Chapter1. 魔術師と改人8
薄汚れたアパートの一室に男が一人、胡坐姿で直に座っている。フローリングには何も引かれておらず、部屋は殺風景。申し訳程度に薄いカーテンが掛かるのみ。
男の頭髪は逆立っていて短く、異様に腹だけ出た体型だ。薄汚れ痛んだ服装にグラサン姿なのが、堅気には見えな印象を余計に強めている。
そして、卓袱台の上に置かれたパソコンの画面は何かを映し出していた。
音量は小さく流れている。
どこかの誰かの視点から、男の端末は映像が受信し、その情報から分析と監視をしているらしい。だが男はそれを横目に小型の機器で何やら忙しく閲覧もしている。
そこにカチャリと扉が開き、誰かが遠慮がちに入って来る。
この男、今まで鍵を掛けずにドアを開けたままにしていたらしい。
「ただいま戻りました」
「おぉ。遅せェぞ、アナリサ。こっちは特急で仕事してるってのによ、テメェは呑気なモンだな。エェ、おい」
ギロリと彼は、そのアナリサと呼ばれた少女に向けて吐き捨てる。左手はクチャクチャとスナック菓子を貪るのを止めないようだ。既に左手は脂ぎってテカっている。
「すみません、ポップトーン」
「どうせしくったンだろ。盾以外なんも役に立たねえカスがよ。そんなンで良くEXクラスだなんて言えたモンだ」
ケッと毒づくポップトーンは、炭酸飲料を口から零しながら飲み干す。手で直接拭い取っておいて、また心底ダルい口調でアナリサに首尾を聞くポップトーン。
「で? 噂に信憑性はありそうか。調べはなんもついてねェってんじゃあるまい」
おどおどした少女は態度の大きい上司に隠し立てせず、下を向いてただ報告する。
「はい。死神とブラックスターの件は、やはり人口に膾炙しているようです。そこで協力者を取り付けました」
「ほう? 体を報酬にでもしたか。グズも時には上手く点数稼ぐか。クハッ」
「・・・・・・・・・・・・」
立ち上がり、ポップトーンはアナリサの側までズカズカと歩み寄る。こうすると案外彼の背は高く、体型の割りには筋肉量も多い。
「まァ、テメェはそうやってうろうろ遊んでな。俺も忙しいからよ。その〈ブラックスター〉ってのがSPかもしれないンでな」
「・・・・・・はい。まだ具体的な目撃情報はありませんが」
「そらそうだ。こっちは駒を作って人海戦術してるンだからな。俺の〈ロウ・ライフ〉でも捕まらなねェ。テメェも逃げたりしたらどうなるか――ワカってんな?」
「・・・・・・・・・・・・はい。いつでも呼ばれれば行きます」
「――フン。俺ァ、Cマイナス級で戦闘能力もカスだッてのに、こんな足使う任務ばっか回ってキやがる。その為にオマエって保険があるのさ。――と、死神だ?」
ピクリと眉をポップトーンは神経質に動かす。何か琴線に触れたようだ。
アナリサは上着も脱がずそのままで、肌寒そうに腕を体に回している。ここは暖房も使用せず、設備は最小限しかない。長居しない彼ららしいといえばらしい。
「
「・・・・・・わかりません。まだ詳しく聞いてないので」
「じゃあそれも調べとけ。ヤクも出回ってるようだ。腐敗や犯罪増加は機関の管理体勢にも係わる。この町ではそっち方面も動かないといけねェ。ったくクソみたいな不相応に高い金の道具で、人間の未来や可能性を摘まれるのをNPGは嫌うッテよ」
そう。虚実機関のモットーは基本ノー・ドラッグ。それがどれだけ規定に沿っているのかは怪しいが、時々こうして小さな麻薬ルートを末端が潰したりもしている。
裏で繋がってないとも限らないがな、と掃き溜めで生き続けている脳のいらつきをスナック菓子を貪り食うことで紛らわせながら、ポップトーンは投げやりにぼやく。
(全く、SPの管理や排除なんて、
ポップトーンは虚実機関の任務で味わう地獄を知っている。そして、彼らでは束になっても敵わないSPが幾らでも存在することを。
(ssだとか七色の虹をもっとこき使やァいいんだ。――――クソが)
そうやって毒づきながらも素早く手は動かしている。
その横ではアナリサ――倉久天理が所在なげにボーッと突っ立って居る。
「SPに近づくのならよ。駒はとにかく必要だ。オマエにもこれを渡しとく。ホレ」
ポイと投げてブツを寄越すポップトーン。
汚い手で触ったそれに触りたくなかったが、天理はその武器を両手で広う。ズシッとした重みが彼女には不似合いだ。
「そいつはな。対魔の力、それ以外にも効くって触れ込みの、
「――――はい。生き残ってみせます」
そう機械的に言う受動的な天理に対して頭を鷲づかみに押さえ、ポップトーンは苛立ちを隠さずに暴力を振るい罵倒する。
「おいおいおい。本来の目的忘れんな。俺たちゃァよォ、機関の道具だ。SPを分析する材料を集めりゃいいンだ。生き残りは二の次だって散々言っといただろうガ!」
「・・・・・・・・・・・・ッ!」
床に叩きつけられ蹲りながら、天理は反論もせず空虚にポップトーンを見つめる。
「――ケッ。悟ってんなら心にもないこと言うンじゃねェ。テメェのその腐りきった目が気に入らねェって前にも言ったよなァ」
「・・・・・・はい。すみません」
「フン。無能同士のチームに手札なんてねェがよ、貴様もカスの癖して上司の俺を内心見下してンだろォが、ええ?」
「――――そんなことは」
ハッと嘲笑して不快を撒き散らすポップトーン。彼はどうも不機嫌なままする八つ当たりを隠そうともしない。
「いいか。状況見て応援は呼ぶ。だがそいつはアテにせず、とりあえずヤクのルートも調教が済んだヤツから順に辿る。テメェはその一銭にもならねェ貧相な体で、何が出来るかナイ知恵絞ってキリキリやってこいや」
この上司はクチャクチャ言いながら怒鳴るものだから、唾と食べカスを多量に飛ばして会話をされるのが、天理には堪らなく気持ち悪くて生理的に不快だ。
とはいえ、嫌悪を隠すのも慣れた。どうせ彼女に境遇は変えられないし、それはポップトーンとて同じだ。
虚実機関の改人に他の選択肢はない。何故ならそういう風に操る為にチップだか何かを埋め込まれていると、信憑性があるのかどうだか分からない話も機関の内部で流布しているのだから。
だからNPGは改人のデータを定期的に取り、膨大に蓄積した情報を整理し記録している。しかも外部からのアクセスを拒むクローズドな未知の記述で。
SPについての情報もその一つ。
一説に寄ると、改人の特殊能力はSPの研究から生まれた、あくまで人工的に再現された能力らしい。SPの被験データを元に、虚実機関は人類全体の進歩の可能性と新たな価値との調和を探っていると聞く。
だが稀に天理のようなEX級が出来上がる。それ以外に研究データを提供するSPの協力もあるとも。どうやって従わせているのだろう、と天理には想像も及ばない。
だがポップトーンのようなクズも多い。だがそれだけに彼は
その〈ロウ・ライフ〉という才能があるからこそ、彼は今まで生き残ってきたともいえるだろう。彼の能力は情報収集や工作に非常に向いている。だから今回の任務も彼に振られたのかもしれない。
とりあえず明日もまた明里に会わなきゃ、と連絡を慌てて入れる天理であった。
そうしながらポップトーンを伺うと、彼はもう天理には目もくれないで、ずっと二つの作業を併行しながら、クチャクチャと口も動かしている。
布団は隅にある煎餅布団しかないようだ。毛布くらい用意出来なかったのか。
いつも彼はこんなおんぼろアパートを好む傾向にあった。寝床にも構わない。ホテルくらい機関の人間なら容易に滞在許可が取れるだろうに。
うんざりした精神は摩耗し、随分長い期間の中で天理は慣れてしまった。
しかし、だから彼女は自分の幸せを求める気持ちなどというものを、ついぞ考慮に入れた事もなく、そうする事を当然と受け入れるしかなかった。
改人はある程度粗悪な環境にも適応していけるのが幸いか。
寒空は雲で陰っており、月は見えず空は暗く静かだ。彼らを脅かす、この町で猛威を振るうソレはまだ胎動を始めたばかり。
探索開始一日目が終わる。
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