Chapter2. 明里と師匠5

 居間でくつろいでいると玄関の扉が開く音がする。姉が帰って来たようだ。

(姉さん、今日は学校じゃなかったっけ。何かあったのかな)


 薄いコートを着て、変わらず両側で髪を結ぶ姉の姿は、立ち振る舞いも美しい。

 姉曰く、このツインテールは戦闘態勢に入る準備だとか。

 靴下の拘りはショート丈の物を愛用していると教えてくれた事がある。


「あれ。起きてたんだ絵理。どう? 体調、少しは良くなった?」

「ええ。何でもないのに姉さんが心配し過ぎなんです。ほら、パンも食べましたよ」


 絵理はそう言って、姉を心配させまいと無理にでもぎこちない笑顔を作る。だが明里にはその頑固な空元気がお見通しのようだ。

 目元は優しい笑みなのに、「ま、いいけど」と相変わらず素っ気ない態度。


「なんだ。それくらい無茶出来るなら大丈夫そうね。でも昨日は何か嫌な汗掻いてたみたいに見えたから。――私の杞憂か」

「そういえば、うなされていたと言っていましたよね。何か不安はありませんか。手伝える事なら何でもしますよ」


 初出が絵理の顔色を伺う。明里も近づいて来て額に手を当てている。その姉の行動に温かいものを感じながらも、絵理は妙に気恥ずかしくなり頬を染めた。


「ホント。ちょっと血の気が足りないかも。熱はないみたいだし、ちゃんと気持ち悪くならない程度には食べておくのよ」


 そう言い残し、姉はまたきびすを返してどこかに出掛けようとすると見え、姉の服の裾を引っ張り無言で引き留めてしまう。まだ今のような触れ合いがしたかったから。


「ん? ああ、まだ家にはいるわよ。それとも側にいて欲しいんだ? いいけど、また夜は野暮用があるから、お父様にあなたの事任せるわ」

「え? 姉さん、そんな遅い時間に何か用事ですか」


 絵理の口調は弱くなり、顔も俯いてしまう。

 それに気づかず明里はええそう、と簡潔な答え。薄手のコートを脱ぎながら。


「友達と会うのよ。まぁそんなに遅くはならないと思う。でもどうなるかは、私もまだ分かんないのよね」

「久生先輩ですか? それならウチに来てもらえば・・・・・・」

「ううん。あー、じゃあ友達ってんでもないのか。知り合い、知人よ知人。色々と忙しいんだから。女には誰でも秘密があるって言うでしょ」

「――――――――」


 絶句する。秘密?

 私はまた置いて行かれるのか。姉と自分の隔絶を思い知り、突然混乱する。

 だが明里は気楽なもの。おかしな様子はなく、秘密の会合じゃなさそうだけれど。


「その内もっと友好関係が築けたらあなたにも紹介する。あなたももっと久生以外の人間と関わった方がいいもの」

「・・・・・・そう、ですね」


 その表情に影が差し、か細いつぶやきも弱々しい。

 しかし目元は前髪に隠れており、内気な妹の微弱な変化に姉の明里がすぐに察するのは不可能だった。


「あ、そうだ。久生も数日中に来るって行ってたわよ。邪魔はしないから私なんかよりあの子に優しくしてもらいなさい。あの子には素直に甘えられるでしょ」

「そっそんなこと・・・・・・。私っ、いつもと変わりません。そりゃあ久生先輩は好きですけど・・・・・・。でも姉さんも同じくらい好きですから」


 必死になる絵理の頭を軽く撫でてから、明里は面白そうに顔を綻ばせてはケラケラ笑っている。

「はいはい。じゃあ私にも甘えていいから。さ、もう部屋に戻るわよ。ちょっと見ておかなきゃいけない本があるの」


 絵理をその場に残し、姉は素っ気なく去っていく。いつだって姉妹の団欒だんらんは絵理が望むほどには続かず、姉は常に充実した人生を全力疾走中。

 それが浅倉家を背負う家長となる覚悟。

 努力を他人には見せず、水面下での鍛錬は休まず怠らない。


 ――それでも。

 絵理は寂しい。それが切実な想い。

 昔のように仲良く姉妹二人で、足並みを揃えて切磋琢磨したい。

 自分に困難な事を姉が習得していくのが羨ましく、叶わぬ憧れでもあった。

 だから姉に少しでも褒めて貰おうと、この弱々しい体を振り絞って、ベッドの中にだって本を持ち込み、出来る勉強は独学で何でもやった。

 姉の受ける大学の試験問題も解いた。魔術も座学だけは倍努力し、起きていられる時間は知識を重ね、時には父親の書斎から何冊も本を借り受けた。


 ――――だが。

 ――それでも彼女の姉は、物凄い速度で先へ進んでいく。

 追い着く為に頑張っても、先へ先へと突き進む姉には引き離されてばかり。

 自由な姉は特に責任感も強く、努力も人の倍欠かす事はない。

 だから、育った鳥が遠くへ巣立つみたいに、家という看板を背負った人間としても成長し続け、自らの世界を無限に広げて行ける。


 しかし明里は絵理の希望になろうと、言葉にはしない全てを背負い、妹にだけは負荷を掛けまいとしている事に、絵理本人が気づくのは難しかった。

 そんな煩悶はんもんが絵理の脳内に浮かんだ時、胸の内側と頭の隅々まで疼痛とうつうが走り、訳も分からぬまま息苦しかった。


「あの・・・・・・。気分が重いので休みます。初出さんお茶をありがとうございました」

 席を立ちフラフラと覚束おぼつかない足取りで自分の部屋へ向かう。それを見つめる初出は黙って片付けを始めていた。後には水の音だけが流れ・・・・・・。


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