Chapter2
Chapter2. 明里と師匠1
果てを求めて
起源を求めて
だがどこにもたどり着けず
だからここに戻って来た
いっそ誰かが教えてくれればいいのに
その境にある答えを
ムーン・ティー『In Search of the Covered Secret』~『Perfectionより』
「お父様は超常現象って信じますか?」
朝食の後、メアリは父に尋ねてみた。
二人とも揃った食後の紅茶タイム。イングリッシュ・ブレックファーストをストレートで。メアリは砂糖が少し多め、父はそのままお茶の味を楽しんでいる。
父は既に出勤の準備を済ませ、体格に合ったグレーのスーツを身に纏う。通常より細いネクタイで紺色のストライプ模様。
「なんだね急に。怪談にでも興味があるのかい」
「い、いえ。別にフィクションの話じゃなくて。その、変な事聞いてごめんなさい」
手をパタパタと振って可愛く訂正する。あまり父親を心配させたくないので、これからの計画は黙っていなければならない。
「いや、いい。だが――そうだな。巷に流布する伝説や怪異譚は、魔術の影響を隠匿したケースが多い」
「――事後処理にそういった嘘を混ぜるんでしょうか」
真面目な話として、父が返事をしてくれるので、メアリも真剣に話を聞く。花びら模様が描かれた赤い服の胸の前でキュッと手を握って。
「そう。尤も、異形の存在が歪められて伝わる場合もある。これは神話や伝承だけの話ではなく、実際に「魔」という分野を研究している魔術師もいるくらいだからね」
「それは――本山でも、なんですね」
コクリと首肯し、君英はカップをソーサーに置いて、口元をハンカチで拭う。
「明里。君もあそこを目指すなら、禁忌に近い分野も知っておかねばね。魔術師という存在は、案外脆く――そして危うい」
「――――――――」
きっと父は自らそこに飛び込んだ結果、挫折した過去を回想しているのだ。
多分、彼にはそういった危険を冒すのが耐えられなかったのだろう。何人も虚無に落ちていった魔術師を見たはずだから。
つまり、本山というのはそういう場所だ。開かれているが険しい。真に歴史的な業績を残す魔術師は一握りしかいない狭き門。
「魔術師の求める〈エンテレケイア〉など気にしない方が良い。これは父からの忠告――――いや、というより助言かな」
「――あの、魔術の完成にお父様は興味がないのですか?」
そう怖ず怖ずと問うメアリに、君英は自嘲気味に口を歪めて笑う。
「いや、そうではない。その魅力に取り憑かれれば現実味を失うのだ。この意味を分かってくれるかな、明里。アリストテレスが考えていたのは、多分生成現象としてリアルな完全態であり、この現象界という名実体が完全へ至る道であったはずなのだと私は解釈しているんだ」
「エンテレケイアを目指す魔術師は、必ず袋小路に陥る、と言いたいのですね。個人としての魔術師の地力だけでは、到底世界を変える力は得られない、と」
うん、と今度は父の顔に若干だが喜びの表情が浮かぶ。
娘とこういった話題を共有出来て、心底彼は楽しそうだ。その微妙な表情の変化にメアリも釣られて、クスリと微笑が漏れてしまう。
「そうだね。だから魔術師は現実の改良に目を向けるべきだ。現代では特にね」
「・・・・・・なるほど。役に立たない魔術研究ではなく、本当に世界を変え得る技術として打ち立てるべき、という意見は確かに魔術師の主流からは外れていますね」
とはいえ、君英は本山の部署が発行している会誌にも寄稿している。それを彼女が読む限りは、古い価値観の魔術師とも共存出来そうな理論が構築されているのだが。
「ああ。だがまぁ銀行のセキュリティに応用出来ないのはもどかしいよ。この家にはそれ以上のシステムを組み上げて、魔術式を巡らせた結界を張ってはいるがね」
尤もそれは術者の腕前通りかなり弱いものだが、と弱気な補足を父はする。無糖の紅茶をくいと優雅に飲んで、いや話が逸れたなと元に引き戻してくれる。
「だから怪異というものは現実にも存在すると言えるが、都市伝説の類は人間の心理や伝達される場としては魅力がある。そういう意味では、あまり魔術師が本気で首を突っ込む題材でもあるまい」
「まぁ、眉唾の話ばっかりなのは分かりますが。でも市井の人って本当にそういう噂話が好きですよね。コロコロ内容は変わるのに拡散は早いです」
くくっと笑うのを堪える彼は、苦い経験と新規な情報への興味が入り混じる。
「はは、違いない。だがそれも馬鹿には出来ない。そういった説話の中に、社会や人間の奥に潜む異常や真実を読み取る事も出来るからね」
やはり先程よりも楽しげだ。本音では父も体験の蒐集が好きなのだろう。経験上あまり素直には飲め込めないだけで。
だが彼は仕事にはしないと割り切っている。それが彼の処世術だろう。
「確か吸血鬼に関する研究や、幽霊譚などの事例を纏めた会報があったはずだ。持って行くといい。――――いや、あれは
「師匠が? ああ、同居人の方が面白がって読むんでしょう。じゃあ師匠の店へ借りに行ってみます。お父様の朝の貴重な時間を割かせてすみません」
そうメアリが言うと、君英は妙にいつもよりも弾んだ声で娘に返答する。
尤も、他人には毎度冷静な彼の態度と変わらず、娘のメアリと絵理くらいにしか判定不能なのだが。後は付き合いの長い師匠みたいな鋭い観察眼の人に限られる。
「いや、明里と話せて楽しかったよ。娘に嫌われないようにとは思うのだが、なかなか若い娘の気持ちを慮ることが出来なくてね。こちらが君に迷惑を掛けていないか」
「そ、そんな事言わないで下さいお父様。私はお父様が好きよ。絵理もきっと。いつだって私たちには、尊敬出来る素晴らしいお父様なのだもの」
「そう言ってくれると嬉しいよ。力不足だと認識しているがね。さて、そろそろか」
その生真面目な表情を幾分か和らげて、君英は腕時計を見つめると、次の瞬間にはもう固い眼差しに切り替わり、職業人の姿になっていた。
「あ、行ってらっしゃい。私もちょっと夜は遅いかもしれません。一度師匠の所に寄らせてもらってから、友人と待ち合わせがあるので」
ネクタイを正して、君英はああそうか、と短く返事をする。素っ気ないが、それでもこちらの言葉は漏らさず聞いてくれているのがメアリには分かる。
「君ももう成人したのだ。父親としては心配だが、自由にしたまえ。魔術師なら一般の女性よりも身を守る術は心得ているだろう」
家族が増えれば、それだけ気を揉むのが親というものだが、と一言つぶやき、
「だが父は娘たちをいつも第一に考えて、危ない橋は出来れば避けて欲しいと心配ばかりなんだ。時には挑戦も必要と弁えている故、あまりうるさくは言わないよ」
そうして時間に余裕を持ちながら、慌てる事もなく、普段通り落ち着いて姿勢の良い物腰のまま、父は出社して行った。
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