第七章 九話 「二次退路使用」

「"エンジェル・バード"、応答せよ!おい、どうした!"エンジェル・バード"、応答しろ!」


 交信機の向こうからヤンバの悲痛な叫び声が響く無線に"エンジェル・バード"の機体周辺でエジンワ達の帰りを待機していたはずの解放戦線兵士達が答えることは無かった。


 無数の銃弾を撃ち込まれ、一人残らず殺された十数人の兵士達の死体には既にハエが集り始めており、物言わなくなったそれら遺体の傍らではロケット弾の直撃を受けて、機体中央から真っ二つになった"エンジェル・バード"が紅蓮の炎に包まれて、無惨なその姿をジャングルの一角の荒野に晒していたのだった……。





「くそ!"エンジェル・バード"から応答が無い!」


 襲撃を受けた路地から細い脇道へと逃げ込んだ後、再び別の路地に出て北へと全速力で疾走していたショーランド軽装甲車の後部座席で交信相手が応答しない無線機にヤンバは苛立ちの声を上げていた。


「少佐!飛行場へ戻るのは危険です!二次退路を使いましょう!」


 無線機に応答しない状況から飛行機とともに待機していた同胞達の身に何かが起きたことを察知した幸哉は後部座席の方を振り返って叫んだ。


 部下の進言に一瞬、判断を迷ったヤンバだったが、横に座るエジンワから決断を後押しする視線を受けると、即座に命令を下した。


「よし、命令変更!二次退路に向け、退避する!全車両に伝達……」


「くそ!何だ、あれは!」


 決断とともにヤンバが無線機の交信を開こうとした瞬間、毒づいた運転手の親衛隊兵士の声に幸哉は再び前方を振り返った。その刹那、前方十メートルほどの脇道から黒い陰が車列の走行する道路に向かって飛び出してきたのだった。


「止まれ!止まるんだ!」


 幸哉がそう叫ぶよりも先にブレーキをかけられていた、彼の乗る車両は時速八十キロメートルの高速から一気に停止した。車内に乗車していた人々は急停車の反動に体を大きく揺さぶられ、幸哉も助手席のダッシュボードに勢い良く頭を打ち付けてしまった。


「な、何が起きた……?」


 打撲箇所から出血する頭を押さえながら、幸哉は弾痕だらけのフロントガラスの先を見やったが、その視線の先にあるはずの先頭車両の姿は無かった。


 突然、脇道から飛び出してきた大型車両に右側面から激突された先頭車両のショーランド軽装甲車は道の左に建っていた建物の一階にめり込んだ状態で横転していた。


 頭から流れてきた血で赤く歪む視界にその光景を目にし、次いで目の前で車体側面を向けて停車する大型車両の黒い影を見つめた幸哉は次の瞬間、恐怖の絶叫を上げていた。


「サラセン装甲車だ!」


「くそ!やばいぞ!」


 幸哉の絶叫に続き、ターレットについているエネフィオクが毒づいた瞬間、豪雨の如く激しい機銃掃射の嵐が幸哉達の乗るショーランド軽装甲車を襲った。


「バックしろ!バック!後退だ!」


 目の前の大型装甲車のターレットから放たれる機銃掃射の弾幕を既に弾痕だらけになった車体に受ける軽装甲車の中でヤンバは後方車両との無線を開いて叫んだ。


 一秒遅れて後退を始めた後方の車両に続き、一気に後進を開始した幸哉達の車両だったが、その瞬間には素早く方向転換を済ませていたFV603サラセン装甲車はアクセルを全開でふかして、後退する幸哉達の車両の追撃を始めていた。


「くそ!まずいぞ!」


 悪態をつくとともに追撃してくる敵装甲車に対して、ターレットに装着したFN MAGを掃射し始めたエネフィオクだったが、サラセン装甲車の方もターレットの搭載機銃を撃ち返し始め、幸哉達の乗るショーランド軽装甲車は一瞬の内に蜂の巣となった。


「まずい!防弾ガラスが破られるぞ!」


 無数の銃弾を食らい、弾痕とひび割れで真っ白になったフロントガラスを睨みながら、運転手の親衛隊兵士が叫んだ瞬間、車体全体を揺さぶるような強い衝撃が幸哉達を襲った。


 追撃してくるサラセン装甲車が後退する幸哉達の車に対して、前面から体当たりを仕掛けたのだった。


「くそ!このままでは殺られる!」


 後ろの車両もあり、後退に速度を上げれない状況に毒づいたヤンバは後部座席で無線機の交信を開くと、部下達に怒声を上げた。


「イーギス・ファイブ、ロケットランチャーを使え!なに、巻き添え?そんなことは気にせんで良い!このままではどのみち殺られる!」


 ロケット弾の使用を命じられたものの、標的との距離が近過ぎる幸哉達の車両が爆発の巻き添えを受ける事を危惧して命令の実行を躊躇っている後方のランドローバーの兵士達にヤンバは怒声を張り上げた。その次の瞬間、追撃してくるサラセン装甲車が再び幸哉達の車両に体当たりをかけ、二倍近く車体の大きい装甲車に車体前面から衝突されたショーランド軽装甲車の車内は再び大きく揺さぶられたのだった。


「早くしろ!もう、俺達が殺られる!」


 すぐそこまで迫った死の気配にヤンバが悲痛な叫び声を無線に叩き込んだ瞬間、大きな運動エネルギーを持った固まりが軽装甲車のルーフの上を飛び去り、三度目の体当たりを仕掛けようとしていたサラセン装甲車の車体前面に突き刺さった。


 それがヤンバの命令に従った部下が後方のランドローバーから撃ち込んだロケット弾だと分かるよりも先に幸哉は装甲車の狭い車内で身を伏せていた。


「危ない!」


 後部座席ではヤンバがエジンワに覆い被さって、身を伏せたのと同時にサラセン装甲車の車体前面に突き刺さった対戦車弾は遅発信管を作動させて、轟音とともに炸裂した。


 その一撃で運転席を破壊され、車両のコントロールを失ったサラセン装甲車は細い道の左右に車体を打ち付けながら横転すると完全に沈黙したが、幸哉達の試練はまだ終わっていなかった。対戦車弾の炸裂に近接し過ぎていた幸哉達のショーランド軽装甲車は爆発の余波をまともに受けることとなったのだった。


 成形炸薬弾の爆発で吹き飛んだサラセン装甲車の装甲の破片が爆発の炎とともに弾痕だらけとなった防弾ガラスを突き破り、幸哉達の乗るショーランド軽装甲車にも襲いかかった。


 身を伏せていたため、爆風の直撃を受けることは無かった幸哉だったが、それでも背中に走った熱感と痛みに呻き声を上げた青年は自身の体の安全よりも先に後部座席に座るエジンワの無事を確認した。


 爆風に押されて破られた防弾ガラスの破片の嵐を全身に受けたようだが、上に覆い被さったヤンバの庇護のお陰でエジンワは無事だった。


(何とか生き延びた……)


 自分の体の無事を確認するよりも先にそう安堵した幸哉だったが、安心するのはまだ早かった。


 次の瞬間、大きく車底から突き上げた激震に追いかけてくる追撃者が居なくなっても加速している自分達の車両に気が付いた幸哉は反射的に隣の運転手の顔を見やったのだった。


 だが、幸哉の視線の先に先程まであった親衛隊兵士の頭部は無かった。代わりに爆発の衝撃波でサラセン装甲車から飛散したものと思われる金属片がヘッドレストに突き刺さっており、その下では首から上を失った兵士の体が両手でハンドルを握り、右足でアクセルを踏み込んだまま、小刻みに痙攣している姿があった。


(まずい……!)


 思考などよりも先に助手席から身を乗り出していた幸哉は硬直する運転手の死体を押し退けながら、運転席に半身を突っ込むと、右足でブレーキを踏み込んだ。


 時速百キロメートル以上の高速から急激に停止がかかった車両の中で後方から前方にかけて突き上げてきた衝撃によって、上半身をダッシュボードに強打した幸哉は体の痛みに呻き声を上げながらも、今度はハンドルを制御しようとしたが、既に遅かった。


 減速をかけた次の瞬間、道の両脇に相次いで車体後部を衝突させながら後進を続けたショーランド軽装甲車は幸哉がハンドルに手をかけたと同時に大きく車体のバランスを崩し、横転したのだった。


 後方へと働いていた運動エネルギーに引きずられ、後ろへと下がりながら、二回転三回転と激しく回転した軽装甲車の車内でシートベルトを着けていなかった幸哉は体のあちこちを打ち付け、最後には上下が逆転した装甲車の天井に頭頂部を強打して意識を失ったのであった。





 意識が戻った時、幸哉の視線の先では二十メートルほど離れた位置で横転し、燃え上がっているサラセン装甲車がぼやけた視界の中にあった。


「くそ!幸哉、大丈夫か!今、出してやるぞ!」


 全身は激しく痛み、意識は朦朧としている幸哉の体を聞き慣れた声とともに誰かが引っ張る。


「エネフィオク……」


 上半身を車外へと引きずり出されたところでようやく意識が明瞭になった頭を振り、自分の力で残りの下半身を横転した車両の中から這い出した幸哉は自分を助けてくれた仲間の顔を見返して呆然と呟いた。


「早く立て!ここは危ない。後ろのトラックに乗るぞ!」


 そう叫ぶエネフィオクの補助を受けながら、何とか立ち上がった幸哉が横転した装甲車の後方を振り返ると、負傷したと思われるエジンワに肩を貸したヤンバがランドローバーに乗り込む姿があった。


 一先ず自分の守るべき指導者が無事だったことを確かめて安堵した幸哉がエネフィオクに肩を貸してもらった状態でランドローバーの後ろについているトラックに何とか乗り込むと、二度の襲撃を生き延びた二両の解放戦線車両は横転した装甲車が塞ぐ道を後退すると、二次退路に向かうべく新たな脇道へと進入したのであった。

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