別ルート①

 その女の子は、今日も後ろをついてきている。


 弱い僕をずっとバカにしてきて、あげくパーティーから追放した女の子が、どうしてかその後も一緒に組もうと言ってきた。

 わけがわからない。

 色仕掛け……ハニートラップととれる行動を繰り返していて、何か企んでいることは間違いないのだが、どうしても意図がわからなかった。僕をこれ以上罠にかける意味があるのだろうか? ずっとあの仲間たちと冒険してきたアスリカが、そこを離れてまでついてくる理由なんてあるのだろうか。

 アスリカにさんざん言われていたように、僕はただの役立たずだ。財産もろくにない。そうされるだけの特別なものに、心当たりはない。

 王都を出たあの日から。僕にとってのアスリカという少女は、「嫌なやつ」から、「わからないやつ」になった。


 ▼


 アスリカは……最近のアスリカは。

 すごく、その、なんというか。

 無視できない人だった。


 この日は街に辿り着いて、宿屋にありつけて、その夜。

 明日の準備も終えて、あとは眠るだけという時間帯。僕のいる部屋には……なぜか、アスリカもいた。

 もちろん、二部屋を取ろうとした。けれどアスリカが宿屋の方に、一部屋でいいと言い切り、結果僕たちは同じ部屋にいる。

 しかも、ベッドはひとつきり。これでは気持ちよく寝られるのはアスリカだけだ。一応、僕はベッドなんてなくたって、我慢できるけど。

 ……お金がないから、宿代が安く済んだのは、ありがたいのだけれど。僕らみたいに同じ年頃の男女が、一緒の部屋に泊まるなんてこと、冒険者の間ではやらないのが常識だ。理由は、考えるまでもないだろう。そうやって引退、あるいは休業する人は多いって聞く。


 荷物を検めるふりをしながら、彼女を盗み見る。

 どうしてかこの頃、アスリカに目を引かれてしまう。以前とは雰囲気が違っていて、別人のようだから……だろうか。

 彼女はいま、魔力灯の近くで椅子に身体を預けて、魔法使いが読むような難しい本を読んでいる。

 これまでアスリカがこんなに、僕の前で無防備な格好でいることなんて、なかった。なんというか、隙がある。いや、わざとそう見せている……?

 いずれにせよ、視線が捕まってしまう。

 日中とは違って、薄くて露出のある部屋着を着ていて。たまにすらりと綺麗な足を組み替えるところを見てしまって、まずい、と思わされる。

 鮮やかな赤い髪と赤い瞳は、純度の高い火の魔力を持っている者の証。王都では、彼女ほどの炎を扱う魔法使いはいなかった。

 本の中身に没頭する横顔は、冷ややかだけど怜悧な印象で。長い睫毛に縁取られた眼は、王都の店で見た、紅い宝石をあしらった飾りみたいだ。

 ……長いことパーティーを組んでいたはずなのに。こうも、彼女に見惚れてしまうようになったのは、こうしてふたりで旅をするようになってからだ。


「っ!!」


 どきり、と心臓が跳ねた。たちまち冷や汗が出る。

 目が合ったのだ。すなわち、彼女が本を開いたまま、流し目でこちらを見た。あの紅い瞳が僕を射抜いている。

 しまった。同じ部屋にいるせいで、今日はじろじろと見すぎた。「こっち見ないで、きもいんだから」――そう言われる。


「くす……」


 けれどアスリカは、ただ小さく微笑むだけだった。何か言うこともなく、すぐに読書を再開した。

 どきり、とした。さっきとは違う意味で。一連のしぐさが蠱惑的だったからだ。たしか同い年くらいだったはずなのに、いくつか年上に見えた。

 ……やっぱり。

 彼女と同じ部屋になるのは、まずい。



 少し経って。

 明かりを消してと頼むわけにもいかないので、部屋の隅で壁に背を預け、目を閉じる。

 もう眠れるなら眠ってしまおう、というつもりでいた。


「灯り、消していい?」

「ん? あ、うん……」


 アスリカの小さな声がして、了解の返事をすると、部屋の中が真っ暗になる。僕はうすく目を開けていた。

 星明かりの見える窓を、華奢な女の子の影が横切った。布の擦れる音がして、宿泊客のためのベッドがもぞもぞと動いているのがわかった。

 ようやく眠れる時間だ。明日に備え、身体を休めよう。


「……ねえ、ミゼル」


 ささやき声は、小さな部屋の中では、よく聴こえた。


「こっちにこない? せっかくの宿屋なのに、そんなとこで座って寝るなんて、バカでしょ」


 灯りを消した瞬間はこの場所が暗闇だと思ったのに、なんか、よく見えてしまった。

 アスリカが、自分が被っているブランケットを持ち上げて、中に空間の余裕があることをアピールしている。

 もっとはっきりいえば、言葉の通り、誘っている。暗がりの中で、目を細めて笑っていて、紅い瞳はらんらんとしているような気がして、とても眠そうには見えなかった。

 僕は。

 もちろん、言葉に乗るわけにはいかない。アスリカに心を許してはいけない。

 無言で身じろぎをせず、自分は眠っているのだと主張するように、無視をした。


「つまらないな。いくじなしだね」


 目を閉じる。衣擦れの音がしたが、無視無視。

 つまらなくて結構だ。何かのたくらみのついでに、人をからかって内心あざ笑っているんだろうけど、いつまでも彼女の笑いものなのは嫌だ。

 ……次は絶対、別々の部屋にしよう。そう思いつつ、呼吸を深くしていった。


「よいしょ、っと」


 その声は、すぐ耳の傍から聞こえた。

 何かが肩にぶつかってきて、暖かい布をかぶせられる。

 再度目を開け、暗闇を探る。……アスリカが。僕の隣に寄り添ってきて、同じように壁に背中を預けていた。


「………!?」

「あたしもここで寝ようかな」

「な、なんで……!?」


 頭に熱が駆け上ってきて、一気に目が覚める。


「いや、寒そうだし。なんか申し訳ないし。……どした? 興奮したかな? ふふ」


 おかげさまで、身体はずいぶんあったまった。ただ、暑すぎるので、眠れなくなると思う。

 同じブランケットの中で密着するアスリカの身体は妙に熱くて、この体温は僕に、流行り病みたいに伝染してくる。

 やりすぎだ。色仕掛けにしたって、なにもここまで。

 彼女を、乱暴に撥ね退けようかとすら思ったとき。アスリカは、僕の耳に直接、熱い吐息をかけてきた。


「ねーミゼル。もし、我慢できなくなったら……べつに、いいよ?」


 それはとても静かな声なのに、僕には、頭が狂うくらいの熱量だった。


「……ッ!」

「くす。……ふわ~あ、ねむっ」


 そうして、人の脳みそをぐつぐつと煮込むような真似をしておいて、彼女は、本当に眠そうにあくびをした。

 そのまま静かになる。


 ………。

 その後は……、数時間くらいは、それ以上の話は、何もなかった。彼女はあっさり眠ったのだ。

 自分だけぐっすりと。人が変わったのはたしかだけど、やっぱり、ひどい子なんだ。

 そうして悶々としているところに、さらに、女の子の小さな頭の重みが肩に乗ってきたりして。そこから浅い寝息がし始めたときは、動けなくて、つらかった。

 ……けれど、人の眠気は、人にうつるもので。

 うとうとと瞼が重くなる時間は、僕にも、ようやくやってきた。


「あの。アスリカ」


 回転の止まりかけた頭で、僕はつい、彼女に向かって話しかけた。

 かすれ声が出る。返事は、期待してはいなかった。


「なに?」


 暗闇の中、すぐそばから声がした。

 人間って、本当に眠いときは、暗い夜の怪異も、明日のことも、怖くはなくなってしまう。だからとは言わないが、僕は、まだ彼女に聞いていなかったことを、聞いてしまった。


「どうして君は、僕と一緒にいるの」


 当然の疑問。彼女が教えてくれないこと。それを、聞いた。

 いくらか無言の時間が続く。そして、返事が聴こえた。


「ミゼルのことが好きだから……って、言ったよ。これじゃだめなの?」


 まず間違いなく、嘘だ。

 彼女はこうして僕をからかうことを楽しんでいるし、本当の理由をはぐらかしている。


「……そんなはず、ないだろ」


 つい、口にしてしまった。眠りの世界に行く前には、思っていたことが、そのままこぼれていく。


「……おやすみ」


 最後に聞こえたアスリカの声は、どうしてか、とても優しいものに感じられた。



 ▼


 あるときの彼女は、また、違った雰囲気の人に見えた。

 あのとき――僕が魔物を相手に、手も足も出ず、完全に敗北する寸前に。アスリカは手を出してきて、死にかけているのを救ってくれた。

 おまけに、あたたかい治療の魔法までかけてくれた。汚れるのは嫌いだって言っていたのに、地面に膝をついて、埃と血まみれの僕に直接触れてまで……。

 こちらが、旅についてくる彼女を、邪険にしていたのにも関わらずだ。そんなことをしてくれるなんて、思ってもみなかった。それに、王都を拠点にしていたときは、意識を失う前に助けてくれたことなんて、なかったはずだ。

 今はふたりだけで、前衛が他にいないから? 打算的なこと?

 そういう気持ちで、僕は命の恩人に向かって、「どうして助けたんだ?」、なんてことを言った。

 アスリカは。

 よく見せた、あのイラついた表情でもなく。最近の、いたずらっぽい笑みでもなく。

 平静で、ちょっと冷たい感じの眼で僕を見て、言った。


「別に。キミが弱いから」


 単純な事実だけを伝えてきた、という印象だった。

 そして。弱い僕を助けることに、大層な理由は無いのだと、当然のことなのだと、今の彼女は考えている。そう感じた。

 ………。

 アスリカは、変わった。

 初めにそう感じたのは、このときだ。


「……。命を救ってくれて、ありがとう」


 僕も、人間として当たり前の感謝を、彼女に伝えた。この借りは忘れないようにしようと思った。

 そうしたら、アスリカは、


「礼はいいから、もっと強くなりなよ」


 と、そっぽを向いて言った。

 例えるなら……人間っぽい、表情だった。

 彼女は、何を考えているか分からないけれど。このときばかりは、アスリカも、別に何も考えていないのかもしれない、と思った。

 ……こういうことがあると、やっぱり。

 「わからないやつ」が、「気になる人」になってしまうのは、どうしようもない。



 ▼


「や、やった……!?」


 どうして、こんなことになっているのか、わからないけれど。

 アスリカに、魔力の使い方を教えてもらうようになってから……、こんな僕が、今まで倒せなかった魔物たちを、あっさりやっつけられるようになった。

 不思議で仕方がないという疑問と、それより大きな達成感、万能感。

 自分が斬り伏せた魔物が、光となって消えていくのを見て。僕は彼女に、成果を褒めてもらおうとする子どものように、興奮気味に話しかけた。


「やったんだ! すごいよ、アスリカのアドバイスのおかげだ」


 振り返って、駆け寄ろうとまでした。

 でも、アスリカは。

 あの猫のような吊り目で、僕をにらんでいた。

 ……いや、ちがう。紅い瞳は、僕の背後に向けられていた。


「バーンストーム」


 激しい火柱が立ち昇る。もう一体いて、隙をうかがっていたのか……。

 また、助けられた。彼女がやってくれなかったら、どうなっていたことか。想像して、今になってどっと汗が出る。

 アスリカにお礼を言おうと思った。でも彼女は、いつもよりどこか冷たい眼で、僕を見ている。


「最後まで気を抜かない。こんなだから雑魚だって言われるの。ね、ミゼル?」

「う……」


 雑魚。

 何度も彼女に言われた言葉だ。もう慣れた……と思っていたけれど。

 ……そうでもないみたいだ。どうしてか、今のアスリカにそれを言われると、心がざわついた。

 地面を向いて、唇をかむ。

 そうしたら、アスリカの靴が、狭い視界に入ってきて、


「ざ~こ。くすくす……」


 いたずらっぽい声を、耳に直接注いできた。

 ……わかりやすい煽りだ。でも、どうしてか今の彼女の声は、僕の内面の何かをぞっと撫で上げてきた。

 怒り……というか、反抗してやりたい、っていう気持ちが、アスリカに無理やり掻き立てられる。自分がこれくらいの言葉で乱される小さな人間だったなんて、知らなかった。

 何か、何か言い返したい。アスリカに謝らせたい。僕の弱さがどうしようもない事実でも。

 反論を、反論を――、


「……でも。昨日より、ずっと強くなったね。すごい、って、おもっちゃったな――」

「う、ぁ……」


 また。お得意のささやき声。

 でも、今度のそれは。いったん波立たされてできた心の隙間に、毒液のように染み込んできた。

 口から声が漏れる。頭蓋の中身が、アスリカの綺麗な指で、そっと撫でられているみたいだ……。

 甘ったるい声は、微弱な雷魔法みたいに熱を全身に広げて。僕の耳はもう、彼女のひそひそ声を聞くだけで……、なんか、おかしく、なる。

 気が狂う。毎日のようにこんなことをされていたら、僕は……。あれだけいじめてきた子で、今も本音を隠しているって、わかっているのに……。


「あ、ありが、とう」

「ん。じゃあ、いこうか、ミゼル」


 なんとか礼を返すと、アスリカは身を引いて、旅の続きに誘った。あたたかい体温と、わけのわからない良いにおいが、遠ざかっていく。

 ……もっと、ああしてほしい。

 みたいなことを思いながら、彼女の背中を目で追う自分に気付き、愕然とする。


 だめだ。何か企んでいるのは間違いないんだ。

 正気を見失うな。

 こんな、まともじゃない子を。……好きになっちゃ、だめだ。

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