Chapter1. 魔術師と改人3

 食事を済ませ出掛けるまでに、メアリは時計を部屋から取って来る。

 年代物の銀時計。何も知らない友人たちからは、何でそんな古く薄汚れた物を持っているのか初見時には大抵詮索される。

 だが説明の必要を感じない彼女は、毎度適当に誤魔化していた。その理由を知っている友人は久生くらいのもの。


 メアリ自身が大学生になってから習慣的に持ち歩くようになったのは、これを大学入学時のご祝儀として、父からプレゼントされたからだ。

 一族が代々使用し受け継いできた、アナログのネジ式懐中時計。その古めかしい見かけ通り頻繁にネジを巻く必要がある。なので使い勝手はそれほど良くはない。

 メアリはもう二回生だが、一目で気に入った入学時からずっと愛用し続けている。

 将来当主になる人間はメアリなのだから、自分はもう家督を譲ろうというメッセージを父は暗に含ませたのだろう。


 父は自分の実力に弱気なのだ。事実、才能がないと嘆いている。

 浅倉家は既に魔術師の家系としては没落した身。グラフィティ・ブリッジにも有力なポストはない状況だ。父が機関誌に度々寄稿していても宛にはならない。

 父は座学専門で魔力も弱く、魔術師としては三流だと軽蔑されている。学者に近い知識量を認められている程度で収入源にすらならない。


 そんな経緯もあって、父はメアリに多大な期待を寄せていた。

 娘の才能や努力を認め期待しているだけでなく、婿を取れとか結婚や出産を強制する節もなく、娘の人生は自ら決めさせ、口出しはしない。

 家督がメアリたちの代で潰えるなら、どこかから養子を取るなりしてでも、魔術は伝えられると父は考えている。血統よりも魔術の継承に魔術師は重きを置くからだ。


 メアリはそれでも人生ままならないと、内心諦めのような気持ちでいた。自分程度の魔術師が、家の誇りをこれから生涯背負っていくなんて。

 父から教わった技術の一つに、メアリは特に愛用中のものがある。この懐中時計にその技術で貯金用の魔力を蓄え始めた。だが実の所、本当に魔術の才能があるのは自分ではなく絵理だとメアリは信じて疑わない。


 だが姉としては負けたくもない。メアリは自分から降参するたちではなかった。

 だから毎日大学の勉強の合間に座学から実践まで父に師事し、独学でも必死に努力と根性で自分を追い込み、備えの魔力貯蔵を休まず、魔力の質も高め続けた。

 浅倉の魔術は物質へ魔力を通す事に長けている。故に補強や補修といった素材の強度を上げる工程が主な専門分野。古来より人々の生活に寄り添い役立ててきた。

 例えば建築。または堤防や砦など。災害への対策、防衛などと用途は幅広い。


 メアリは赤い生地に白いドクロ模様の入ったセーターに身を通すと、いつも精神がシャキッとした心持ちになる。これは自分で編んだ物で、久生からは流石明里の趣味はサイコーだと快活に喜ばれた。

 メアリは己の美学の為にはどんな努力も惜しまずコストも度外視だ、と褒めているのか呆れているのか分からない、面白がるようなコメントを補足して。


 それから懐中時計のネジを巻き、薄いクリーム色の秋物コートのポケットにそれをそっと忍ばせる。手袋もそこに入っており、落とさないようジッパーを閉めると、家を出る支度は完了だ。もう片方のポケットには家の鍵が入っている。


 父は既に出勤していて、そろそろ絵理を世話する初出はつでが来る頃のはず、と思った矢先にリリリと呼び鈴が鳴り、初出が到着する。


 メアリは均斉に整えた髪と背筋を伸ばした姿勢で、外向きの表情を作り向かう。

 秋から冬に季節が変わり始め、木枯らしも厳しくなるとスカートよりロングパンツは冷えを防ぐ一点では、機能的で良いとメアリはシンプルに思う。レギンスも有用なのだが、どの方面からも注意を払う事が心底馬鹿らしく感じられた。

 その点は久生も賛成してくれるし、師匠からの影響が大きいかもしれない。彼女は緊急時の対応を考慮し、動きやすさと利便性に重点を置くだろうが。


「おはようございます。今日は絵理さんの具合、どうですか」


 その若い女性の出で立ちは、緑色の上着に濃紺のフレアスカート。縁の細い眼鏡が落ち着いた印象を与えるものの、丁寧な物腰と表情。癖のないストレートヘアが穏やかさと清潔感を後押ししているだろうか。


「おはよう初出さん。絵理ならまだ眠っていると思います。フレンチトーストを作っているので、温めてから出して下さい。もう切ってあるので。それと汗を掻いてるようなら着替えさせて欲しいんです。その――」


 そう少し濁した口調のメアリを察して、初出は俄に引き締まった表情で応答する。

「何か容態に変化がありましたか」


 微かな動きで首肯し、心配するほどではないんですけど、と説明を続ける。

「どうやら悪夢で寝つけなかったみたい。それで調子が少し悪いんです。寝不足と心の波もあるかな。今日は無茶しないように見ていて下さったらありがたいです」


 初出は眼鏡にそっと手を掛けて、柔和に微笑む。長年の信頼がそこにはあった。

「お任せあれ。絵理さんの体調変化にも慣れてきました。初診の医者より判断は上手くやれますよ。私に任せて明里さんはいつも通り自己研鑽に励んで下さい」


 眼鏡が太陽光で白く光る。鋭い観察力で親身にアドヴァイスをくれる所がこの女性の良心だ。ただ時間分の仕事だけでは、繊細なケアは務まらないのが良く分かる。


「明里さんがキチンとやるべき事をやっていて、この家が安泰なのを見せれば絵理さんもきっと安心されます。何よりお二人だけの姉妹ですからね」


 ええホントにねと、メアリは自嘲気味に呟く。

 そして、ショルダーバッグを担ぐと玄関口から外に出る。

 背に担ぐバッグは物が沢山入ると、実用面からの選択だ。愛用の品はベン・シャーマンという外国のブランド。使い勝手だけでなく耐久性にも優れている。


「あの子が不安にならないよう、私も頑張ってるつもりです。妹に自信を取り戻して欲しいし、最低限不自由しないで済むようにはしてやりたくて」


 後を初出に託し、真紅の靴を踏み締めそっと扉を閉める。外に出ると風の冷たさに思わずブルッと肩を縮めてしまった。どんよりとした曇り空。予報通り気温と気圧は低く、安定しない気候に全身は重苦しい。それも絵理の不調の原因に違いない。

 無闇に考えても仕方ないと、日常モードに頭を切り替えて足早に駅へ向かう。


 これから起こる運命の連鎖、姉妹が抱えるズレに、まだ二人とも気づくよしもない。

 血の繋がった姉妹の魔術師二人。似ているのに決定的に異なる相違を、この先彼女は何度も思い出すことになる。

 今だけはまだ普通の姉妹と同じく、妹を思いやる姉でいられる時間だった。

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