第四章 十五話 「殺意のカウンタースナイプ」

「よくやるな……、あいつらは……」


 危険な地雷原を味方からの砲撃も受けながら突破していくイガチ族歩兵部隊の後ろ姿を暗視装置付きのスコープで確認しながら、チェスターは薄ら笑みとともに呟いた。


 英語で呟かれたその独話を彼の隣で地面に伏せていたイガチ族の少年が理解したかは不明だが、少年はチェスターの肩を叩くと、要塞の方を指さした。


「始まったか……」


 少年が指す先では要塞のバンカーや機銃陣地が銃撃のマズルフラッシュを煌めかせ始めており、その様を見つめたチェスターは爬虫類のように長い舌で口の周りを舐ると、構えたリー・エンフィールドL42A1狙撃銃の銃口をマズルフラッシュの閃光の一つに向けた。


 距離は五百メートル以上離れている上、視界を照らす光もない闇夜の中で解放戦線兵士達がチェスターの姿を見ることは殆ど不可能だったが、先端に暗視装置を装着したスコープを覗いているチェスターからはカートランド要塞の状態は全てが手に取るように見えていた。


(まずはあいつから……)


 突撃してくる歩兵部隊にバンカーの中から猛烈な掃射を放っている重機関銃のマズルフラッシュを緑がかった暗視スコープの視界の中央に捉えたチェスターは深呼吸の後、引き金を引き切った。


「殺った」


 発砲から数秒の沈黙の後、暗緑色の視界の中で狙撃弾の命中した標的が血を噴き出して倒れるのを確認したチェスターは薄ら笑みとともに次の標的を別のバンカーの機銃陣地に捉えた。


 数秒の捕捉の後、再びリー・エンフィールドL42A1がマズルフラッシュの閃光とともに狙撃弾を放ち、二つ目の標的を始末した。


 闇夜の中で裸眼しか視力のない解放戦線兵士達に対し、最新式の暗視装置を使うチェスターの狙撃は一方的な殺戮だったが、元ローデシアSASの白人傭兵は躊躇うどころか、その殺人に愉悦さえ見い出して狙撃を続けた。


 その様子を隣で観察していたイガチ族の少年兵は殺戮を何とも思わない狂気を垣間見て、十歳にも満たない幼さの中にも本能的な恐怖感を感じ、狙撃銃の予備弾倉をチェスターに渡す手を震えさせていた。


「おお、面白いやつが出てきたぞ……」


 バンカーの機銃、地上陣地の砲兵、塹壕を走る敵兵……、夜闇の中に身を隠していると思って無防備な姿を晒している解放戦線兵士達を一方的な狙撃で次々と葬っていったチェスターは十五個目の標的を探そうとしている途中で満足げな独り言とともに一人せせら笑った。


 暗視装置を持たない少年にはその不気味な笑みの理由は理解できなかったが、チェスターが覗き込んでいる暗視スコープの暗緑色の視界の中には月光をレンズに反射させて輝く人影があった。


 恐らくはスナイパースコープのレンズ反射……、そう判断したチェスターは頬に薄っすらと不気味な笑みを浮かべたまま、


「この暗さの中、裸眼でカウンタースナイプしようなどと、浅はかな……」


と独り言ちると、数秒の間に照準を敵スナイパーにつけた狙撃銃の引き金を引き切っていた。


 その銃弾が五百メートル超の距離を越え、バンカーの狭い銃眼からネルソン・マレーの頭蓋に直撃したことは幸哉を始め、解放戦線側の誰にも知る由がなかった。





 まさかネルソンを狙撃した敵スナイパーが自分をかつて瀕死に追い込んだ傭兵であるなどと想像すらしていなかった幸哉はネルソンを目の前で殺された怒りに身を任せて、掩体壕の通路の中を疾走した体を別のバンカーに飛び込ませた。


「すまない。どいてくれ」


 言葉は丁寧だったが、有無を言わせぬ口調で要求した幸哉はバンカーを防衛していた解放戦線兵士達を押し退けると、携帯してきたモーゼルGew98の長い銃身を狭い銃眼の穴から構えた。


「何すんだ、お前!ここは俺達の……」


 持ち場を奪われた解放戦線兵士達は苦言を呈するとともに幸哉を退かせようとしたが、振り向いた日本人青年の殺気だった目と、「黙っていろ!」と言い下された語気の激しさに圧倒されて黙ってしまった。


(向こうから狙えるのだから、こちらから狙えないはずがない……)


 そう胸中に念じた幸哉の考えは暗視装置を持った相手を敵にしては無理な理屈だったが、そんな無理など気迫だけで乗り切ってみせるという強い意志と復讐心が今の幸哉にはあった。


 そして砲弾が巻き上げた砂塵の幕に覆われた夜暗の景色の中、普通の人間であれば見つけることのできない敵狙撃手を五百メートル離れた小高い丘の上に発見できたのはそんな復讐心が為さしめた神業だったのかもしれなかった。


「見つけた……」


 殺気の籠もった目でスコープの中を覗き込んだ幸哉はいつかの狙撃とは違い、敵を必ず殺すことを躊躇なく狙って、敵スナイパーの頭に照準の十字線をつけた。


(死ね!)


 胸中に念じた殺意とともにGew98の引き金を引き切った幸哉はスコープの拡大された闇の視界の中に敵狙撃手が脳髄を散らして死ぬ瞬間を熱望したのだった。





 暗視スコープを使った一方的な殺戮が終わりを迎えたのは二十七個目の標的をチェスターが狙っていた時だった。彼が全く狙ってもいない、危機に気付きもしなかった方角から飛来した狙撃弾がスコープの先端に取り付けられた暗視装置を撃ち抜いたのだった。


 殺人に愉悦を見い出し、笑みを浮かべていた快楽殺人者はしかし、目の前の暗視装置が粉砕され、視界がブラックアウトすると同時に頬に突き刺さった暗視装置の破片に表情を強張らせると、傍らの少年を押し退けて回避姿勢を取った。それと同時に二発目の狙撃弾が後から遅れてきた飛翔音を引き連れて彼の額の右脇を擦過し、古傷の横に新たな傷を作ったのだった。


 九死に一生を得た……。


 回避姿勢のままローリングし、チェスターとともに岩陰に逃げ込んだ少年はそう思った。


 敵には天才的に夜目が効く狙撃手がいる……。


 本能的な恐怖と畏怖を感じるとともに一方では今まで世界で一番強いと信じていたチェスターを超える人間が存在することに少年は奇妙な安堵感を感じていた。


 この快楽殺人者が世界の全てではない。もしかすると、もっとまともで強い人間が存在するかもしれない……。


 その強い人間は敵なのに奇怪な安心感を感じる少年の横で暫くの間、絶対的な優位で敗れた敗北感に打ちひしがれていたチェスターは突然、狂気の奇声を上げると、握りしめた拳を何度も地面に叩き付けて叫び声を上げ始めた。


 さながら物事が自分の思い通りに進まなかった幼児の如く騒ぎ立てる白人傭兵の姿を呆然と見つめていた少年がグロテスクな恐怖を感じたのは言うまでもなかった。

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