今なら特徴がぜんぶ当てはまる。
……アスリカなんて、物語の脇役のはずなのに。それをつけ狙っているやつがいたなんて。ちゃんと、殺されるまでの理由が、あったっていうのか。
「しかし、可愛い顔をしておられる。泣き顔が見たいな。ちょっと泣いてくれませんか?」
つまりこれから僕は、コミックのアスリカのように、凄惨な蹂躙を受けて殺される。
下手人を目の前にして、一気にそれが、現実になって襲い掛かってくる。なるほど、こいつは怪物だ。話が通じる気がしない。
……怖い。
「え? だめ? そうですか。とにかく。まずは家に持って帰って、遊ぼう……」
ずず、と。蛮族のまとう魔力の気配が、膨れ上がった。
ミゼルの言う通り、大会では本気じゃなかった。個人で敵う相手じゃない。魔法使いだからわかる。
身体が震える。
……いや。ただで殺されて、なるものか。
こんなやつのオモチャにされてたまるか。
アスリカの身体は、僕のオモチャだ――!
「“メテオレッドサン”!」
上空にずっと準備していた火球が、敵に向かって降下する。
それはやつの立っていた場所で、確かに炸裂した。大炎上。常人であれば死ぬ威力だ。
しかし。
「……!! そういうことだったか……」
炎の中から、健在の敵が現れる。
やつは、いつのまに現れたのか分からない、“ゴーレム”を盾にして、魔法をやり過ごしていた。
そのまま、同じ岩人形をもう二体、宙に描いた魔法陣から呼び出した。アスリカの知識には無いが、いわゆる召喚魔法ってやつだろう。
そしてあのゴーレム。……以前、僕をボコボコにしてくれた、あの魔法が効かないゴーレムだ。
あれも、やつの仕業だったのか。たしかに、ミゼルがいなかったら、あそこで終わってた。
なんて執拗。王都を出る前から、この身体は、あいつに目をつけられていたんだ……。
……だが、そのわずらわしい執念も、やつを殺してしまえば終わりだ。ぜんぶ終わらせて、安心して、アスリカの人生を引き継いでやる。
火の魔法をいくつか放ってみるも、3体のゴーレムに弾かれる。
……いい気になっていることだろうが、そうはいかない。一度コテンパンにやられた相手だ。何の対策もしていないと思ったら大間違い。
杖を強く握る。僕は、アスリカにはならない。ここでは死なない。
まだまだ、楽しみがたくさんあるんだ。
勝ってやる。
▼
「が、ふ……っ」
地面に血反吐をこぼす。
立ち上がろうとしても、あちこちが動かない。
……ゴーレムどもは、地面を吹き飛ばして作った落とし穴なんかで、無力化した。だが、それに守られていた主が、人形より弱いわけではない。
戦闘にかこつけて、ずいぶんとなぶられた。魔法使いだと思っていたがとんでもない。あちこち蹴り飛ばされたり、魔力の刃で斬りつけられたり。
表情は変わらないが、さぞ愉しんでいただろう。おかげさまで、もう折れそうだ。
「さて。そろそろ持ち帰ります」
なんとか上半身を起こしたけど。顔を上げれば、目の前にいるのは、人の姿をした獣。
怖い、と思った。
コミックあるいはノベルの世界にはるばるやって来て、こんなつまらない死に方をする。いやだ。
この想いも二度目だ。物語の主人公なら、二回も負けたりしない。
ああ、つまらない。
……立ち上がろうとする脚から、力を抜いて。僕は、男の顔を見上げた。
「あなたはおそらく今代の“火の勇者”候補。優秀な魔力でしたよ。これで私も、魔王の座に――あぼ」
で。
男の顔に、誰かの足がめりこんだ。
吹っ飛ばされていく蛮族の男。それをやったやつは、まあよく見知ったヤツだ。
かっこよく僕の前に立ちはだかる背中は、少年のものだけど、大きく見える。
……角度的に。
「間に合った?」
ミゼルは肩越しにこちらを見て、言った。
「……遅い」
「はい?」
「おそいおそいおそい!! ぜんぜん間に合ってない!!! こっちがケガするの待ってただろ!! このサド野郎――サド太郎だお前なんか!! サド太郎!!!」
「うえ、ご、ご、ごめんアスリカ……! ちゃんと後をつけてきたんだけど、結界に阻まれちゃって……」
知るかそんなの。もうこんな大怪我はこりごりだ。
ちゃんと守れよ。なに格好良いタイミングで駆けつけようとしてるんだ。しかも二回目。腹が立つ。
ふつう主人公ってのは、ヒロインが怪我する前に間に合うだろ? それとも、この僕がお前のヒロインじゃないとでも? なんのためにこれまで色々やってあげたと思ってる。このドS太郎が。
「……お仲間の美少女たちは?」
自分の傷を治癒しつつ、ミゼルに話しかける。
舞い上がった砂塵の向こう、あの蛮族の男が、ゆらりと立ち上がっていた。
「ん? 知らない。報酬分は働いて、適当に抜けてきたよ」
「……あ、そう」
ついにハーレムに目覚めたかと思ったんだけど。なんか、そうでもなさそうだ。
それと、あの蛮族相手に、全く臆していない。一か月前とは何かが違う気がする。
「ただ君から離れていたんじゃないよ。僕、自分の力のこと、ひとつわかったんだ」
ミゼルは自身のある顔つきで、僕に手を差し伸べた。その手を取って、立ち上がる。
自然と至近距離になって、瞳の中身まで見える。ミゼルは、僕をじっと見て、言った。
「アスリカ。僕と――繋がってくれる?」
「は?」
青空の下、敵の前で何を言っているんだ。僕のせいで、ついに性欲モンスターになってしまったのか。ミゼル。
「そういうのは、部屋に帰ってから言ってくれるかな。ちょっと引いた」
「……!! ちょ、違う! アスリカ、前から思ってたけど、君もよっぽど変態でしょ! そういう意味じゃないし」
「はあ? キミに言われたくないよ。へんたい。ざこ。童貞」
「はっ!? く、くそ。もうとにかく、あいつを倒すから、一緒に戦ってよ」
ミゼルが目を閉じて集中すると、彼の背後から、魔力で作られたような、半透明の“管”が出現した。どうやら背中から伸びているらしい。
それを、ミゼルは……、
「こ、これを。アスリカに、接続したいんだけど」
「……いいよ、どうぞ」
管が、僕とミゼルの背中を繋ぐ。
すると、それを通して、ミゼルの魔力が体内に流れてくるのを感じた。
「アスリカ。僕に魔力を“返して”」
「……!? いや、なるほど。わかった」
僕は魔力を“加速”させ、管へと送り出した。
そうしたら、またミゼルから、魔力が送られてくる。それをさらに加速して返す。
このサイクルを、何度も繰り返す。
……人間の扱う魔力は、体内や魔法の杖によって“加速”させることで、起こす現象の出力を引き上げる。
ミゼルと繋がった今では、加速器が2つあるようなもの。魔法使いの性能も、剣士の性能も、格段に上がる。
……これが、ミゼルのスキルの正体か……。他者と自分とを、つなぐ力。
ありがち過ぎて笑いが出る。パーティー追放をくらうようなやつが、いかにもな主人公能力の持ち主だとは。
でも、まあ。
これなら、もうさっさと勝てるだろう。
「ミゼル」
「ん?」
「……一緒にあいつ、倒したらさ。なんでもひとつ、言うこと聞いてあげる」
それを聞いて、ミゼルは、薄く笑った。
そして、その身体を紅く燃え上がらせた。アスリカの身体が持つ、火の魔力の影響か。
「わかった」
互いに、慣れた連携で、敵との距離を詰めていく。
……これで、鬱陶しい原作の影とはおさらばだ。
ミゼルが、敵の身体を斬りつけていく。あれ程強かった蛮族の男は、そのスピードとパワー、熱量に反撃できていない。
僕が魔法を放つと、アスリカの記憶にあるものより、何倍も強力な炎が放出された。相手が爆炎の使い手でも、関係ないくらいの威力。
二人がかりのリンチ。卑怯だ。でもこれはゲームやらマンガやらの世界じゃなく、命がかかってるんだから、まあそんなものだろう。
剣と炎の嵐。
やがて。致命的なダメージを負った、そいつは。
身体が崩れていく寸前、やけに呆けた顔をしていた。
「私が死ぬ? おかしいな」
……アスリカを殺す役割を持つものは。こうして、この世界から消えた。
▼
「……あ、あのさ。ミゼル。……どうする?」
「なにを?」
「ほら。さっき……なんでも、聞くって、言っちゃったし」
「ああ」
隣を歩くミゼルに、聞いてみる。
どさくさに紛れて、僕は、またミゼルに“命令させる”状況に持ち込んだ。
考えあぐねる様子を見せるミゼル。その時間が長いほど、心臓の跳ね方がギアを上げていく。顔が火照っていく。
やがて彼は、口を開いた。
「明日1日、ミゼル“様”って呼んでよ」
「――は、はあっ!? キモッ」
「何さ。この前、自分からそう呼んできた」
「あれは、ち、違うから」
何ヤバい方向に行こうとしているんだこいつ! いじめ過ぎて目覚めたか?
………。
顔を伏せる。
自分の口元が、にへらと緩んでいた。
「……いっ、いいよ……。明日ね……」
ミゼルがどんな顔をしているかはわからない。足しか見えない。
「………ミ……ミゼル、様……」
「だから、明日だってば」
……うるさい、我慢できるものか。
一か月だぞ。とんだクソ野郎だ。よくも素知らぬ顔で戻ってきたものだ。
よくも、そんな平静な声で、話しかけてくるものだ。
「アスリカ」
名前を呼ばれると、肩が震える。声を聞くだけで、何かへの期待があふれる。
僕は、ミゼルの隣を歩きながら、次の言葉に身構える。
「これからどうする? ……アスリカを狙うやつって、他にもいるのかな」
なんだ、そんなこと。
正直どうでもいい。
「わからない。もしかしたら、いるかも」
「なら、決まりだ」
ミゼルは唐突に、僕の前に出て、そして片膝をついた。
きざったらしく僕の手をとり、碧の眼でこちらを見上げる。
「これから先、どんな敵と戦うことがあっても……。僕は、あなたの剣になる。だから、アスリカ。僕の、炎になってくれませんか?」
「………」
うわ。
姫とナイトがやるやつ。僕らがやると、滑稽でしかない。
ミゼルも、自分でやっておいて、恥ずかしそうにしている。
「なにそれ。きもちわる。変なの」
「あ! ひどい。頑張って考えた文句なのに」
「……ま、いいよ。パーティー再結成ね」
手をひっぱって、ミゼルを立たせる。
そのまま僕たちは、再び歩き始めた。今度は、手を繋いだまま。
戦った後の互いの手は、やけに体温が高い。
「そういえばさ。ミゼルの異能って、仲間が多いほど強くなるよね、たぶん。二人パーティーじゃ宝の持ち腐れなんじゃない」
「アスリカは、仲間増やしたい?」
「ん? んー。ミゼルは?」
「僕は嫌だよ。せっかく、君とふたりきりなのに」
「ふうん。……でも、美少女のパーティーに入ってただろ」
「能力の実験をしたかったのと、あと、アスリカの気を引けるかなと思って」
「小癪な男は嫌いだな」
しばらく歩いていくと、遠くに、街の外壁が見えてきた。
繋ぎっぱなしの手はいよいよ汗ばんでいて、不快な感触だ。
でも、なんとなく、離そうとは思わない。
「ミゼルって、ほんとにあたしのこと好きだね」
「そうだよ。君がそう仕向けたんだろ」
「人のせいにする気? 普通に接してただけでしょ」
「普通なもんか」
ミゼルは、僕のことが好きらしい。
本人も、いいようにされていることを自覚していて、それでもこうして手を繋いでいる。最初の目的は、完全にうまくいった。
………。
僕の方は、というと。
ミゼルのことなんて、別にどうとも。彼が期待するような想いを返してあげることは、ないのだけど。
でも、せっかくの良い場面なので。この手の温度に、何か意味を持たせたくて。
それで、適当なことを言う。
「ミゼル、あたしね。……キミのこと、好きだよ」
割と言い慣れてしまったセリフ。何度も口にしたそれには、重みはない。
でもほんの、ほんの少しだけ、意識して、熱を込めて、言ってみた。それくらい簡単だ。
………。
反応が気になって、僕は、隣を歩く少年の顔を見る。
……困ったような。少し苦し気で、寂しそうな目の表情。それを、穏やかな笑顔で上塗りして、ミゼルは言った。
「嘘ばっかり」
そうつぶやいて。しかし、ミゼルは手を握る力を、少し強くした。
それが意外と不快ではなくて。
こっちからも、ほんの軽い力で、握り返した。
▼
「ところで、これどこに向かってるの? 買い物?」
「宿屋」
「えっなんで。まだ昼間だけど、帰るの」
「……何言ってんの? 一か月も人を放置して」
手の繋ぎ方を変える。相手の右手とこっちの左手、指の一本一本を絡めた、離れにくい繋ぎ方。
俗に恋人繋ぎとか言われるやつだけど、実際にやってみると、相手を逃がさないためのものだとわかる。
手の感触が、さらにじっとりと、湿っぽいものになる。その不快さは、二人分の脈拍が打ち消す。
こうして距離が縮まると、激しい戦いの後で、互いの汗のにおいが混じりあっているのがわかった。
ならもっと、どろどろになったって構いやしないだろう。
「少なくとも――」
僕は歩みを止め。いつもみたいに、少し背伸びをして、ミゼルの耳に小さく声を伝える。
とびきり熱い、これまでの時間分の温度が、吐いた声に乗っていた。
「明日の朝まで、ずっと部屋から出さないよ」
(了)
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