第五章 四話 「体を蝕む異変」
何事も無かって欲しい……!
イガチ族の野営所からプラの集落まで三キロ。徒歩で移動するには少し長い距離であったが、鼓動を速める胸騒ぎに幸哉はプラまでの道筋をジャングルの中、走り抜けたのだった。
「そんなに急がなくても良いんじゃないか?きっと無線が故障しただけだよ」
後ろをついてくるオルソジはそう言って、幸哉のことを引き留めようとしたが、青年は走り続けた。
(そうだ……、きっと何事も無い……!)
消えぬ嫌な予感にカマルの姿を思い出した幸哉は不意に目の前の視界が霞むのを感じた。
(泣いてる……?)
確かに感情は激しく揺れていたが、悲しくもないのに零れ落ちてきた涙に幸哉が足を止めた瞬間だった。
「うぇっ!何か喉が痛い!」
後ろについてきていたオルソジが息を切らしながら、地面に唾を吐いてそう言ったのだった。
その姿を見て、先程まで友人の安否を気遣うことで頭の中が一杯だった幸哉は自分の眼が激しく痛むことに気がついた。
眼だけではない。鼻の奥も咽頭も激しく痛み、何もしていないのに涙と鼻汁が溢れ出してくる。
「何なんだ、これ!」
傍らでオルソジが体の異変に毒づく中、激しく痛む頭の中でプラの集落までの距離があと少しだということを計算した幸哉は痺れる体を動かして、それまで以上に速く走ったのだった。
「お、おい!待て!ここは何か変だ……」
叫び追い掛けてくるオルソジの声など最早聞こえず、痛みで涙が溢れ出してくる目を見開き、肺の苦しみも無視して走った幸哉は数分して、同胞と思われる兵士達の一団の姿を見つけた。だが、その兵士達の服装は普段、幸哉が目にするものとはかけ離れたものだった。
(何だ、あの格好……?)
爆弾解除班の防護服にも似た重装備にガスマスクを被った兵士達の姿に違和感を抱きながら、彼らのもとに走り込んだ幸哉に兵士の一人が慌てた様子で駆け寄った。
「二人とも早く防護服とマスクを着けるんだ!」
得体のしれない頭痛と体の不調は限界に達しており、幸哉は空気の行き届かない肺で精一杯の呼吸を繰り返しながら、男達に助けられつつ、防護服とガスマスクを装着した。
呼吸がしにくい上に窮屈な防護服の中に押し込まれて最初は気分が悪くなる一方だった幸哉であったが、徐々に体の不調が落ち着いてくると、冷静さを取り戻し、自分を助けてくれた男達に把握できていない事態を問うた。
「一体、何がどうなってるんです?」
「攻撃されたんだ、プラの集落が!化学攻撃だ!」
ガスマスク越しのくぐもった声で返された答えに幸哉は絶句した。
(カマル……)
兵士の返答を聞いた瞬間、脳裏に結婚式で幸せそうな笑顔を浮かべていた親友の姿が思い浮かんだ幸哉は思考する間もなく、ようやく容態の落ち着いた体を再び走らせていた。
「お、おい!待て!まだ、そっちは安全確保が!」
ガスマスクを付けた兵士の一人が止めたが、幸哉にその声は届いていなかった。
(何があっても助けないと……)
プラの村で落ち込んでいた自分を励ましてくれたカマル、カートランドでは婚約者の話を打ち明けてくれたカマル、今までともに長い時間を過ごしてきた親友との思い出が次々と蘇り、今度は感情の揺さぶりから流れた涙をガスマスクの中に溢しながら、幸哉は重たい防護服の体を動かして必死にプラの集落へと走ったのだった。
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