第五章 三話 「野営の痕跡」
(日本に帰るのか、俺は……)
自らの帰国が決定しても、幸哉は現実味を持つことができず、どこか他人ごとのような気がしていた。
一九九三年八月一日、カマルの結婚式から二週間強が経っていたこの日、幸哉は帰国前最後の任務についていた。
任務といっても大袈裟なものではなく、プラの集落の周辺をパトロールするだけのものだったが、休戦中であることもあってか、この二週間、戦闘はおろか、政府軍と出くわすことも一度も無かった。
結婚後の長期休暇を取って、プラの集落に残ったカマルが抜けた狗井の部隊にはオルソジ、エネフィオク、ソディックの普段のメンバーに加え、二十人程度の加勢が加わっていたが、幸哉は彼らとも順調に信頼関係を構築しつつあった。
「予定通りのルートだけでは何も分からんな。今日は道を逸れるか」
普段どおりの何事も起こらないパトロールの途中でそう言った狗井の言葉と判断が転機となった。
指揮官の判断の下、狗井の一個小隊は普段は入らない山道に分け入り、ジャングル奥深くに侵入したが、そこで野営の痕跡らしき開けた場所を見つけたのだった。
「全隊、止まれ!」
ジャングルの陰から双眼鏡で野営所を観察した狗井は人の姿や活動の痕跡が無いことを確認すると、エネフィオク達数人を援護のために残し、野営所の中へと偵察に踏み込んだのであった。
「数日経っているな……」
テントの立てられてあった痕跡や焚き火の残骸などを触りながら、狗井が声を漏らした。
(まだ近くに敵がいるかもしれない……)
休戦気分で完全に緩み切っていた気分を引き締められた幸哉は五六式自動小銃を構えて偵察を進める中で野営所の端に衝撃的なものを見つけて、息を呑んだ。
「何だ、これは……」
幸哉の傍らに立ったオルソジも腐臭に顔をしかめながら、思わず呻いた。彼らの前にあるのは地面に直立させられた木棒に突き刺された人の生首であった。
「処刑されたのか?酷いな……」
オルソジが悪態をつく中、既に腐敗し切り、ウジがわいている生首の顔にまだ幼さが残ることに幸哉が気付いた時だった。
「そいつらはイガチ族の少年兵だ」
背後からかけられた狗井の声に幸哉達は振り返った。
「彼らは成人になると、お互いを殺し合う儀式を強制される。その首は恐らく敗者のものだろうな」
ここは彼らの野営場だったらしい、と続けた狗井の言葉も腐臭に鼻を押さえた幸哉の頭の中には入っていなかった。
文化の違いを理解し、尊重することがお互いの理解に肝要であることは彼にも分かっていたが、まだ年端もいかない子供達を決闘し合わせ、加えて敗者の遺体をトロフィーのように飾る文化は日本という国からやってきた青年には受け入れ難いものがあったのだった。
「彼らは軍の正規部隊じゃない。何の命令を受けているのかは分からないが、自分達の立場を利用して活動を続けているのは確かだな……」
そう言った狗井が「放ってはおけない。追跡するぞ」と言った時だった。
「軍曹!プラの集落からです!」
背中に野外無線機を背負ったソディックが焦った様子で走ってきたのだった。
「どうした!何かあったのか?」
問うた狗井の言葉にソディックは顔をしかめながら、かぶりを振った。
「いえ……、それが無線が途中で途切れまして……」
大分、混乱していたようですが……、と続けたソディックの言葉に狗井は再度、無線を繋ぐように命じた。しかし、無線の交信は繋がらなかった。
「何があったんだろうな……」
困惑し、腕を組む狗井を前に幸哉は得体のしれない胸騒ぎがするのを感じた。同時にカマルと婚約者の幸せそうな姿が思い浮かび、プラの集落に残っている親友の安否が気になって不安に駆られた幸哉の方を向いた狗井は判断を下したのだった。
「よし、幸哉。オルソジ。二人でプラの集落に戻り、状況を確認して来てくれ」
恐らく何もないと思うが……、と言った上官の命令に敬礼を返した幸哉達はプラの集落に戻る足を踏み出した。
(頼む……、何事も無かってくれ……)
先程、得体のしれない死体を目にしたばかりだからか、鼓動が速まる胸の内の不安を抑えながら、幸哉はオルソジとともにプラの集落へと戻る道を走ったのであった。
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