Chapter2. 明里と師匠3

 父の記事も載った会誌に軽く目を通しつつ、祭の仕事ぶりを観察するメアリ。

 長居し店の状態を観察すると得心がいくのだが、ポツポツと疎らではあるものの来客は絶えない。ここは古書街の中心地ではない片田舎の無名店のはずなのに、一体どこにそんな客のニーズがあったのだろうか。


 どうやら祭は客に気に入られているようだ。店員としての信頼もある様子。

 祭も弁えているのか、客には必要最低限しか話しかけない。そして接客時には客の質問に丁寧な受け答えをし、高評価のリピーターを増やす心掛けと思われる。


 昼頃になり少し落ち着き出すと、二人は昼食にするそうなので、メアリも祭の誘いにあやかることにした。祭はエプロンを外して手を拭いている。


「祭ちゃん。それにしてもここで働いてると、学校の子は何か言ってこない? 師匠みたいな奇特な人と良くやってられるって」

「えー。まぁ珍しがられますよ。大学の近くにも高給なバイトはあるのにーって」

「悪かったね。頑固者の店主で」

「そういうんじゃないですよー、店長ったら意地悪ー」


 多分、雫師匠と祭は相性がいい。互いに極力不干渉で最低限の共有はする性格。

「でもスポーツしてる子で、ここまでの読書好きってそう見ないから、祭ちゃんが奇異に感じられるのよ」


 そう言うと、祭はうーんと顎に指を当ててから、思案顔でこう答えた。

 やはりこの子はあどけなさが残っているようで、大学生って感じに見えない。話し方や仕草が一々可愛らしいのもあるが。


「確かにスポーツ科学にはみんな熱心ですけど、小説って漫画に比べるとそこまで人気ないんですよねぇ。ドラマも映画もみんないっぱい見るのになぁ」

「手軽に数字が取れる商品に資本を注ぎ込まれた結果、最適化された文化産業に慣れちまったらそんなもんさ」


 師匠は辛辣だ。いつの時代も流れに乗る事だけに汲々としていた人間を大勢見聞きしてきて、師匠自身も世間というものを身に染みて感じているからだろう。

 直接悪くは言わないが、悪意がヒシヒシと伝わるのは気のせいではないはず。


「腰据えて取り組むのが好まれないわよね。省エネで短期的な結果重視。運動やってる子だと、余計に反省して立ち止まるのも難しいんじゃないの」

「疲れ果てても練習ばかりしてるイメージだよ、私は。時間も余裕もないんだね」


 メアリの言葉に雫がそう冗談めかしてニタリと笑う。こういう嫌らしい笑みを浮かべている時が、師匠は生き生きしていて、とんでもなく魅力的なのだ。

 唯一師匠自身が、弟子の姿は己が映し鏡と気づいていない。


「うーん。そうかも。アタシはそれほどでもないですけど、みんなやっぱり試合に勝つのが最優先ですからねぇ」


 ペラリとページを捲りながら、メアリは日本茶をちびちびと飲む。湯呑みの柄がコミカルなタッチのフォークを持った悪魔なのは、誰の趣味だろうか。


「ま、そんな大勢に流されることはないのだわ。大学でまで自立した人間に苛烈な虐めが起こるワケでなし。レポートは自力で、ゼミでは和は乱さず結果を出す」

「いや分かんないよ。運動部はそりゃあ陰湿だ。少女漫画の王道じゃないが、人の足を引っ張ってやろうってゲスな本性が人間ってもんさ」


 そう言い捨てるメアリに、雫はまたも意図的に辛辣な言葉の連打だ。そんな師匠にメアリは神経をビリビリ刺激されてしょうがない。


「何だか煮え切らないなぁ。そんな馬鹿共なんて返り討ちにして終わりじゃない」

「先輩みたいに強い人ばっかりじゃないですよー。ホントに人付き合いって苦労するんですから。運動部は未だに古くさい決まり事が多くて」


 本音を垣間見せながら、海苔弁当に入った魚のフライをパクリと食べた祭。醤油が上にチビリと掛かっている所に好みが伺える。


「ふーん。祭ちゃんでもそうなのね。でもアナタ、頼まれてもダブルスには絶対出ないでしょ。そこは頑固一徹で頼もしいわ」


 ふふっとメアリが笑いかけると、百点満点の輝きで祭は喜ぶ。まるで後光が射しているかのような無邪気さでメアリには眩しい。


「わー。そういう風にてらいなくアカリ先輩に褒められると嬉しいですっ。でもだからこそ――ここで働く喜びも大きいんですよ」


 なるほど興味深い話だ。大学生活のストレス発散も人それぞれ。それでこんな穴場でバイトを始めたワケか。

 祭は勉強熱心な性格が良さだ。運動部にしては教授陣の受けもいいと聞く。きっと絶妙な距離の掴み方は、師匠がうまいせいだ。

 それで呼吸を読む力が伝播して、無意識に祭も磨かれたのだろう。店主譲りというよりかは、祭の元からの性質が更に雫から影響されたと見た方がいい。

 そうして、ここで読書や好きな仕事に没入する。だから勉学も捗る訳か。恐らくそれは運動にもいい影響を及ぼしているはず。


「――――ふーん。私よりよっぽど適応力と流れを読む力があるわね。師匠に武術を学んだ成果が全然出ないな――私ってば」

 ポツっと独り言が漏れる。


 師匠は余分なアドヴァイスは一切言わない人。軽口の中に真理が隠されていたりもするが、端的に不器用な性格。だが技は勝手に盗めという昔気質ではない。故に雫師匠の人物像を他人に説明するのは難しい。


 とにかく師匠メアリ双方とも、武術の心得が生き延びていくのに必要だったから習得したに過ぎない。君英が娘に勧めたのも恐らく、女一人で生きる術を多彩にしてやりたいという親の想いが大きい。


  魔術師の世界もまだ女性が家督を継ぎ、協会内の地位を得るには障壁も多い。実力主義な為、能力不足であれば性別問わず容赦なく脱落していくとはいえ。

 悠然で静かに研ぎ澄まされた名刀のような空気を纏うには、メアリはまだまだ己が低次元だと自覚していたので、克己心だけは忘れないつもりだった。

 対照的に祭はのほほんとしているようでいて、荒海を乗り越えるのに必要な精神的調節の肝が一息で呑み込めている。


 ――――参ったわね、と内心を悟られないようにお茶を一口すすった。

 お茶はほとんど残っていないのに心ここにあらず。空になった湯呑みを奇妙な仕草で弄んでしまう。そんな彼女に対し、雫は黙って鋭い目を注いでいる。


 ――何かある。と彼女の直観が告げていた。

 ――きっと波乱が起こるだろう、と。

 こりゃあ近い内、同居人の開発した魔術師向けアプリでも教えてやるかねぇ、と空間の静寂は保ちつつ、黙々と弁当を片付ける。


(それよりも心配なのは絵理だね)

 と雫は澱みそうな彼女の内面を慮る。

 恐らくあれじゃあ近い内に自壊してしまう、と雫が危惧を感じてからもずっとあの子は辛抱強く我慢し続けているのだから。


 自分が生きてこられた強さを、あの子にも求めるのは酷だろうか。

 あの子は優しすぎる。不満すら吐き出せないまま、どこにも逃げ場所がない。


(今夜口実でもつくろって、君英に手土産持って様子を見に行くか)

 熱いお茶を涼しげにゴクリと飲み下してから、メアリが見ている冊子に目をやる。


 ――都市伝説。怪談。魔術。虚実。起源。

 ――――そして、彼女だけが同居人から聞くある特殊な能力者たち。


(全く。文句も言わず内に溜めてばかりじゃあ、かえって何も諭せやしない。明里も絵理もホント、似た者姉妹だよ。――誰に似たのかねぇ)


 頑固で一途。だからこそ心配も一層深まる。

 またその内稽古でも付けてやるかね、と思考を打ち切り食事を終えた。


 メアリが冊子を見つめている姿は、外面的には変化はなさそうだ。

 祭は普段通り、感心を通り越して呆れたポカポカ具合。この子が曇る事はそうないと推測出来る。自分の機嫌の取り方を心得ていて、既に一人前と言える。


 ――そして、嵐に備えるべく雫は一人動き始める。いつ頼りにされても、然るべき行動を起こせるように。

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