別ルート④

 僕はいま、武闘大会の“決勝戦”をコロッセオの観客席から見ている。

 舞台にいるふたりの闘士のうち、ひとりは良く知る顔だ。

 ほんの数月前まで、冒険者パーティーから追い出されるような雑魚だったミゼルは、この闘技場で並み居る強者たちを次々なぎ倒し、ついにここまで来たのだった。

 なかなか見ごたえのある大会だった。ミゼルはやはり主人公体質のようで、試合を重ねるごとに強くなっていった。ありがちだが、経験値100倍みたいなスキルでもついているのかもしれない。今では明らかに、ほんの3日前よりも強い。

 やはり参加させて正解だった。もし優勝賞金をとれなくとも、今回は得難いものを手に入れることができたと言っていいだろう。

 もちろん、ここまで来たなら優勝してほしいのだが。


 しかし。


「……!」


 今、ミゼルは、観客の僕らの見守る前で、何回目かのダウンを喫した。

 相手の男――イミテスとかいう名前の、陰気な雰囲気の魔法使い。そいつがやたらと強い。

 同じ魔法使いだからわかるが、技量が桁外れだ。高威力の爆炎魔法を、発生地点を緻密に設定し、かつ、ろくな“タメの時間”もなく連発している。

 ミゼルはこの決勝戦に至るまで、根性のあるタフさで何度も立ち上がり、勝利と観客人気をつかんできたが……、今回は、相手が悪いようだ。

 近づくことすらできていない。周囲の人々も、歓声より心配する声をあげるようになってきた。


「!! あれは……」


 男は立ち上がろうとするミゼルに手をかざし、なにごとか呟いている。同時に、大きな魔力の流動、凄まじい加速を感じる。ここで決めるつもりだ。おそらく、ひとたまりもない。

 あのままでは。

 ………。


「……うお、あちっ!」

「あつっ! どなたか火でもつけましたか? 危ないので……」

「こ、この嬢ちゃんの周り、熱いぞ! 離れよう」


 どうしてか、周りの客たちが距離をあけていたので、僕はマナーを守ることをやめ、席から腰を上げた。

 膝をついたままのミゼルを見やる。

 あれを喰らえば大怪我だ、逃げてほしい、という気持ち。目の前にある賞金を惜しむ気持ち。賭けてる方の選手が負けそうな焦り、苛立ち。いろいろ思うことがあった。

 それと、もうひとつ。

 主人公が――僕にはなれない、主人公という生き物が。あんなぽっと出のやつに負けるな。

 こっちは最強系の作品を読みに来てるんだ。直前まで絶好調で来ておいて、決勝で負ける回なんか、見たくない。キミを見ているのはそういう読者層だ。


 ――ずいぶん距離のあるところにいるミゼルと。目が、合った気がした。


「ウオオオオオオーーッッ!!」


 コロッセオに響く大声で叫んだのは、少年だった。

 そして、特大の爆発。人間相手に使う魔法じゃない。それが思い切り決まってしまった。

 ミゼルが――僕の大事な所有物が、粉々になったかもしれないと思って、心臓を冷たいものが襲った。

 しかし。

 爆炎の中から、男に向かって何かが飛び出した。

 剣だ。投擲された剣。男はそれを躱したものの、今日の試合で初めて、姿勢が崩れた。

 そして。剣のすぐ後に、もっと大きな影が、炎を抜けてきた。

 全身にダメージを負っているように見えるミゼルは、しかしすさまじい速度で男に肉迫し、彼を、蹴り飛ばした。

 さらにそれを追撃。激しく振るわれる拳足に対し、男は魔法による障壁を出現させ、攻撃に耐えようとした。ミゼルは獣のような暴れぶりで、バリアに拳を叩きつけていく。もはや剣士でも何でもない。……どれほどの怪力なのか、目を凝らすと、ついにはそこにひびが生じたのが見えた。

 そして――、


『これは……イミテス選手、降伏のサインを示しました! 決着です! 勝者は――!』


 拡声の魔法によるナレーションが響く。

 ……なんとまあ。

 ミゼルは、本当に、優勝してしまった。


 ▼


「……買うか……家……」

「え?」

「ううん、なんでもないよ? ほら、回復回復」


 ベッドで横になっているミゼルの口に、見舞いに持ってきたフルーツの切り身を無理やり詰めた。

 大会は終わった。今はこの、闘技場内に設えられた医務室で、ミゼルが起き上がれるようになるのを待っているところだ。

 しかし、本当に優勝するとは。最強主人公なら当然だ……などと淡泊に接することは、今日はしない。正直、えらいと思う。今のところは、泥臭くて地味な戦いしかできない主人公だが、そのひたむきさ・不屈さは僕には光って見える。眩しいくらいだ。

 あと、賞金も眩しい。


「……ミゼル。優勝、おめでとう」

「う、うん。ありがとう。でも……」


 ミゼルは天井を見つめている。何かを思い返しているようだ。


「……多分、相手の男、まだ余力があった。どうして降参したんだろう」

「あいつが……?」


 他でもない対戦者の口から言及があり、思わず眉をひそめる。

 実は自分でも、あの男について思うことがあった。あの、ミゼルをボコボコにしてくれた魔法使い――。

 ……見覚えがある、気がする。いつか、どこかで。

 つまりそれは、アスリカの記憶に眠っている人物ということか……あるいは、“僕”が見た事のある人物、ということになる。

 後者はありえないだろう。同じ火の魔法使いだし、アスリカとどこかですれ違ったか? うーん。わからない。記憶を探ってみても、どうもヒットしない。

 ……気のせい、ってことにしたいな。人への既視感というのは稀にあるものだし。


「魔法使いだし、殴られるの嫌だったんじゃない」

「そうかな。あんまり手応えなかったけど」

「………。それよりさ!」


 ミゼルの枕元で椅子に腰かける僕は、つとめて明るい声を出した。

 しばらくは浮かれた気分のままいたい。他でもないチャンピオンがそんなふうじゃ、勿体ないというものだ。今を楽しもうぜ。

 僕は椅子を降り、ちょうど机で居眠りをするときみたいに、ベッドの上に両腕を組んで頭を乗せた。ミゼルに顔を近づけるためだ。

 笑顔を作ってやると、ここから逃げられないチャンプは、ただ顔を赤らめた。血行も良さそうで何より。

 そうして僕は、あのことを口にした。


「それよりさ。優勝したんだから……約束、いいよ」

「……約束って?」


 ミゼルは知らないふりで聞いてくる。

 またまた。この生き物は思考が読みやすくてかわいい。

 近くを忙しく動き回る大会スタッフたちに聞かれないよう、僕は、ひそやかな声を、ミゼルの耳を狙ってやさしく投げた。


「なんでもひとつ、キミの言うこと、聞いてあげる」

「……!!」

「ねえミゼル、言って?」


 あからさまに反応してくれるミゼルを見て、僕は口の端を吊り上げた。

 このご褒美のために、頑張ってくれたんだろ? 頑張りには報酬がなきゃ。僕はこの身体で、キミのお願いをなんでも叶えてあげよう。

 どんな欲望を聞かせてくれるのだろう。それを考えると、ミゼルに負けないくらい、熱い血が全身を巡る気がした。

 今のアスリカの身体は、僕が送ったこの血に支配されている。逆らうことはない。安心して、どんなことでも、口にしてくれていい。

 そう考えながら、じっとミゼルの碧眼を見つめた。

 少年は、ごくりと喉を動かし、ゆっくりと、口を開いた。


「ひ……人前じゃ、頼みにくいことだから……。明日の夜、僕の部屋に来てもらっていい? そのとき、言うよ」

「! それって……」


 ―――きた。

 夜、部屋。わかりやすい。こんなにも、誘導がうまくいくなんて。やっぱり、ハーレムの真ん中で鈍感な紳士を気取ってる主人公なんて、全部嘘なんだ。

 明日だ。明日からもう、ミゼルはきっと、アスリカ・フェリアーナから一生離れられなくなる。物語の主人公を、僕は自分のモノにしたんだ。

 それに、アスリカの人生も、もうめちゃくちゃだ。明日の夜を越えたら、もう後戻りできないかもしれない。そのとき身体を返してやったら、どんな顔をするだろうか。返す気なんて微塵もないけど。

 何かを成し遂げたような達成感を覚える。自分が求められていることで、承認欲求が満たされる。

 じんわりと、汗が出てきた。

 ああ、会話に間ができてしまった。返事、返事をしないと。


「うん、わかった……」


 それで、とびきり熱っぽい声が出てしまって。僕たちは、互いに目を逸らした。


 ▼


 それから一日。

 ミゼルは優秀な癒し手や医師たちの手で身体の治療を終え、いつも通りの日常に復帰した。

 いや、いつも通りじゃないな。どこに行ってもバルイーマの住民に声をかけられるようになっていたし、冒険者の仕事も指名の依頼が入っていた。今が、彼の絶頂期なのかもしれない。

 自分を見る周囲の目が、変わった。それはミゼルという少年にとって、どのような思いを抱く出来事だったのだろう。想像してみるとけっこう、感動的なものかもしれない。

 ……まあ、そんなことは、今はどうでもいい。


「………」


 お洒落さんであったらしいアスリカの、たくさん所持していた部屋着の中から、なんとなくものを選んできた。下に着けるやつもだ。

 僕は……、胸を手で押さえ付け、深呼吸をして。

 それから、ミゼルの部屋のドアを、ノックした。


 返事を受けて足を踏み入れると、ミゼルが部屋の真ん中に立っていた。

 僕は床に目を落としながら、しずかに、彼の前まで歩く。


「……アスリカ。その」


 声を受信した耳が、なんとなく熱くなったように感じた。顔を上げて、ミゼルを見る。


「あの。本当に、なんでもいいの?」

「う、うん。そういう話だったし」

「あとで怒ったり、とか」

「しないよ。軽蔑もしない、手のひら返しもしない、罵ったりしない。……今日だけ、あたしの全部、あなたが決めていいんだよ」


 ミゼルが息を呑む。僕も、いま、言いようのない興奮に襲われていた。自分の口から、こんなセリフがすらすら出てくるなんて。本当のアスリカがミゼルに言うはずのない、甘ったるい言葉。


「………。じゃ、じゃあ……」


 さあ、どんなことを申し付ける?

 抱擁? 添い寝? デートとか? もしかしてキス?

 ……いや。そんなもんじゃない、と思う。ミゼルの様子からは、何というか、獣欲のようなものを感じる。

 それが自分に向いている。そう思うと、脳みそが熱でとろけそうだ。


「んっ……」


 肩を、力強くつかまれた。その接触している部分がやけに熱く感じて、温度が甘いしびれに変わって、じんわりと広がっていく。

 ほんとうに、いまこの場で、もしかするのか?

 この僕アスリカが……。

 こんな元弱虫くんに、今から組み伏せられて、求められて、遺伝子を……?

 いいのかな。いずれこうなることを企んでいたとはいえ、まだ、早すぎるんじゃないか? こいつを落としきって、愉しみは全部試して、最後に何もすることを思いつかなくなったら……っていうときに、やっとあり得るかどうかって話だろう?

 ……でも。なんでも聞くって、言ったしな。

 ……なら、しかたない。

 しかたない――。

 自分の口が、期待で笑みを浮かべていることに気付く。

 僕は、ミゼルの口が緩慢な速度で開いていくのを、熱のこもった目で見つめた。


「床に両膝と両手をついて、ごめんなさい、って頭を下げてもらっていい?」

「…………へっ?」


 えっ。

 ………。

 いま、なんて。

 それって。もしかして、土下座――


「……い、今?」

「今。そこの床で」


 冷たく言い捨てるミゼル。

 嘘だろ? こ、こいつ。

 いつの間にこんなド変態になったんだ……!?


「………」


 ゆっくりと、膝をつく。

 ……謝ってほしい、って、何を? これまでアスリカがいじめていたことをか? 僕が彼女のやったことを謝る筋合いなんて、まったくない。実に、実に受け入れがたいことだ。

 僕は自尊心なら人一倍だ。これまで弄んできたミゼルに、頭の裏をみせるなんて。できるはずもない。


「……はっ、はっ……」


 荒い息遣いは、自分の口から聞こえていた。

 近くなった床の木目模様から、視線を、上へとずらしていく。

 ……僕の、ずっと上から。ミゼルが、じっと見下ろしている。

 ミゼルが。僕を。アスリカを。


「…………ご……」


 床に、出来る限りきれいに見えるように、両手をついた。

 眼球を必死に上へ持っていって、相手の顔を見上げる。


「ごめんなさい……」


 そう言いながら頭を深く伏せると、全身が、おかしな痺れに襲われて、ふるえた。

 ……すごい。

 いま、すごく、いい。どうしてだろう?

 床を見つめながら一生懸命考えて、結果、僕は、もっとよくなれるやり方を思いついた。


「……す、すみませんでした。今までいじめたり、からかったりして……」


 吐き出した息は、床に跳ね返ってくるせいで、すごく熱くなっているのがわかった。


「……ミゼル、さま……。つ、追放しないで。なんでもしますから……」

「そこまで言えなんてお願いしてないけど」

「は、はい。ごめんなさい……」


 ……あのアスリカが、ミゼル相手に、平身低頭して情けなくへりくだっている。本人なら絶対にありえなかった行動を、やってしまっている。

 ぞくぞく、と、身体の下の方で生まれた気持ちいいものが、頭のてっぺんまで駆け上がってくる。心臓がガンガン血液を送ってくる。音が聴こえるくらい、ドクンドクンって。

 ミゼルを優位からもてあそぶ以外にも、こんなにドキドキする方法があったなんて。知らなかった。知ってしまった。


「……はい、ありがとうございました。ごめんアスリカ、もういつも通りでいいよ」

「………」


 ゆっくり、立ち上がった。少しふらふらする。

 ミゼルは、顔を赤らめているようだけど、表情は平然としている。見ようによっては、追放された主人公による復讐、いわゆるざまあ展開を成し遂げたのかもしれない。


「……変なことさせて、本当にごめん。もうこんなこと言い出さないから。明日から、普段通りに接したいんだけど……む、無理だよね」


 どうやら、これで終わりらしい。なんということだ。

 これ以上ここにいたら、僕の方からこいつに、何かをしてしまう。それはダメだ。

 この熱を冷ましたくて、ずんずんと歩き、部屋のドアに手をかけた。

 退室際に、ミゼルと目を合わせる。


「……この屈辱は忘れないよ、ミゼル。……い、いじめてやるから……」


 震える声でなんとか言い切り、自分の部屋へ逃げ帰った。

 すぐに布団に潜り込んだけれど。身体が火照りきっていて、すぐには、眠れなかった。

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