Chapter1. 魔術師と改人4
講義は数コマ終了。メアリが学内のテラスでカフェオレを飲み寛いでいると、見知った顔が近寄って来た。今メアリはどうにも集中力が続かない状態で、勝手ながら自主休講中なのに、どうしてこの女は嗅ぎつけて来るのか。
癖のない綺麗に整えられたショートカットに眉を短く手入れした、風貌の第一印象に反して、周囲からは信頼されている
白く脱色した髪色なのは、彼女の本音では自らの趣味と異なり、人が必要以上に寄って来ない魔除けなんだとか。
ワンポイントにイヤリングを両耳にしているのが、その鋭い雰囲気も相まって近寄りがたさに拍車をかけている。それなのに妙に人には親切で、頼られると素直に手助けをするギャップも彼女の本質だと、メアリは熟知していた。
そんな接点のなさそうな二人が何故一緒にいるかというと。
絵理と久生の交友から同じ高校だと判明し縁が出来た、端的にそれだけである。
二人は気が合うでもないのに、ずっと踏み込まない不思議な交友関係が継続中。
そもそもは絵理が運動も兼ねて外出した折、久生が図書館でぐったりしていた絵理を気遣い家まで送ってきた、何ともお伽噺のような浮ついたエピソードが発端。
絵理が久生に憧れているのは、外からは明らかに判る。
久生は大人としても理想的で、他者への配慮が行き届いた性格だとメアリも素直に同意するし、事実細かい変化を見逃さず、指摘するのも忘れないマメな性格だ。
だけれども、メアリにはどうも久生が微妙にズレている気がしてならない。
メアリの事となると、心配性が異様に高まり保護者みたいである。
それに加え、姉妹にはやたらお節介を焼くのに自分の事になると無頓着。不思議な信頼感から頑固なメアリもあまり強く出ず、忠告に極力耳を傾ける所か。
「や、
チラリと久生を一瞥し、魔術師は目線を本から上げず、静かに事実のみ語る。
「ただ語学の勉強をしているだけよ。音楽や文学は生きた言語を学ぶのに最良なの」
メアリは普段から意識的に外国語の本を持ち歩き、在宅時の読書もそれだ。
「それも出来るだけ俗なジャンルがいいんだろうな。うん、なんか実が入ってないみたいだから、どうしたのかなって」
これだ。さり気なさを装うのは毎回同じ。
彼女はちょっとした表情や仕草から、様々な情報を読み取ってしまうので、黙ってやり過ごす事が非常に難しい。
フン、と鼻を鳴らしてメアリは冷たく言い切る。
「どうってことないわ。我が事ながら嫌になっちゃう。久生にはそれが見過ごせないんでしょうけど」
メアリは一呼吸置いて、更にこう補足した。
「科学解説書とかジャンル小説は日本語で読んでるから。濫読よ濫読。口語も俗語も専門的な語彙にしたって貯蓄が多いに越した事ないんだから」
はは、違いないや。オマエはどんな事だって、何でもないって感じに涼しい態度を装いたがるもんな、と軽口は崩さず久生はポンと肩に手を置いた。
嫌そうな顔をこちらがしても、彼女は距離を詰めるのをやめてくれない。どうもこちらの反論は毎度ながら、まるで聞いちゃいない。
それだけに、イヤリングがゆらゆら揺れているのが、メアリにはどうしても気になってしまう。その耳元の運動に気が散るのだ。
「また絵理ちゃんの事か。だからまだ講義はあるってのにこんな所で呆けてたのか」
「・・・・・・ただの気晴らしよ。今日は残りの講義に出る気にならなかっただけ。遅れはちゃんと取り戻すわ。アンタに指図される謂われはないったら」
「ハハ、違いない。だけどな、そんな風だとオマエがいつか潰れちまう。
はあ、と無意識に吐息を零しながら、メアリは冷めたカフェオレを一口飲んだ。
自分の悪癖に観念した様子で、メアリは久生の方に目を合わせ話し出す。
「そうね。師匠は自分の弱点を悟られるようじゃまだまだだって言うから。でも私やり切れなくて。責任持って私が強くならないと、って毎日自覚はしてるつもり」
肩に置いた手をぐいと指圧のように押しながら、久生はニッと歯並びの良い白い歯を見せた。その笑顔はやはり曇りなく、それがメアリには羨ましくも妬ましい。
「なに、背負う荷物だったら一緒に背負ってやるよ。特殊な使命を持った家族の一員にはなれなくても、相談や手伝いならアタシにいつでも言えよ」
明里は美人で文武両道なのに、独り孤独に全部の覚悟キメすぎなんだよな、とまた冗談を言う久生に言われた方はムキになって反応する。
「何よ。美人かどうかなんて人生の重さ軽さに関係ないじゃない。それともなに、恋でもすれば楽だなんて馬鹿げた事言うつもり?」
「別にそういうんじゃないよ。ただな、アタシ以上にオマエは棘だらけだから。妙にサディストっぽいって思われてるぞ。もっと視野を広げて逃げられるルートを複数用意しとけよ。結論を急ぐなって言ってんの。その為に経済学専攻したんだろ」
経済学は関係ないと思う、という言葉を呑み込んで、メアリは素直に久生のアドヴァイスを咀嚼する。実践するかは別として、親友の言葉は理に適っている。
でも、全てを分散投資と割り切って省エネのドライ思考で生きられるだろうか。
「ま、奇跡のような出会いとかキッカケがないと、オマエら姉妹は頑固でなかなか修正は難しいか。女同士本気の喧嘩でもすりゃあアイデアが湧いてくるかもだぜ?」
また久生の持論が始まった。
彼女にしてみれば、メアリは絵理から逃げ回っているように見えるらしい。
だからか、久生は頻繁に絵理の部屋に通い妹の数少ない理解者になった。絵理との仲ももう長いのだ。手を握って優しくする久生に、絵理は真っ赤になって恥じ入っているのを度々メアリは目撃している。
長い息をゆっくりと吐き、閉じた洋書をバッグに仕舞う。そして、無自覚はお互い様かと虚空に呟き席を立つ。この友人にもちょっとは寄りかかってもいいか。寄らば大樹の陰かはまた話が変わってくるが。
それが唯一可能なメアリの善後策。彼女の頼る相手は本当に少数しか居ない。久生は稀少なほど親切な友人だ。
「じゃあまた絵理の見舞いにさ、近い内に来てくれるかしら。あの子、アンタが来る日は機嫌が良くなるのよ。私じゃ埋められない隙間をアンタが埋めてちょうだい」
くっくっとこの女は何がそんなに楽しいのか。顰めっ面をしながら仕方なしに譲歩するメアリを見て、久生はケタケタと愉快気に笑う。
この
「ハハ。まぁ絵理ちゃんは頑固だからなぁ。オマエも相当だが。クククッ。いやーホント仲睦まじい姉妹で嫉妬するくらいだ。似た者同士。クククク、あーおかしー」
「フン。言ってるといいわ。さ、何か奢ってあげようじゃない。アンタはまたたらこスパゲティでも食べてるといいわ」
「おっいいねぇ。それでこそ明里。気前のいいのを大学の奴ら知らないもんなぁ」
もう無言で歩き出しているメアリ。久生の軽口に一々突っ込んでいたら、無限に漫才の相手をさせられてしまう。
故に今の距離感が、この二人にはパチリと噛み合っているのだ。
長年の相方には自分の理念をその都度伝えなくとも、絶妙に伝わるものだ。
それよりも彼女が言うように、メアリには妹の方が分からない。だから彼女は実の妹と話す
妹は自分の気持ちを押し隠して、ずっと苦痛に耐え続けている。よく文句も言わずに耐え忍ぶな、と姉自身、呆れを通り越して思い詰めてしまうほど。
さて、今晩は滋養があって胃にも優しい夕食でも絵理に作ってあげようかなと考えていると、たらこスパゲティを注文している久生が和風ハンバーグも追加していた。
・・・・・・ちゃっかりしている。
それに苦笑しつつ、メアリはゴミ箱に飲んだカフェラテの容器を捨てる。それからまたコーヒーを注文した。今は何となくブラックで苦みに浸りたい気分。
――――だが、うん。そうかもしれない。と納得する。
久生と話していると少しは
私は間違えているかもしれない。それでも浅倉姉妹の姉にとって、妹を大事に想う強い感情は他の誰よりも強いのだから。
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