【1話完結】彼女は死んだ

単三スイ

彼女は死んだ

 中学二年生のときだった。夏休みが終わり、二学期に入ったばかりの教室。あまり余った宿題を必死で解く者、早々に諦めて友人と談笑を楽しむ者、早くも冬休みが来てほしいと呟く者。様々だった。因みと言ってはなんだが、僕は友達と談笑を楽しむ者だった。


 学期変わり目ということもあり、その日は席替えをした。


 たまたま隣になった女子と、たまたま話が弾んで意気投合する。そして再び席替えをして席が変われば、それ以降は話すことも減り、疎遠になってしまう。


僕にとってはよくあることだった。教室は机四十個入れば狭いとさえ感じる広さ。話しかけようと思えば容易に話しかけられる。それでも話しかけられない。


そんな自分に心底嫌気がさした。「ああ、自分はきっと人間なのだ。」そう考えていた。


でもその日は違った。何故かはわからないが、違った。そう明確に言える。それは初めての感覚で...高鳴る動悸が抑えられなかった。


僕はこの日、初めて恋を知ったのだ。


 彼女は水泳部で、大会でも毎回上位のメンバーの中に名を連ねている人物だった。もちろん体育の授業に水泳はあって、彼女の水着姿というのも見てしまうことができるわけで。


 やましい事なんて何も無く、普通に水泳の授業をしているだけなのに。いやに背徳感を覚えてしまった。そして僕は、飛び込み台から入水する彼女の美しいフォームに目を奪われたんだ。ほら、また見惚れてしまう。


ザパァッ!


 真冬の海の防波堤。テトラポットに当たった白い波が飛び散り、顔に海水が跳ねる。ぐいっと竿を引き上げるついでに顔を拭い、リールを巻きあげる。感触としてはあまり重くない。


 夕陽はほとんど落ちきって暗くなり、遠くの方の地平線にうっすらとした残光が漂っているだけだった。


博和ひろかず、めぼしいもんは釣れたかいな。追加のエビ…いるか?」


 じいちゃんに後ろから話しかけられ、僕はふーっと一度、白い吐息を煙草のように吹き出してから振り返る。車から出てきてきたじいちゃんは、寒そうに手をさすりながら僕とは違ってを吸っていた。


 紺色のどてらの上から僕が高校時代に部活で使っていた黒いベンチコートを羽織り、黄色のニット帽をかぶっている。そこに白髪ときた。色合いが絶妙に格好悪い。因みにエビが要るかと聞かれたのは、撒き餌として使っていたからだ。


「さっきチヌが三匹釣れたよ。ありがとうじいちゃん。寒くなってきたで、今日はもういいや。早く帰ろか。」


「そうかい?お前のことだ。 いつもみたいにボウズだと思っとったわ。」


「昔の話でしょ。何年釣りしてると思ってるのさ。魚の一匹や二匹、朝飯前だよ。」


「もう夕食前じゃが。それにしても。はー、言うようになったの。年だけ取ってちっとも釣れんのもおるのに。お前もちっちゃな頃はようけ根掛かりさせて地球釣っとった。まあ、懐かしい話はほどほどに、勝負時にしっかり釣れてよかったな。」


 今晩は中学の同級生たちと集まり食事をすることになっている。所謂同窓会と言うやつだ。なんでも会場は友達が開いた店らしく、今夜の料理に魚が使いたいらしいのだ。そこで、昔から釣り好きだった僕に白羽の矢が立った訳だ。


頼まれて快諾した手前、期待に添えず「はい釣れませんでした」だけは避けたかった。本当に、じいちゃんの言う通りだ。


その上同級生には何の嫌がらせか既婚者が異常に多く、未婚者の僕にとってはかなり肩身が狭い。


だからといって参加しない訳にもいかなかった。今まで何度か集まりの誘いを受けてきたが何かしら理由を付けては悉く断ってきた。しかし今日の集まりは特に重要なもので、かつ理由を付けるにしてもそろそろボロが出そうなので、仕方なく参加することにしたのだ。要するに、今まで散々断ってきた皺寄せが来たということだ。


釣具を片付ける最中、僕の口から自然とため息が漏れ出た。


 両親がはやくに他界して母型の祖父母に引き取られたため、うちにはパソコンも携帯電話もなかった。


 そのため、趣味といえばじいちゃんの趣味だった釣りと、じいちゃんの仕事の手伝いから始めた染物ぐらいだった。僕は根っからのじいちゃん子だったのだ。


染物に関して言えば、今ではじいちゃんに弟子入りして日々腕を磨いている程だ。将来的にはじいちゃんの後を継ぎたいとも考えている。


 そんなことだから、小さい頃は異性への関心を持ち始めるのも人一倍遅かった。小学六年生のとき、「〇組の□□ちゃんが可愛い。」だの「△△と付き合った。」などと、同い年の男子女子がわいやわいや騒いでいるのを見たときには、完全に乗り遅れたと絶望したものだ。


 それでも友達は少ないほうではなかったので、当然そういった話が自分にも回ってくるわけで。


「ああ、うん。僕もあの子可愛いと思う。狙ってみようかな。」なんていう何ともつまらない返しを何回したことだろうか。


 そのたびに友達から微妙な顔をされたり、便乗だとか言われたっけ。周りに合わせておけば下手な方に事は進まなかったから、他の人の意見に進んで流された。あれはあれで、昔の自分なりの処世術だったつもりだ。


 僕がトリップしていると、心配したじいちゃんが顔を覗き込んでくる。


「どした、考え事かい。ぼーっとしよって。こんなで運転したら事故おこすぞ。久しぶりにじいちゃんのが火を噴くかねぇ。はっはっは。」


 豪快に笑うじいちゃん。愉快極まりないじいちゃんだが、免許更新の認知機能検査ではしっかりと48点以下をたたき出し、無事運転免許が取り消されている。


「ああ、大丈夫。シートベルトしめたよね。じゃあ出発するから。」


 家に戻ってばあちゃんにじいちゃんを引き渡して、車を庭に停める。ここからは徒歩で駅まで向かって、電車で二時間ほどの都会街を目指す。


手に提げている袋の中には魚が入っている発泡スチロールがあり、歩くたびに氷の音と、発泡スチロールとビニル袋が擦れる嫌な音が鳴る。


 駅までの道中、母校である高校を通る。道沿いに見えるのは、体育館。若い衆が遅くまで練習に励んでいるのか、辺りは暗いのにまだ明かりがついていて、ボールをつく音と靴のキュッキュっという摩擦音が聞こえてくる。


 この高校は、中学から推薦を取って階段式にのぼってこられるため、進学校を狙わない生徒たちにとっては人気が高かった。例の如く、僕もその内の一人だった。


 そのため、同じ中学の人が非常に多く、高校に入ってもたいして人間関係は変わらなかった。それでも僕だって、高校生男子の端くれだったわけで、青春というものに人並みに憧れていろいろと頑張った。


 部活はバレーボール部に所属して、大会に出られるように努力はしたし、彼女だって作った。もっとも恋愛というのは難しいもので、長く続かないことが多かったけれど。


 他人から言わせてみれば、かなり充実した高校生活を送れていたのではないだろうか。そんなことを考えているうちに、駅へと到着した。


 ここは終点の小さな港町、かつ帰宅ラッシュの時間ともズレていたため、人はまばらだった。時刻表を見ると、まだ数分余裕があるようだったので、Coco-Colaとラッピングされている自販機へと向かう。猛烈に温かい飲み物が飲みたくなったのだ。


 かじかむ手で小銭を投入して『あったかい』の表記であることを確認してからボタンを押す。ゴトン、という音とともに、落ちてきた280mLの幸せを手に取る。


過去に何度か『ほっかりレモン』や『しっかりコトコト』という商品名に騙されて、出てきた商品は冷たいなんて悲劇を経験した。冬場の自販機に『つめた~い』のお汁粉なんぞ地獄でしかない。あれは本当に許せない。


ほっと一息ついていると、タイミングよく電車が来たので乗り込む。


 車内では当たり前のように外を眺める。最近これが、日常のルーティンとなっている。冬場に温かい車内で揺られ、うつらうつらとしながら変わってゆく景色を見るのは、たいそう贅沢に思えた。


順調に歳をとっていることの表れなのかもな、と自嘲気味に心の中で考えてみたりしていると、ふと、視線を感じた。


 視線の主を確認するや否や、目が一気に冴える。嫌な汗が出る。一人の女性がそこには居た。髪を伸ばしているが、その面立ちは彼女にひどく酷似していた。


 毎日、目で追っていた顔だ。見間違えるはずがない。でも、彼女がここにいるはずがない。では、彼女でないのならいったい誰なのか。姉妹だろうか。考えても疑問は深まるばかりだった。


 こちらが混乱しているとその女性は、口角を少し上げて上品に笑った。確かに、こちらを向いて微笑んだのだ。狼狽しつつも軽く会釈を返して、逃げるように再び窓の外の景色に意識を傾ける。


 目を背けたかった。ああ、避けていることが相手にもわかっただろうな。なんたって、途中から窓の外に見える景色は、トンネル内の暗がりだけだったのだから。


 目的の駅に着き、彼女が一緒に降りてきたのかも確認せず、足早に駅を出た。そして気づけば会場である店の前に着いていた。


深呼吸をして意を決し、店の扉を開く。カランカランという可愛らしい入店音が響く。


「お、久しぶりヒロ。お早いお着きで。と言いたいんだがみんな余程楽しみにしてたのか、もうほとんど揃ってるんだわ。」


 声を掛けてきたのは、中高とずっと同じクラスだった友人、正紀まさのりだ。彼とは所謂腐れ縁というやつ。まだ二十代だというのに一丁前に髭なんて生やしているが、決して不格好ではなく、意外にも様になっている。くしゃりとした笑顔は、いつみても彼のトレンドマークだ。


「お、おう。結構早い方だと思ったんだけどね。あ、これ魚。」


「お、いいねぇクロダイか。ありがとう。急な頼みなのに悪かったな、助かったわ。」


正紀はにやりと不敵な笑みを浮かべる。お察しの通り、彼がこの店の店主である。もともと彼の実家が食事処で、昔からよく釣った魚を持って行ったものだ。


「まあ立ち話もなんだ、入れ入れ。」


 言われんでも入るわ、と軽口を叩く。今年も寒いな、なんて話しつつ、促されるがままに店内に入る。


 中では見覚えのある顔ぶれが互いに談笑しながら、料理をつまんで酒を飲んでいた。あの頃のクラスの光景がもう一度ここにあると思えるとなんだか感慨深かった。


ぐるりと会場の全体を見渡す。良かった。僕は先程の彼女に似た女性が居ないことにひどく安心し、ふう、とため息を一つ漏らした。


 大学での出来事だとか、仕事場の上司の愚痴だとか、他愛のない話をする。中には、結婚して子供を産んだというやつもいた。


 みんなが皆、異なる人生を歩んでいたが、今日この一時は、あの頃に戻った気分だった。


酒も回り、気分が良くなってきた。そんな時だった。ガラガラと店の入り口が開く。その人物の登場で、皆はさらに盛り上がりを増す。


「ごめんなさい、遅れました。」


ああ、やっぱり気のせいじゃなかった。


「十年ぶりの日本でしょ?ひどいよ里美。既読だけ付けて来るかどうかは返事しないんだもん。」


久しぶりの帰国ということもあり、彼女の周りはあっという間に人だかりになる。そして僕は一人、席に取り残される。


僕の初恋相手。園原里美そのはらりみさんである。


「サップラーイズ。なんちって、えへへ。」


可愛らしく答える里美さん。その屈託のない笑顔に胸がずきりと痛んだ。


 僕には高校でも大学でも彼女はいたし、一緒にすごした時間はとても楽しかった。でもいざ付き合っていると、やはり中学の頃の初恋相手である彼女が、時折頭をよぎるのだ。多分、後悔に近いものなのだろう。


そんなこともあり、誰と付き合ってもあまり長くは続かなかった。一緒にいる時に他の女性のことを考えているのだ。離れて行って当たり前である。自分で言っていても、心底情けのない話だ。


彼女に振られたのではない。もっと酷い、どうしようもない事だ。詰まるところ、僕は里美さんに思いの丈を伝えることができなかったのだ。


席から立ちあがり、御手洗へと向かう。正直会いたくなかった。会わないままで、流れる時間とともに忘れてしまいたかった。しかし、こちらに気づいた彼女が友達に断りを入れ、トイレまで追ってきた。


「ちょっと、なんでさっき逃げるの?傷つくじゃん。」


本当はたいして気にしていないのにオーバーに怒ったふりをし、首をこてっと倒して上目遣いで聞いてくる。


「あ、ああ。ごめん...」


下を向きボソッとした返事を返す。


「まあ...いいや。久しぶり。中学以来だね。」


愛想笑いをうかべる彼女。それから彼女は話を展開してくる。グイグイと。まるで僕の心の扉をこじ開けて、土足で踏み入ってくるように。


話が全く入ってこなかった。ああ、嫌だな。お願いだから、声を掛けないでいて欲しかった。


別に僕は不幸な人生を送っているわけでもなかった。人並みに稼いで、趣味もあって、普通に毎日を楽しんでいる。


人というのは、小さい頃はたくさんの夢を抱き、積極的にいろいろなものに興味関心を寄せるいわば知的探求心の塊だ。


 しかし大人になるにつれ、繰り返しの毎日に楽しみを失ったり、趣味を一つ二つに狭める人々が極端に増える。


 それは、自分を取り巻く事象がどんどん未知だったものが既知へと変わっていってしまうからだろう。


 初恋だってそうだ。みんな、その儚さを知っている。知っているからこそ気持ちに区切りをつけて次の恋に進んでいけている。でも、僕にはそれができなかった。


 物語によくありがちな、最後は結ばれてハッピーエンド。一度は聞いたことのある「当たって砕けろ」という言葉。


けれども実際そうはならない例だってある。告白できずに、自分の心にしこりを残したまま、次へ進む人だっている。


それでも、幾つになっても恋というのは人に付きまとってくるわけで。誰かのおめでたい結婚話や子供の話であったり。恋愛に関して、自分は気にしていない、と人前では言っていても、実は人一倍気にしている自分がどこかに居たり。現にこうして僕は、未だに初恋にとらわれ続けている。


彼女は、当時は黒だった髪を茶髪に染め、控え目に柑橘系の香水の香りを漂わせている。如何にもといった、大人の女性の風貌だ。街中で一度彼女が歩けば、誰もが振り返ることだろう。


でも、僕にとって与える印象は違った。


普段スカート丈を短くして、健康的な足を伸ばしていたあの子は、今やスーツに身を包み、足は黒色のストッキングで隠れている。


 別にそれが悪いといっているわけではない。昔とは印象が違うが、彼女が今も美人であることにはなんら変わりはない。彼女だって人間だ。日々社会の荒波に飲まれ、変わっていくのはあたりまえだ。


 良いアニメや映画作品、小説などを見た後、自分の価値観や考え方が変わる経験したことは少なからず誰にでもあると思う。悪い影響も良い影響も、等しく取り込んで。同じように、人は周りに影響され、どんどん変わっていく。それこそ一日単位で。


子供の頃は楽でよかった。あの頃に戻りたい。そう愚痴をこぼす人は少なくない。でも、簡単にそうは言っているが、本当はわかっているはずだ。


 卵の中にいる雛が、どうして息ができるのか知っているだろうか。あれは、卵の殻に無数の見えない穴が空いているから生きていられるのだ。


 人も同じだ。外の世界を知らない子供たちは、殻の中で自由奔放に走り回る。しかし周りではその分、大人が苦労して、自分たちを守ってくれていることに気がついていない。


 ふとした時に、大人の苦労を悟り、外の世界に気づいてしまう。そこからは単純明快。今まで見えていなかった苦労が途端に目の前に露見して、自分に降りかかるだけ。ほとんどの人はそれを、自然の摂理と考えて順応していく。


彼女もその一人。純粋無垢なあの頃の彼女も今では現代社会の一員となって大人の世界を知っているその一人。


 ひとりぼっちで、過去からから抜け出せない僕は、あの頃に取り残されている。僕を台風の目にして、みんな変わっていっているのに。


僕はが好きだった。穢れを知らぬ、若々しくて瑞々しい、彼女が。


僕はまだ、彼女に初恋をしている。


今目の前にいる彼女は、彼女であってでない。


これ以上の説明はもはや不要だろう。


要するに、彼女は死んだのだ。

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