第七話 蛇の愛、王子の恋
「聞かせてくれるか?」
メイジは頷くと、ポリーとミストレーヴェルに関する逸話を語りだした。
「僕の腕から現れた蛇、あれは
蛇の名を聞いて、メティスの眉がピクリと動く。
「『サージ』……聞いたことがある。しかし、奴はポリーを守護していたはずだが」
「えぇ。ポリーが栄華を極めた千年ほど前までは我々の先祖を守護していました。ですがそんな
何故ヴァイオレット王は危険を
それは今となってはもう誰にもわからない。
伝承や記録に残っていることなど、実際の出来事に比べてみれば大まかなことであり、見栄えのいい脚色だらけ。
だが今と辻褄があってしまうだけに、そう信じるしかなかった。
「……なんと愚かな。とはいえ人間らしいが」
メティスも思うところがあるのか、それ以上は言及しなかった。
「その結果、サージの怒りに触れたヴァイオレット王を始めとした王族の者は、その身に生まれながらにして破滅の呪いが刻まれることになりました」
彼はそう言いながら腕を
そこには蛇の
メティスはその痣を彼を救出した際にも目撃していたが、それはあの時にできたものだと考えていた。
改めて眼にする不気味な色合いと紋様。
確かにそれは呪いであった。
「君のように無関係な
メティスは眉を下げながら、彼が捲った袖を元に戻した。
「僕ら王族の身だけならまだ良かったのかもしれません」
「……というと?」
彼女は薄々嫌な予感はしていたが、踏み込む。
「サージの与えた破滅の呪いはポリーの民、厳密に言えばポリーという国家自体を縛り付けました。『ポリーは千年の時を経て衰退の一途を辿る』と」
「なるほど。時間をかけて国を腐らせる毒か」
滅亡までに千年も猶予がある。
そう言葉のままに取れば、寧ろ温情ではないかと思うだろう。
だが、国の滅亡とは一夜にして始まり終わるわけではない。
蛇の毒を受け、手足の先から心臓や頭が蝕まれていくかのように刻一刻と着実に衰退する母国を、為す術もなくただ見守ることしかできない。
これを残酷と言わずして何と言うか。
メイジは伏し目がちに呟く。
「だから本当は無意味なんですよ、何もかも。どんなに強い兵を集めようが、どんなに強い国と同盟を結ぼうが……全てもう決まっていることなんです。この国に保つ未来なんて最初から無いんです」
痛いほど理解していたからこそ、言葉に出したくなかった諦めの言葉。
最後の希望、スティールヴァンプとの政略結婚を通しての同盟も失敗に終わるだろう。
だからこそ、ここへ来て初めて彼は弱音を吐いてしまった。
塞ぎ込む彼を見て、メティスは席を立ちベッドに腰掛ける。
「なら、私との婚姻も無意味なのか?」
「それは……」
メイジは咄嗟に眼を逸らす。
それは急に近づいてきた彼女に驚いたからでもあるが、一番は本人を前にして改めて『婚姻も無意味だった』と薄情に宣言できなかったからだ。
メイジのために時間も割いてくれたにも関わらず、あんな惨事を経験させてしまった。
ここで無慈悲に突き放せるほど、彼は人でなしではない。
黙っている彼に、メティスはからかうような表情を見せる。
「なんだ、意味がないのか。折角考えてやろうと思ったのに」
「……え?」
思わず聞き返す。
ありえない言葉が聞こえた。
メイジは眼をパチパチと瞬きする。
「だ、か、ら。君との婚姻を考えようと言っているのだ」
念を押すように、大きな声でそう語るメティス。
からかっているような表情ではあるが、言葉の発し方からすると本気のようだ。
しかし、今のメイジにとっては素直に喜ぶことができない。
「ですが、自身より強い者でないといけないと……」
いくら大怪我を負おうが、その影響で眠っていようが忘れるはずがない。
彼はメティスに完敗した。
その手数、僅か二撃。
嫌というほどに、あの敗北は彼の脳裏に焼き付いていたのだ。
「僕は女王陛下に負けました。完膚なきまでに。だから……」
彼が否定的な言葉を続けようとするが、メティスは彼の肩に手を置き遮った。
「あの試合ではな。だが、君は私を救った。自分より強い者を助ける、それは弱者にはできまい」
「あれは……サージの力であって、僕の力ではありません」
そう、結局のところサージの力ありきなのだ。
あの蛇の力なくしては、彼の力のみでメティスとリーゼを助けられなかった。
あくまでもメイジが単独で助けようとしたと仮定した話である。
彼女たちは彼に助けられなくても、なんとかして自力で助かった可能性はある。
いずれにせよ、メイジ自身の力ではどうにもなっていないのだ。
サージの力を称賛されるほど、彼自身の力は否定されているように感じてしまっていた。
自信なく語る彼に、メティスは彼の両肩にそれぞれ手を置き、顔を引き寄せる。
「なら、その毒蛇が私たちを救おうと身を動かしたのか? 違うはずだ。実際に脚を動かし、手を伸ばしたのは他の誰でもない君じゃないか」
「それは……」
サージは意志を持たない。
今あるのは幾重に折り重なった怨恨のみだ。
彼女の言う通り、行動を起こしたのはメイジ本人である。
実際に、リーゼを庇った時にはサージの力を意識的に使っていなかった。
メティスはしっかりと見ていたのだ、彼の本質を。
彼女は手を離し、少し距離を取る。
「しかしそのサージとやら、国を滅ぼすことを目的としている割に、まぁ随分と君に協力的なのだな」
「まだ次代の王が居ませんから。宿主が途絶えるとサージの命も尽きます。恐らくは国の滅亡と己の死の帳尻を合わせているんでしょう」
そうあたかも事実のように語ってはいるが、真相はメイジにとっても把握できていない。
国の滅びと、サージ自身の呪いの終わりは同じ。
これは間違いないはずだ。
サージが呪うのはポリーの王であり民であり国である。
それらが国の終わりを経てポリーの名を冠しなくなったのであれば、呪う対象が無くなる。
道理である。
しかし不可解であったのは、サージがメイジに協力的であったことだ。
次の宿主がいないから彼を生かしている、そう考えるのが自然ではある。
だからこそメイジはそう説明した。
だが、本当に彼を生かすためだけに力を貸しているのだとすれば、メティスへの急襲を防いだり蛇を見て逃げ腰の敵兵を喰らうのは不自然ではないか。
メイジはメティスを守りたいと思った。
メイジは敵兵を許さないと思った。
つまりサージはメイジの生死に関係なく、彼のやりたかったことを何故か代行していたのだ。
「そういうものか? んー、まぁいいか」
メティスは今一つ腑に落ちない口ぶりだが、一応納得はしてくれたようだ。
「それで、私との婚姻はどうするんだ」
再び詰め寄られるが、メイジは意を決して口を開く。
「こちらから話を持ち掛けたというのに
言った後、後悔の念に駆られる。
奇跡に次ぐ奇跡をものにできる機会を、彼は投げ捨てたのだから。
彼の言葉に対し、メティスは表情を変えることなく純粋に問う。
「何故?」
彼女の純粋な瞳に心を痛めながらも、メイジは主張する。
「滅びの未来しかないポリーに、前途多望なスティールヴァンプを道連れにしたくありません。それに、やっぱり好きでもない相手と結婚を……なんて」
政略結婚が必ずしも不幸せであるとは限らない。
それは両親の関係を長年見てきた彼にはよく理解できるものであった。
ポリーはそれこそ千年前であれば、同じ王族の者同士で対等に政略結婚できていた。
それがサージの呪いにより衰えていくに従い、相手国に力を握られるような政略結婚に変わっていった。
そして挙句の果てには現在のように、どこの国からも相手にされなくなった。
父も国相手の政略結婚ではなく、ベイスロットの有名鍛冶屋の娘である母と政略結婚をした。
武器を少し融通してもらうのですら、結婚という最終手段に頼らざるを得なくなっていた。
両親はそれでも幸せそうではあるが、それを考慮しても、もし政略結婚をせずに互いに好きな道に進んでいたら、もっと幸せになっていたのではないかと考えてしまっていたのだ。
彼の政略結婚に対する気持ちを受け、メティスは腕を組んで考える。
「政略結婚はダメ、か。なら――」
そして何か閃いたのか、とびっきりの元気な顔でメイジに迫った。
「自由恋愛ならどうだ!」
「えぇ!? いてっ」
驚きのあまり、怪我をしていた場所が痛む。
だがそんな痛みなどすぐに吹き飛んでしまうほど、彼女の言葉から受けた印象は強烈であったのだ。
吃驚する彼に、メティスは少し恥じらいながら補足する。
「なに、まだ互いに知り合ったばかりだ。当然すぐにとは言わん。本来、恋や愛などは時間をかけて育むものなのだろう? ならばそれでよい。最初は友人、恋人、そして夫婦とな」
その口ぶりからするに、彼女は恋愛をまだ知らないのであろう。
それはメイジとて同じ。
彼女からは初めて向き合うことになる関係性に対する好奇心をひしひしと感じる。
だが同じ
「それでも……この呪いは許してはくれません」
メイジも年頃の青年。
人に恋をして愛してみたいと思ったこともある。
しかし、その度にこの呪いがちらついて邪魔をするのだ。
この呪いが愛する者にまで破滅をもたらしたらと考えるだけで、一気に感情は底に落ちる。
メティスは呪いに囚われている彼に、救いの言葉をかける。
「スティールヴァンプは蛇の呪いごときに屈したりなどしない! それにその蛇、ポリー以外に関して興味が無いように見えるがな。本当にスティールヴァンプにも影響が出るのか?」
「それは……」
言われてみれば、疑問ではあった。
呪いとは疫病のように、人から人へ、国から国へ伝播していくようなものなのであろうか。
ポリーは様々な国の者と関係を結んできた。
最たるものが階級にばらつきこそあるが、政略結婚であろう。
その際にポリーの力が衰えることがあっても、相手の国や人も同様に衰えたのか。
いいや、違う。
一番の例がメイジの両親だ。
母はベイスロットの出であるが、
実家の鍛冶屋も盛況であり、今でも数々の国と取引を行っている。
そう踏まえると、サージはメティスの言うように、本当にポリー以外には興味がない可能性がある。
「何より、滅びが必定であるのなら、その先を考えることだ」
メティスに提示された、滅びの先。
メイジは考えたこともなかった。
ポリーが滅んだ先に何があるのか。
民が滅べば国は滅ぶが、国が滅んでも民が滅ぶとは限らない。
ポリーの王家に生まれたメイジにとっては、国家の死は自らの死のように受け止めていた。
「それに……宿命に苦しみ続けるのなら、君はポリーの王子でなくたって……」
メティスは寸前で口を紡ぐ。
「僕は――」
王子の責務から逃れ、国から逃れ、民から逃れる。
そうして何もかも投げ出して、人生を再スタートさせればいい。
初めて誰の為でもなく、自分の為に生きられるのだから。
そう誰かに
それでも――
「はぁ……ダメですね。やっぱりどう足掻こうが無駄だとわかっていても、僕はポリーを諦めることができません。ひ弱で惨めな小国の王子だとして笑われても、生まれ育った地を見捨てられません。僕はポリーが死ぬその時まで、ポリーの民でいたい」
その言葉を聞いた瞬間、メティスは彼を優しく抱きしめた。
「殊勝な心掛けだ。……私は君を好きになるだろうし、必ず君も私のことを好きになれるように努力する」
思わずこのようなことになった。
彼女自身も謎の行動に戸惑いはあったが、そうせずにはいられなかったのだ。
今にも眼から涙が零れそうになりながら語る彼の姿を見ると、居ても立っても居られなかった。
自らも王家の者として、その重責でいかに心が押しつぶされそうになるかよく知っている。
結局、この感情が何なのかは今の彼女にはわからなかった。
単なる同情によるものなのか、母性によるものなのか、それとも――
メティスは彼からそっと離れ、顔を真っ赤にしているメイジに一言宣言する。
「覚悟しておくことだ、メイジ。スティールヴァンプの女は恋においても最強らしいからな!」
そう言い放ったメティスは、顔を手で覆いながら逃げるようにして部屋を出た。
残されたメイジは熱くなった顔に戸惑いながらも、満足げな表情を浮かべていた。
テーブルには冷めてしまったスープとパンが置いてあるままだ。
恐らくはメイジに食べてもらおうと作ったのだろう。
メイジはスープを一口、口に含む。
冷めきっているはずのスープは、今の彼にとっては温かく感じた。
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