第二章 真白の達磨

六 暗転


――平成30年7月2日・16:30――



「じゃあまた明日ね!」

「バイバーイ!」


 女子中学生が住宅街の交差点で分かれて帰路につく。


「ただいま〜」


 家のドアを開けて鞄を下ろし、ジュースを飲みながら椅子に座る。リラックスして携帯をいじる彼女の頭上で時計の針がカチッ…カチッ…と時を刻む。



 1時間後。

 母親がパートから帰宅した。


「よっこらしょ……あっ、三穂〜? あんた! 靴揃えなさいって言ってるでしょ! まったく……」


 スーパーの袋を玄関口に置いてリビングへ上がる。


「……?」


 食卓の椅子に――赤い達磨が座っていた。

 不審に思いつつ、キッチンに買い物袋を置き、達磨に近づく。


「三穂ー! あんた、この達磨何よ!」


 二階にいるであろう娘に大声で聞いてみるが、返事はない。

 恐る恐る触ってみる。ヌルッとした感触の赤いペンキのようなものが指先につく。


「うわ…何っ!? ペンキ? 塗りたてじゃないのよ!」


 急いで水で流し、


「あんた、あの達磨塗りたてじゃない。なんで椅子に置くの、よ……?」


 娘の部屋のドアを開けて、首を傾げる。



 娘はどこにもいなかった。



 リビングへ降りて、学生鞄を確認してから電話を鳴らす。

 椅子の下に落ちた携帯が鳴る。

 家中を探す。



 娘は、どこにもいなかった。



 食卓の達磨だけが、不自然にそこにあった。







「……2日・大石三穂(14歳)。5日・佐藤楓(28歳)。9日・新井奈美(32歳)……」


 きょうすけが車酔いで戻す中、助手席の公安職員が資料を読み上げる。


「いずれも自宅には所持していなかった筈の達磨が置かれており、怪しんだ身内や友人、上司らが警察に通報。表向きは行方不明として捜査が続いていますが、これは”特殊事件”ではないかと第五課に案件が回ってきた次第です」


 嫌な沈黙が車内に流れる。職員が続けて、


「被害者の共通点は同じ小学校出身というところです。達磨関連で何かないかと調べてみれば、この小学校、遠足で達磨寺と呼ばれる場所に行くのがお馴染みだそうで」


 全員で端末を覗き込む。


「思ってたより場所が近いな……」

「遠足向きね」

「住職にお話を伺おうと昼間に行ってみましたが、私どもは異変を感じませんでしたので、皆さんには夜間の様子を見に行って下さればと」


 了解、と俠介以外が頷く。

 一つ、気になる事があった。


「その達磨はどこに?」

「ただ捨てるには何だか怖いからと……”達磨寺に”」


 件の小学校をフルスモークの窓越しに見ながら通り過ぎて、山に入っていく。


「それにしても、獄だとしたら昔から異変はあった筈ですよね?」


 遊衣子が言う。


「はい。付近の行方不明事件を洗ってみましたが、一番古いもので江戸時代の書物にありました。いなくなったのはいずれも女性ばかり、そして必ず幼少期に達磨寺へ参拝しています」

「どうして?」

「七五三ですね」

「あら、盲点」

「寺の創建はいつ?」

「お待ちを」


 職員が資料を巻き戻す。


「……創建は室町時代末期、元は小さな観音堂だったそうです。現在でも地元民の信仰も厚く、かなり由緒あるお寺だそうですが……調べていくうちに、こんな言い伝えを発見しました」

「曰く、”夜の達磨寺には近づくな”。”だるま女に喰われるぞ”」


 黄昏時の道を車は走る。

 遠くに寺の屋根が見えている。


















 ――???――


 狭い一室に、一人の尼とセーラー服の少女がいた。


「ゔ…ゔ…!」


 泣き叫ぶ少女の口を鷲掴んで尖った”黒い爪”を左目に食い込ませる。


 グジュ、リ。


 血が畳の上にボタボタと落ちて、少女の手足が激しく痙攣して、脱力する。

 恐怖に染まった黒い目がころん、と転がった。


 嗚呼、憎い。

 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。


 手足をもぎ取っても、目をくり抜いても、許せない。

















 バタン、バタン、ダン……。

 車を降りた面々が階段の前に並び立つ。空は暗い紫色に染まり、麓の家々には明かりが灯る。

 獄は昼間は表の顔を通し、夜になると化けると天羽に教わった。職員が携帯で時刻を確認し「17:59分です」と言う。もうすぐ夜だ。

 石階段の先の大きな門。閉じ切られた扉の間の闇が蠢いた気がした。

 あの奥に一体何があるのだろう。行きたくないな、とゴクリ、唾を飲み込んで、震える手を腰の刀に添えた。ひんやりとした鉄の感触に少し安堵する。もう丸腰ではない、武器がある。それに、仲間もいる。大丈夫だ、と言い聞かせる。


「おうっ、ビビってんのか、りんさんよォ!」

「ぅ、わっ!」

「ちょっと、やめなさいよ。俠介」


 いいもん見ぃっけたという顔の俠介が体当たりしてきて肩を組む。僕の頬に鼻先を近づけて、


「いいか。テメェは小鹿みてぇに震えてていいんだぜ。俺様が! 一人で! 片してやるからよォ!」


 と、頭突きをしてきた。


「いっつ!?」

「あっ! こら!」

「ごめんなさい! 大丈夫? 俠ちゃん、あなたのこと聞いてからずっとこうで……」

「ただの噂なのに気にしすぎじゃない?」


 俠兄だっさ、とのぎが言う。


「あ"ぁん? テメェ今何つったァ!」

「ふん! 怒鳴ったって怖くないやい! だって俺、俠兄が初日にチビッたって話聞いてるもん! やぁい、チビリ〜!」

「テ…ンメェ……ッ芒都ォォォ!!」

「ああ、もう! 静まれ、者ども!」

「大丈夫? これ、使って。あの。俠ちゃんの頭すっごく硬いから……」

「あ、大丈夫……ありがとう……」


 遊衣子が車から保冷剤を取ってきて渡してくれる。


「んもう! 俠介がいるといっつもこう! 恥ずかしい。奥山くん、大丈夫?」


 夏世が話しかけたその時。



 ――ゴ、ゴ、ゴ、ゴゴ……



 寺の門戸がゆっくりと開いた。

 人の姿はない。

 皆の表情が締まる。

 

 俠介が芒都から手を離して、階段の一歩目に足を置き、振り返った。


「テメェら俺についてこい!」


 言い放って、2段飛ばしで登っていく。その後ろを芒都と遊衣子がついて行く。

 僕も振り返る夏世の元へ早足で向かう。


 生温い夜風に羽織の裾が翻った。

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