Chapter2. 明里と師匠4
倦怠感で目が覚めた。まず手の届く範囲で汗を拭く。
胸の辺りは特に気をつけないと
「おはようございます。初出さん」
「ああ、起きられましたか。今お茶を容れますね。座ってお待ちを。暖かくしておいて下さいよ。大事な体なんですから冷えは禁物です」
「ええ。ありがとうございます」
居間の方に弱い足取りで向かうと、柔和な笑みで二人は挨拶を交わす。
絵理は椅子に腰掛けてから、新聞を手に取りパラパラ目を通す。これが比較的体調の良い時に絵理が取る行動である。
最近薬物所持で逮捕される若者が増えている、そんなニュースが地方欄でも中くらいの見出しになっていた。地元ニュースでの扱いが大きいので、そんなにこの辺りも治安が悪くなったのかと絵理も不安な気持ちになる。
それでも彼女が即座にその記事と結びつけて想像してしまったのは、正義感の強い
明里姉さんは首を突っ込みたがるから、と自然に心細くなり表情も固くなる。
本人に自覚はなく、逆に余計な事に関わり合いにならないよう細心の注意を払って孤高を演出し、本気で危機管理は万全と考えている節がある。
ふと肌寒さを感じて、ティッシュで鼻を一度かむと、日本茶の葉を袋に入れて蒸らしている初出を見る。少し濃いお茶が好きな絵理の性格が分かっているので、毎回少し長めに蒸らしてくれるのがありがたい。
「何か食べられますか。昨日はメアリさんが作られたフレンチトーストを美味しそうに食べてましたけど」
「ええ。姉さんまた上手になりましたね。本当に私は姉さんにはかないません」
ふふ、と初出は優しい笑みを浮かべる。その表情は慈しみに満ちた穏やかさだ。
誰にでもこういう態度で気配りをし、不快さを感じさせないスマイルを浮かべられるものなのか、とちょっと変な感じもする。
この初出、眼鏡のフレームは細い職務能力は保証された知性派の女性だが、絵理には若干心理的距離が感じられた。それがプロ意識によるのか病人に判断は難しい。
服装も清潔感のある恰好だし、嫌味も言わなければ何をやるにもそつなく完璧。
だからか直感的に身構えてしまう。自分は心身が弱く完璧とは程遠く、姉は優秀なのだがストレートな感情表現をしない不器用な性格。それ故に損をする姉妹。
その必死な生き方が絵理にとって何より嬉しいのと、初出はまるで正反対。
それは初出の欠点ではないと絵理も承知している。
「君英さんがピーナッツパンを用意しています。小さいので幾つか食べますか」
「はい。そうします。あ、その前にお薬を飲まなくちゃ」
そう言うと、初出が水をマグカップに容れてくれたので、食間に飲む薬の束を水で口に入れていく。錠剤はまとめて飲んだ。粉薬はオブラートに包まないととても飲めないので、慎重に移してから一息にグイッといく。これも毎度難儀する。
「はい。どうぞ。お茶は熱いので気をつけて下さい」
「ありがとうございます。いただきますね」
絵理はこの淹れ立ての日本茶が好きだ。そこは紅茶党の明里とは違う所。
ミルクを多めに入れないとコーヒーが駄目なせいもあるだろうか。紅茶はストレートでも飲めるのに。姉はその辺こだわりが薄く気まぐれで何でも飲むようだ。
しかしその日本茶も絵理は猫舌なので、ふーふーと口を動かしつつちょっとずつ飲むというより啜るような量だ。
この日本茶独特の苦みは好きなのだから、人の好みは分からない。姉との違いに思いを馳せ、絵理は我が事なのに可笑しくなりクスクス笑ってしまう。
それに何も言わずにいてくれる初出は、確かに貴重な存在になりつつあった。
普通ならそれに疑義を差し挟まれるのが自然だろう。笑うにはそれなりの理由があるはずだと。ましてや思い出し笑いなどは、変な顔をされる事も多い。
絵理は小さいパンをモグモグと一口一口食べて、ゆっくり一つを完食する。これなら食パンにピーナッツを塗ったりしてもいい、なんて気持ちにもなった。
パンを食べていると初出が気温計を見ている。暖房はまだ必要ない程度だが、薄着だともう朝夕は肌寒い季節。
寒さに弱い絵理は冬が嫌いだった。何重に布団や毛布を重ねても、更に何枚も重ね着をしないと寒くて眠りにつけない夜もあるから。
そういう意味で彼女にはきっと、シャツとパジャマにもう一つ上に羽織れば事足りる今の季節が一番彼いいのかもしれない。
ただ、年々春や秋の季節感を感じなくなってきたのが悩みの種でもあった。
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