第三章 十七話 「再び固めた決意」

 予期せぬ危機に直面しても、冷静に決断を下し、狗井の偵察した非常路を使って、迅速にホットゾーンを離脱した幸哉達は本拠地であるプラの集落に到着して初めて"エンジェル・バード"に攻撃が無かったことを知った。


「接近していた車両は味方の別働隊で、無線が切れたのは単にあっち側の無線機が故障してただけらしい」


 上官への報告を終えたソディックが気を遣って幸哉にも真実を伝えてくれたが、憔悴しきった青年は上の空で相槌を返すことしかできなかった。


 そんな取るに足らない事実よりも自分にはゆっくりと考えないといけないことがある……。


 心の何処かで急かされる感覚に胸の動悸と不安が高まる中、幸哉は疲れで霞む視界に集落の遠方から手を振りながら走ってくる旧友の姿を見つけた。


「カマル……」


「幸哉!」


 予期せぬアクシデントによる心労に加え、長時間の行軍で肉体的にも疲れ切った幸哉の傍らに走り寄ってきたカマルは日本人青年の背負った装備の一部を担ぎながら、幸哉の手を引っ張った。


「疲れただろ。来てくれ。俺の家に水も食べ物も用意してあるから」


 笑顔で振り向きながら自分の手を引っ張るモチミ族の若者の優しさに、僅かに残された余力で笑顔を返した幸哉はエジンワや狗井が待機していた政治幹部達とともに作戦センターの方へと歩いていく姿を見やった。


(会合の総括をするのか……)


 平時であれば禁じられても付いていくところだったが、憔悴し切っている今ではそんな気力も無かった幸哉は首を振り、総括に参加しようと一瞬でも考えていた心積りを振り払うと、手を引っ張る友人の後に大人しく続いたのであった。





 半日にも及ぶ長時間の会合の後、突然の非常事態にも巻き込まれ、心身ともにストレスの溜まっている状態だったが、エジンワや狗井を含む会合参加の幹部達はプラの集落に到着すると同時に待機していた政治幹部達を交えて、作戦センターにて情報共有のブリーフィングを始めた。


「まず、最初にヘンベクタ要塞の件ですが……」


 天井に吊るされた小さな扇風機が蒸し暑い空気を僅かに換気するセンター室内に会議参加者全員が着席したのを確認すると、報告者でありながら座長も務めるエジンワが最初に口を開いた。


 解放戦線の盟主として部族間会合の間も談論の中核を担っていたエジンワは心身ともに疲労しているはずであったが、総括の間も全くそんな素振りは見せず、センターの片隅に座ってその様子を見ていた狗井は若き指導者の才覚に改めて感嘆させられた。


「要塞最深部に貯蔵している化学兵器に関してはその存在が政府や諸外国に知られる前に少量に分割して隣国のゾミカへ移送し、処理を委託することで決定しました」


「そうなるとゾミカからは処分の見返りに我々へ何らかの要求があると考えるべきだな……」


 プラに待機していた政治幹部達の中でエジンワの説明に初めて口を開いたのは解放戦線のナンバー・ツーであるサズマン事務局長だった。


「仰る通りです、事務局長。しかし、我々の領地内に処理施設がない以上、この決定しか道はありませんでした」


「なるほど。確かに……」


 外見は気難しそうだが、内面は話のよく分かる初老の政治幹部であるサズマンが薄くなった白髪を擦りながら頷くのを確認したエジンワは次の一件に移る口を開いた。


「同じくダンウー族関連の問題ですが、少年兵に関してはカワニ族とオツ族の監視の下、徐々にその数を減らしていくことをトールキン氏の代表代理に確約させました」


「だが、ダンウー族は部族総決戦を謳い文句にしている部族だ。そう簡単にはいかんだろうな……」


 今回の議題に関しても左右の政治幹部達と顔を見合わせながら最初に口を開いたサズマンにエジンワは頷き返した。


「しかし、ゾミカや諸外国からの支援を引き出すためには、これも解決せねばならない問題です」

「それは確かにそうなのだが、簡単にはいかんだろうな……」


 唸りながらそう言ったサズマンはまだ納得し切っていないようだったが、大多数の政治幹部達が頷くのを確認したエジンワは手元の書類をめくると、


「そして次の案件が今回の会合では最も肝要な議題だったのですが……」


と言い、一息置いて重々しく口を開いた。


「カートランドへの軍事支援が決定しました」


「カートランド!」


「あのカートランド要塞のことですか!」


 驚いた政治幹部達が口々に言葉を漏らす中、あくまでも冷静な様子のサズマンは机の上に肘をついた両手を顔の前で組むと、最高指導者の意志を確かめる視線をエジンワに送った。


「カートランド要塞といえば現在、政府軍による地上包囲が完成しつつあるが、閣下はどうアプローチするお積もりですか?」


 センターに集った一同の視線が集中する中、最も重要な問いを受けたエジンワはその答えを形にする言葉を探しながら、ゆっくりと口を開いた。


「既に部族間会議にて作戦の概要は決定しています。地上からの要塞への接近は不可能ですので空挺での……」


 エジンワが幹部達に対し、カートランド救済の作戦を語り始めるのを確かめた狗井は一同の話を聞いていたセンターの片隅から立ち上がると、今度は自身が解決せねぱならない問題の決着のために室外へと歩む足を踏み出したのだった。





「君が無事に戻ってきてくれて、本当に良かった」


 何度もそう言い、鼓舞するように肩を叩いてくれたカマルの優しさに幸哉は披露した精神を癒やされるのを感じたが、その一方でこの数日の間に生じてしまった自分の内心と親友の様子との乖離にも気づき、心悲しさも感じていた。


 カマルの方が兵士として過ごしてきた期間は幸哉の何倍も長いはずだったが、そうは感じさせない彼の明朗さと快活さが今の幸哉にとっては却って白々しく、平和ボケしているように感じられてしまうのであった。


「まぁ、ゆっくりしていってくれよ」


 そう言い残し、現地人の女性とともに歩み去っていったカマルの背中に幸哉は一つ溜め息をつくと、一人残されたカマルの家の縁側で椅子に深く腰掛けた。


(優佳……)


 カマルとともに去っていた彼の恋人と思しき女性の、長い黒髪を流した背中に自身が日本に残してきた最愛の人の姿を重ね合わせた幸哉はふと優佳が自分のことをどれだけ心配しているか考えて、胸を締め付けられるように感じた。


 今まで殆ど考えることもなかった、考えるべきだったのに心を及ばすこともしなかった……。死んだ健二や虐げられた弱き人々のためと言って、自分勝手なわがままを貫くことしか考えず、優佳にどれほど不安と悲しみを感じさせているのか全く考えもしなかった自身の身勝手さを今になって気づき、自己嫌悪に苛まれた幸哉はやはり日本に生まれた自分には元来から兵士となることなどで不可能な運命だったのではないかと思い至った。


(こんなことで迷っている時点で、もう日本に帰るべきなのかもしれない……)


 幸哉の胸にそんな一抹の思いが生まれた瞬間だった。


「大丈夫か?」


 突然かけられた声にハッとして顔を上げた幸哉の前では両腕を胸の前に組んだ狗井の姿があった。


「狗井さん……」


「まだ悩んでいるのか?」


 決して責めている訳ではない。正直な自分の内心を問うている上官の言葉に幸哉は無意識の間に抑え込んでいた胸の内を零してしまった。


「俺は多くの人を巻き込み、大事な人達に迷惑や不安をかけてまで貴方のような兵士になろうとした。でも……」


 そこで言葉を詰まらせた幸哉を狗井は急かすことはしなかった。ただ、青年が自らの胸の内を自分自身の言葉で表現するのをゆっくりと待った。


「でも今、たった一人の兵士を殺めただけで俺の心は激しく揺れている。こんな俺が……、俺に……、本当に弱い人々を救うことなどできるのでしょうか?」


 顔を俯け、消え入りそうに震える声で発せられた幸哉の思いに狗井はすぐには言葉を返さなかった。二人の間には数秒の沈黙が流れ、青年が自身の思いを再確認する時間を置いた後、傭兵は重々しく口を開いたのであった。


「人の死や不幸に対して無感動になることが良き兵士となることに繋がる訳ではない。ましてや、お前の望む弱い人々を救うためには今、目の前の敵の死に悩み苦しんでいる人間としての心が必要だ。その心を完全に捨てれば、兵士はただの大量殺戮者と成り果ててしまう」


 狗井の言葉に幸哉は俯けていた顔を上げた。周囲にははしゃぎ合う子供達の叫声や村の日常的喧騒があったが、二人の間には落ち着いた静寂が確かに流れていた。


「だが、戦場に長く居続ければ、暴虐や殺人にも慣れ、どうやっても人としての心は摩耗していくことになる」


 自身を見返す青年の目をしっかりと見つめて、狗井は幸哉に問いかけた。


「純粋な心のままで日本に帰りたいなら今が最後のチャンスだぞ」


 自身よりずっと経験の豊かな傭兵、自分の悩む先にその姿がある男の言葉に再び顔を俯け、自身の両掌を見つめた幸哉は自分が本当に望むもの、未来の姿に対して思慮を広げた。


 この先、自らが引いた引き金の罪により自分は苦しみ続けることになるだろう。そしてその苦しみが時に自分の大事にしたい人々をも傷つけることになるかもしれない……。だが……。


(それでも虐殺と暴力に対し、最前線で体を張ることで弱き人々を救えるなら……!)


 やはり自分は戦い続けたい……、そう決意した幸哉は再び目の前の傭兵の顔を見上げていた。


「俺は……、それでも戦います……!」


 声は震えながらも、力強く返した幸哉の返答に自分の過去を見たような気がした狗井はどこか哀愁にも似た切なさを感じつつも、微笑を浮かべて頷き返すと、目の前の青年に右手を差し出した。


「二週間後、カートランドへの軍事支援が決定した。我々も参戦する」


 上官から与えられた新たな任務の内容を聞き、もう戻れない過去に刹那の間で別れを告げ、覚悟を決めた幸哉は力強く頷き返すと、差し出された狗井の右手を握り返したのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る