七 獄変

 ――達磨寺・玄関――



「失礼しまー…す……」


 けいだいに足を踏み入れ、の背中からひょっと顔を出して、息を呑む。

 らんに行く道をズラァリと挟んで並ぶのは達磨、達磨、達磨!

 他にも境内の至る所に大小様々な達磨が置かれている。なるほど、確かにこれは”達磨”寺だ、と独りごちる。


「こりゃあすげぇな」

「ちょっと壮観」

「これなら達磨を捨ててもわからなそうね」


 えん様のようにを頭に乗せた狛犬が二匹、向き合っている前を通る。


「でも、獄にしてはおかしくない?」


 眉間にしわを寄せて夏世が言う。奥山も頷いて口を開く。


「あの。獄って、もっとこう、異界な感じだと思ってたんだけど」


 夜になると化けると言うし、突然変わるものと思っていたことを伝える。


「ああ、たぶん、二人が入ったことのある獄はまだ”出来立て”だったんじゃないかしら。」

「出来立て?」


 が答える。その前を歩くのぎが「出来立ての〜ポップコーンはいかが〜?」とのんびりと呟く。


「鬼になってから百年程度の鬼と、千年の鬼ではの格が違うわ。生きている年数が長いほど、獄も鬼も、人間界に溶け込んで見極めがつかなくなるの。入った途端に異界が広がるタイプの獄の主は一級の中でも弱い方よ」


 では、あの少年の鬼は鬼にしては若かったのだろうか。明らかに彼の巣は異界の様相だった。


「そうなんだ……」

「それでも、夜になると化けの皮ががれ始めるわ」


 遊衣子の桜色の髪が風に煽られて、ひとひらの花弁が落ちていくように背に流れる。


「獄に入ると別の世界に紛れ込んだように思えるけれど、すべて”幻覚”よ。見えている世界がごまかされているだけで、本質は何も変わっていないわ。死体は死体のまま、血は血のまま……」


 ――血。

 周りを囲う達磨の赤色が目についた。そして、被害者女性がいなくなった後に部屋に置かれていた達磨の存在を思い出す。

 嫌な予感に思考を始めようとしたその時、勢いよく先頭を進む俠介が足を止める。


「ゔっ!」

「わぁ!」

「ちょっと俠介、急に止まらないでよ!」

「黙れ、テメェら」


 背中に顔をぶつけた面々が文句を言うが、俠介は前を見据えて静かだ。

 視線の先をってみれば、月光に照らされた尼僧の裾と草履が見えた。


(誰か来る!)


 沈黙を破って、遊衣子が他所行き用の声で言い放つ。


「すみませ〜ん、夜分に失礼します〜! どなたかおられませんでしょうかぁ〜!」

「……あら? どちら様でございましょうか」


 上品な声が返されて、影からしとやかに、柔和な顔立ちの尼僧が現れた。手には箒を持っている。掃除中だったのだろうか。

 年齢はよくわからない。若い気もするし、でも仕草が洗練されていて昔の女性っぽさもある。


 ――ヂヂッ。


 その姿を見ながら考察する奥山の脳裏で、蝉の鳴き声と共に尼僧の姿がモノクロにブレる。背格好は似ても似つかず。


(なんだ……?)


「警察です、こんばんは。こんな時間に失礼します……最近この辺りで強盗事件が相次いでおりまして、神社仏閣の警備強化期間を設けているんですがご協力お願いできますでしょうか?」

「あらまあ、そうでございますか。ではとりあえず中へ……」


 適度に思考に沈みながらも様子を伺っていれば、遊衣子が警察手帳らしきものを取り出してにこやかに潜入の戸口を開き、寺の中に案内される。

 その時、ぶすったれた先頭の俠介の鼻を掠めた、”獄”独特の生臭い臭い。


「………下がってろ、テメェら」 

「どうしたの、俠ちゃん」

「臭ェ」

「え?」


 ピリ、と張り詰めた俠介と遊衣子を申し訳なさそうに振り返る尼僧。

 

「今日は何だか生臭いですわね……ごめんなさいね、ここは海が近いから、時々風に流されて臭うんです。どうぞお入りになって。いま窓を閉めますわ」


 もう一度ごめんなさいねと頭を下げながらキビキビと木戸を閉める。


(――え?)


 ここに来るまでの車中で奥山と地図を見ていた芒都がリーダー格な俠介の袖を掴み、ボソッと


「内陸だよ、ここ」


 と鋭く言う。聞いてた全員が絆されかけていた脳を締めて目つきを鋭くする。

 俠介が本部と繋がったノイズの激しいイヤモニを


「This is me……Wish us lack.」


 獰猛に口元を歪ませながら外した。

 そっと刀を抜く。

 俠ちゃん、と遊衣子が心配そうに止めるのを無視して俠介が一息に斬り捨てようとしたその時。


『ッ!』


 変異が、始まった。

 目の前の尼僧がいきなり達磨に変わって、ごとり、転がった。

 一度聞いたら忘れられないうめき声が背後から聞こえ出す。

 振り返れば、伽藍に行く道をズラァリと挟んで並ぶ、達磨――



 ――にされた、”女”たち。



 がれ目がくり抜かれた裸の状態で地面に座らされている。


【観自在菩薩……】

【……照見五蘊皆空】

【行深般若波羅蜜多時……】

【苦厄舎利子色……】


 口紅のされた唇が不規則に開いて合唱し始めたのは般若心経のようだ。


「な、」

「うわ」

「悪趣味〜」

「いやね……歴代の被害者女性かしら。でも、最近の被害者たちの家にあった達磨は…?」

「ここで達磨にされて帰されたってわけだろうぜ」


 遊衣子の疑問に俠介が答える。吐き気を堪えながら、境内に足を全部踏み入れる。



 ――バタンッ!!


 

 背後の門戸が勢いよく閉まる。閉じ込められた!と焦る奥山に芒都が言う。


「お約束〜」

「えっ」

「ねえ俠兄、こいつら襲ってくるかな? 遠回りする?」

「足がねぇのに追いかけては来れねえだろ。真っ直ぐ行こうぜ」


 達磨の手前に佇む、警策にも見える束塔婆を乗せた狛犬の前を通り過ぎようとする。と、


「――下がれ!」


 バッと扉の前まで戻る。

 先ほどまでいたところに土煙が立つ。


「な、に…!?」


 全員が抜刀して構えを取る。奥山も慌てて鯉口を切って刃先を彷徨わせる。



 煙が晴れる。



 束塔婆が地面に減り込んでいた。

 狛犬の首が、傾いている。


「は…?」

「奥山くん! 後ろ!!」

「――ッ!」


 狛犬の頭から落ちたのだ、と認識したそばから、扉のまさという柾目から短剣が飛び出してくる。


「どけ、小鹿!!」


 先頭にいた俠介が凄まじい速さで駆け寄り、払い落とす。


「っあ、ごめん!」

「ハッ! 大したことねぇなァ!」


 地面に叩き落とされた短剣は生き物のように蠢いて、スッ…と消えて――いかなかった。再び矢のように僕たち目掛けて飛んでくる。


『!?』

「走れ、テメェらァ!」


 俠介の指示で一目散にひた走る。ギロを咥え直した狛犬が待ち受ける通りへ向けて。


「狛犬は!?」

「どうすんの!?」

「目の前にあるもんはなァ……!」


 俠介はダン、と強く踏み込んで、


「斬りゃいいんだよ!!」


 狛犬の首目掛けて太刀を振りかぶった。



 ガギィンッ!



「――あ!?」


 ギャリギャリと狛犬の首が”けずれる”。


「こいつ斬れねェんだが!?」

「だっさ!」


 走り去りながら芒都が避けた短剣が背後のだるま女の一人に突き刺さった。


【ギィエエエエエ!!!】

【けけけけけけけけ】

【ほほほほほおほほ】


 一人の叫び声に周りの女が笑い出す。


「何なに何なに!?」

「仲悪過ぎ」

【けけけきキキきアハアハ】


 ドタ、ドタ、と背後で笑うだるま女たちが倒れていく。


『!?』

「いや、笑い過ぎ」

「お前ちょっと黙ってろ、芒都!」


 芒都の頭をバシっと叩いて俠介が先頭に戻る。

 おほほ、と笑う女たちが石が敷き詰められた道をゴロ、と転がった。振り返りながら走る夏世がひくっと口を痙攣させて言う。


「なぁんか嫌な予感〜」



 ――ゴロ…ゴロ…ゴロゴロゴロゴロ…!



「もう最悪〜!!」


 背後から短剣の矢と、笑うだるま女たちと、狛犬が二匹追いかけてくるのを、


『いやああああああああああああっ!』


 全員が必死で逃げる、伽藍の奥を目指して。
























 小春日和のお江戸の、とある屋敷の庭に、少女がいた。

 高島田に結い上げた黒髪に白無垢を纏った彼女の、桜色の指先が花びらに触れる。


「咲さん」


 やわらかな青年の声が少女の名を呼んだ。


「あら、光太郎さん。……おいでくださったのね」

「もちろん来るさ。君の……晴れの日、なのだから」


 紅を引いた、かわいらしい唇が小さく震えて涙が頬を流れる。


「光太郎さん…!」


 愛しい男の胸に飛び込む。光太郎は形の良い眉を寄せて、彼女の背をそっと撫でた。


「私、光太郎さん以外の殿方のところへなんか、嫁ぎたくない!」

「……そんなことをお言いでないよ。どこへ行こうとも、君は上手くやるさ」

「いやよ! ”達磨職人の家”だなんて……。お母様は気が狂っていらっしゃるわ!」


 光太郎は、ぐ、と歯を噛み締める。


「咲さん……僕は、君以外の嫁は貰わないと決めている。だから……」


 震える両肩を掴み、視線を合わせる。


「来世では一緒になろう。その時は僕が必ず迎えに行くよ。それまでの、辛抱だ」


 少女の涙一粒にしだれ桜がうつって、落ちていった。



 ――次の日、青年は自ら命を絶った。













 









 俠介が賽銭箱を飛び越えたのを機に皆が後に続く。すぐさま男3人で扉を閉め切って押さえる。

 ドン、ドン、と木の扉に短剣が刺さり、だるま女がぶつかる音が響く。暗闇の中、衝撃を全身で感じつつ、


「何匹いたっけか?」

「サァ…?」

「20はいたと思うよ」

「おい、遊衣子! 何回鳴ったかわかるか!?」


 有能な妹分を呼ぶが、返事がない。


「……遊衣子?」 


 振り返る。



 遊衣子どころか、夏世の姿もなかった。



「うわ、最悪じゃん……」


 芒都が疲れたように言う。


「お、置いてきちゃった、感じ…?」

「いや。入ったのは見た」


 音が鳴り止む。泥沼のような静けさが戻ってきた。

 扉から手を離して鯉口を切り、下方に太刀を構えて、伽藍の奥へ向けて怒鳴る。


「おい! うちの妹分をどこにやりやがった! 返答次第じゃ、細切れにしてやる!」


 沈黙。

 奥山と芒都も俠介の側に立ち、刀を構える。


(……?)


 奥の底知れぬ暗闇から何か声がする。何かが蠢く。


「……なんか来る」


 芒都が呟く。



おのこが何ゆえここにおる】



 伽藍の奥から老女の声がした。

 見れば、血染めの尼僧頭巾から鋭い角が生えた鬼だった。


「主説爆誕?」

「う、うん……」

「お客様の中に天羽・エンジェル・龍寿様はいらっしゃいませんか……」


 芒都が嘆く。

 尼鬼が顔に影を落とし、ゆっくりと近づいてくる。


おのこは嫌い。甲斐性なし】

おなごは嫌い。人でなし】

【四肢をもぎ取り、目をくり抜いても、許せない……】


 瞳孔さえも白い瞳がこちらを睨んだ。

 一歩でも動けば終い、と云うように空気が張り詰める。

 耳の奥の心臓の音が聞こえる。


(早く、早く逃げないと……!)


 本能が逃走を選ぶ。

 尼鬼の袖口が動く。


「……来るぞ」


 刀を構える。



 警戒はしていた――筈だった。



「――ッ!」


 袖口から飛んできた”何か”が俠介の右目を貫通して、脳髄を飛ばす。

 ――後ろに倒れていく俠介の手から刀がゆっくりと落下する。二人が目を丸くして、瞬きをして、同時に引っ込んでいく”手腕”を斬り落とす。


 ドサッ。


「い、猪狩くん……!」

「うわうわうわ! 今見えなかったんだけど!」


 奥山が片手で俠介の首を支えて傷を確認する。シュゥ……と細こい黒い煙が立って”修復されていく”。

 ギリ、と歯を噛む。鍛錬中の天羽の言葉を思い出す。難しい顔をした天羽は奥山の新しい黒い左腕と首に触れて言ったのだ。


『君はいま体の半分を不死身のと共有している存在だ』


『共有している以上、即死する傷も魔法のように治してくれる。でもそれは……ただのまやかしでしかない』


 そこで奥山青年は聞いたのだ。全身を治された人はどうなるのか。


『あぁ…うん………』


 再び手が飛んでくる。間一髪、俠介を抱えて避けることに成功する。

 言い淀んだ天羽は目を伏せて静かに言った。


『そういうばいたいは”見棄てられて”――』


 尼鬼は懐から扇子を取り出して、手の内を叩く。


『”魔法が解けておしまい”さ』


 

 ――パンッ!



 甲高い音が鳴って。

 腕の中の俠介が、姿を消した。







(何が、起こった……?)


 腕の中の俠介は。――どこにもいない。

 隣の芒都を見る。――固まっている。

 あの音がもう一度鳴る。


 芒都が消えた。


 揺れ動く視界で尼鬼を見る。

 確信する。


 次は、僕だ。


(何とか……何とか、しないと……!)


 カタカタと震える手が握っている、無門天文字を見る。


(全員、死んじゃう……!)


 一人で、この佳境を乗り切らねばならない。

 一人で、この鬼の核を探さねばならない。

 一人で、この鬼を倒さねばならない。

 ぐ、歯を噛み締めて、前を向く。


いまいましや。男はならぬ、男は…男は……】


 鬼がゆっくりと近づいてくる。震えながらも刃先を向ける。


(落ち着け。核を見つければいいんだ。あの少年は刀だった。もしかしたら、この鬼の核も、今、目の前にあるものかもしれない)


 浅くなっていた呼吸を、深めていく。


(思い出せ。今まで通ってきた道に何があった?)


 達磨。

 四肢のない女。

 狛犬。

 不死身の短剣。

 達磨、達磨、達磨……。


(っくそ、他に何か…!)


 月光に照らされた尼鬼の姿を見る。

 真っ赤な尼僧頭巾とかんざしのような一本角、瞳孔さえ白い瞳。そして――異常に長い手足。先ほど口にした、男も女も嫌いだという台詞。


(人嫌いのこの鬼が今まで狙ってきたのは女の人だけ……どうして同性ばかりを狙うんだろう)


 無作為に選ぶはずなのに、こだわりが見える。女に対する憎悪が男に対する憎悪よりも遥かに上だということだろうか。


(必ず四肢を取るのも、目を取り除くのも、何か意味があるはずだ)


 思考を始めると、動きが止まるのは悪い癖だ。



 ――パンッ!



 独特の浮遊感と衝撃を経て。


 目蓋を開けると。


 そこは――


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