第五章 二十一話 「狗井と"アドバイザー"」

 その日、"アドバイザー"はある人物と会うため、首都の外れに建てられた政府軍施設の廊下を歩いていた。


 チェスター・エプスタインが死んだ。彼の率いていたイガチ族部隊の壊滅とともに……。


 数日前、"アドバイザー"の元に届いたその一報は常に冷静な彼に僅かばかりの動揺と都合の良い手駒を失ったことに対する落胆の感情を湧き立たせたが、それ以上に"アドバイザー"は同時に届けられたある男の捕縛成功の報告に関心があった。


 チェスターが命を落とした戦闘で捕らえられたその男が収監されている牢獄の前にやって来た"アドバイザー"は鉄柵の解錠を済ませた看守に、「少し外していてくれ」と言うと、牢獄の中へと足を踏み入れたのであった。


 四方を灰色のコンクリートの壁で覆われ、光は天井から吊るされた電灯しかない四十平方メートルほどの広さの殺風景な部屋の中央には一本の鉄の柱が立てられていた。


 今までここで拷問を受けた者達の血で錆びた鉄柱に繋がれた鎖で両手足を縛られて佇んでいる男こそ、今日"アドバイザー"が彼と対面するために首都からわざわざやって来た相手だった。


「狗井浩司……」


 "アドバイザー"の呼びかけた声に項垂れていた男は顔を上げた。その顔は捕らえられてから今まで受け続けてきた拷問によって、あちこちから出血しており、全体は赤く腫れ上がっていた。


「久しぶりだな……」


 湧き上がる興奮を抑えながら、そう言った"アドバイザー"の言葉に反抗と憎悪の視線を向けた狗井は、「誰だ、お前は?」と返した。


 その声を聞いた瞬間、"アドバイザー"は数年間出したことも無い、腹の底から出るような笑い声を上げた。


「失礼、失礼……」


 鉄柱に繋がされた狗井が怪訝な目で見上げる中、殺風景な拷問部屋とは場違いな大笑いをした"アドバイザー"は傍らの敵将を振り返ると、その顔に自分の顔を近付けた。


「私を忘れたのか?私の顔は君のように腫れ上がってはいないぞ?」


 その"アドバイザー"の声と顔に何かを思い出したように狗井は両目を見開いた。そして、"アドバイザー"はそんな傭兵の表情に満足げに頷いた。


「まさか……、お前は……」


 しかし、信じられない……。そんな表情をした狗井の前から立ち上がった"アドバイザー"は壁の方へと歩いて行きながら続けた。


「そうだよ。僕だよ。白人政権の打倒以来だな、狗井……」


 目の前にいる男が自分の記憶の中にある旧知の人物と一緒であると気づいても、狗井はにわかには信じられず、呆然とした表情のまま"アドバイザー"のことを見つめていた。


「お前……、ここで何をしている?」


 まだ現実を受け止めきれていない狗井に"アドバイザー"は傭兵の方を振り返ると、再び狗井の方に歩み寄りながら答えた。


「見ての通り、政府の役人さ」


 そう答えた"アドバイザー"の言葉に狗井は驚きから怒りへと感情を変化させて、拘束された手足をばたつかせた。


「何故だ!何故、お前が!何故、お前の父親を殺した政府に味方している!」


 激昂を露わにした狗井に片手を突き出して制した"アドバイザー"は遠いところを見るような視線を拷問部屋の壁の隅に向けた。


「僕は学んだんだ、フランスで……」


 そう呟いた"アドバイザー"は再び狗井の顔に自分の顔を近づけると、傭兵に問う視線を向けた。


「君も学んだだろ?南アメリカで……」


「何のことだ……」


 何も心当たりがないといった表情で返した傭兵の言葉に再び部屋の隅の方を見やった"アドバイザー"は続けた。


「君が僕と別れ、ズビエを離れた間のことは調べ尽くしている。ベリサリオ・パブロ・カステルとその妻ソフィア、二人と君との間に起きた出来事もね……」


 自分の過去を知り尽くしている"アドバイザー"の言葉に同じく胸中まで見透かされている気がした狗井に返すことのできる言葉は無かった。


「強大な力を前にして抗うな……。君も痛いほど知ったはずだろ?」


 そう言い残した"アドバイザー"は踵を返すと、拷問部屋の出口へと向かう足を踏み出したのだった。


「待て、お前にはまだ……」


 痛む体を動かし、その背中を止めようとした狗井の声に"アドバイザー"は振り返ることはしなかった。ただ一言だけ返して牢獄を出たのであった。


「狗井、また君と一緒に戦える日を楽しみにしているよ」

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