第六話 生者を呑む蛇
だが――
「これ以上……好き勝手にさせない……」
突如として、メティスの傍で横たわっていたメイジの腕から、蛇のような姿をした炎が勢いよく噴き出した。
たちまちその炎は謀叛者を喰らい、呑み込んだ。
メイジはおもむろに立ち上がり、それまでの彼からは考えられないような冷ややかな目を敵へ向ける。
炎は彼を包み込み、守るようにしてその牙を剥き出しにする。
「これは……」
目に映る炎と彼の姿に言葉を失うメティス。
味方の衛兵も敵兵も皆、その炎を恐れ、たじろいだ。
「は……なんだこ――」
声を上げることも許さず、蛇は敵兵を頭から焼き喰った。
「うぅ……わあああァ!?」
その蛇は順に、逃げ惑う敵兵を呑み込む。
蛇には勝てないと見込んだ敵兵は、メイジ本人を殺そうと躍起になるも、どの方向から手を出そうとしても蛇の毒牙は決して逃しはしなかったのだ。
蛇は敵を喰らえば喰らうほど、その
「なんだ、なんだこの化け物は!? まさか本当に……」
兵の脳裏によぎるのは、ポリーの言い伝え。
誰も本気にしていなかった、優しい国の優しい人々の愚かな話。
それは紛れもなく事実であった。
「撤退だ! 撤退せよ!」
僅かに残ったロックアビスの兵は尻尾を巻いて逃げおおせる。
一方でスティールヴァンプの裏切り者は、一人残らず祖国の地に斃れていた。
終わりを見届けたメイジは気を失うように倒れる。
同時に、あの蛇の姿をした炎も再び眠りについた。
「メイジ殿下!」
メティスは倒れる彼を受け止め、近くに控えているリーゼに指示を出す。
「相当ダメージを負ってはいるが……息はある。急いで搬送して手当てをするぞ」
彼の損傷は大きなものである。
だが、あの炎に包まれる前より軽微なものになっていた。
リーゼはメイジを衛兵たちに丁重に運ばせた。
痛手を負ったのは彼だけではない。
尽力した衛兵たちも多く命を落とし、酷い傷を負っている者も少なくない。
「負傷者の救護、そして死者および行方不明者の確認を急げ!」
メティスは一通り指示を出すと、徐々に現状を把握していく。
「ロックアビス……してくれたな。この借りは高くつくぞ」
突然の凶行。
従順なスティールヴァンプの兵を何らかの手段で
裏切った者たちは皆、甲冑の紋章からロックアビスとスティールヴァンプの国境付近を警備していた者たちであることがわかる。
ロックアビスが同じく住まう衛兵たちの家族や友人を人質に、脅迫材料にした可能性も否定できない。
彼女は誓う。
必ずやロックアビスを壊滅させることを。
湧き上がる怒りを抑え、血が出そうなほど握りしめていた拳の力を緩める。
「それよりもメイジ……君は一体」
彼女は、崩壊し吹き抜けになった城の上の空を仰ぐ。
太陽は本来届くはずのない、血に塗れた氷の玉座へ光を注いだ。
深い深い眠りについた後、メイジは上質なベッドの上で目覚めた。
「ん……いっ」
身体を動かすと背中を中心にあちこちが痛むものの、丁寧に治療されていたこともあり、耐えきれないような痛みではなかった。
「僕は……どうなって」
上体を起こし、周囲を見渡す。
四方は黒い壁に囲われ、いらぬ雑音が一切ない。
恐らくはスティールヴァンプの城内の一角であろう。
窓から差し込む光から昼であることがわかったものの、一体何度目の昼なのかはわからない。
きっと一日や二日ではないはずである。
それは身体の硬直具合でなんとなくではあるが察していた。
他の城の内部と同じく絵画が大小様々なものが飾られている。
メイジはそれらをぼーっと見ながら記憶を整理していた。
すると、部屋のドアがゆっくりと開く。
「あぁ、目が覚めたか。具合はどうだ?」
部屋に入ってきたメティスは、以前に見た装甲満載の甲冑姿ではなく上品なドレスの上に最低限の防具を備え付けた、比較的ラフな装いであった。
そして彼女の手には、スープと細かく切ったパンが乗ったプレートがあった。
プレートをテーブルに置くと、彼女はベッドの脇の椅子に腰掛けた。
「メティス陛下……えぇ、良好です」
「そうか。一週間丸々ぐっすり眠っていたからな」
予想よりも少し長く眠っていたようだ。
その間、城の者が彼を世話していてくれたのであろう。
「一週間も……ありがとうございます。すみません、すぐに」
感謝の言葉を述べ、出ていこうとするメイジ。
そんな彼をメティスは制止し、再びベッドに寝かせた。
「おい、大人しくしていろ。そう急いで出ていく必要もないだろ」
彼女の表情からは、世辞や謙遜などといった感情は読み取れなかった。
本心で彼の体調を気遣ってくれている。
そして彼女は戦場での顔とは違う、柔和な表情を浮かべて語りかける。
「聞きたいことはあるが、まずは礼を言う。ありがとう」
唐突な言葉に、メイジは驚く。
「リーゼ、そして私を助けてくれただろ。彼女も君のことを案じて遅くまで付き添っていた。口止めはされていたが、まぁ……な」
彼女の口ぶりから察するに、使用人であるリーゼとメティス本人も彼の様子を見守ってくれていたようだ。
きっとリーゼは自身を庇って大怪我をしたメイジに負い目を感じているのであろう。
「いえ……そんな。僕はただ――」
ただ、なんなのか。
守りたかった、なんて大層なものではない。
困っている人を助けたい、なんて正義感に満ち溢れたものでもない。
それはきっと切羽詰まった瞬間での、ほんの気の迷いからくる無謀でどこか運任せな彼の選択が、今回はたまたま上手く転んだに過ぎない。
故にどうも胸を張って誇ることができないでいた。
少し俯いて自信なさげにする彼に、メティスは覗き込むようにして話す。
「あの蛇。あれは君のものだな?」
そう聞かれ、思わず彼の心臓は跳ね上がりそうになる。
「はい。僕の……というよりミストレーヴェルに受け継がれる物ですが」
「噂通り、というわけか」
メティスは、ばつが悪そうな顔をする。
彼女も知っていた、ポリーに伝わる逸話。
メティスがポリーについて無関心であると考えていたのは、どうやら思い違いであったらしい。
小国ポリーに、どうして強国はいつまでも手を出さないのか。
その理由がここにはある。
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