第三章 十五話 「非常路へ」

「この娘はあの廃村に住んでいた子だ……。あの虐殺の後、他の子供たちと一緒に政府軍に誘拐されたはずだったが……」


 サシケゼの集落を出発する直前、エジンワの見送りに出てきた村長が幸哉達の連れてきた少女の顔を見て漏らした言葉を日本人青年はサバナ草原を進むピックアップトラックの荷台の上で揺られながら回想していた。


 最後まで自分の過去に関して大人達を非難すること無く、また自分の未来に対して何かを希求することも無かった少女……。まるで一切の感情を失ってしまったかのような幼女の様子が虐殺や誘拐の記憶によるストレスに起因するものなのか否か、幸哉には分からなかったが、物言わぬ少女の姿は自らが殺めた兵士の最期の姿とともに青年の脳裏に焼きついて離れないのであった。


 やはり、あの兵士は自分の罪を償うため、軍に誘拐された少女を助け出し、あの村に戻ったのだろうか……。


 当の本人が死んでしまった今、真相を確かめる手段は無く、思い悩むことしかできない幸哉にとって唯一の救いは少女が安全で人情の溢れるサシケゼの集落に保護された事だったが、その事実だけで自らの罪悪感を抑えるには青年の心は純真過ぎた。


(これから何度も同じ後悔と迷いを背負い続けていくのだろうか……)


 たった一発の銃弾、たった一撃の銃撃、たった一度の殺人だけで心の奥底まで乱される自身の脆さと覚悟の薄さに揺れる不安を覚えた幸哉がつい一時間前に引き金を引き切った右手を見つめながら、兵士として戦うことを辞めようかと考え始めていた時だった。


「幸哉、君には兄弟はいるか?」


 突然、目の前からかけられた声に幸哉はハッとして顔を上げた。その視線の先、彼と向かい合うようにしてピックアップトラックの荷台に腰掛けている兵士はしかし、本物の解放戦線兵士ではなかった。それは兵士達と同じ軍服を着込み、解放戦線の一般兵に成り切ったエジンワだった。


 車列中央を走る装甲車には敢えて乗らず、車列後方のピックアップトラックに兵士と同じ姿をして彼が乗車しているのは敵の目を欺くためでもあったが、同時に心に深い傷を負っているであろう幸哉としっかりと話をしたいというエジンワの内心の表れでもあった。


 しかし、激しく掻き乱されている幸哉の心に他人の気遣いに気付く余裕は無かった。突然、投げ掛けられた問いにただただ唖然とした表情で見返す青年にエジンワは車外に拡がる広大なサバナ草原に視線を向けて続けた。


「私にはいた……」


 どこか悲しげな、遠くを見つめるような横顔を見せるエジンワに初めて彼の弱さを見た気がした幸哉は他人の繊細な部分にどう触れれば良いのか当惑したが、そんな戸惑いを無に返すかのように先程までの悲しみの表情を一瞬で消し去ったエジンワは微笑を浮かべた顔を幸哉に向けた。


「政府に討たれた父とともに三人でメネべの独立を誓った弟がな……」


(エジンワさんに……、弟がいた……?)


 初めて耳にする事実に動揺し、先程までの憂鬱を一瞬だけでも完全に忘れ去った幸哉にエジンワが更に何か言おうとした瞬間だった。


「"エンジェル・バード"に武装した未確認車両が接近!」


 幸哉達と同じピックアップトラックの荷台に乗っていたソディックが無線の受信機に耳を当てたかと思うと、タイヤが砂利を踏み鳴らす騒音の中でもはっきりと聞こえる大声で叫んだのだった。


 "エンジェル・バード"というのは幸哉達がプラからサシケゼへの長距離移動に使用したダグラスDC-3の秘匿コード名だったが、今はサバナの荒野に駐機しているその大型輸送機に敵味方識別不能の車列が接近しているという報告を聞き、護衛班の間には戦慄が走ったのであった。


「正確な数は何両だ!何故、敵味方を識別できん!」


 全車停止した車両部隊の中で自らが運転する車から降りて来た狗井がピックアップトラックの側に駆け寄ると、怒鳴るようにしてソディックに問うた。


 普段よりも一段と切羽詰まった上官の様子に、「それが……」と言葉を詰まらせるように声を出したソディックは報告を続けた。


「敵味方不明の車両群が接近という報告以降、無線が途絶してしまいまして……」


 輸送機を防衛している部隊との唯一の連絡手段となる無線機が沈黙し、一同が当惑して沈黙する中、ソディックから無線機を取り上げた狗井が交信機を数秒の間触っていたが、無線機自体には故障は無かったらしく、首を傾げた。


 遮蔽物が何一つ無い草原の中で移動を停止し、加えて変装しているとはいえ、最重要人物が乗る車両に集合することは狙撃手のことを考えると、危険極まりないことだったが、狗井達が打開策を見い出せずにいると、親衛隊隊長のヤンバ少佐までもが乗っていた装甲車を降りて、幸哉達のトラックの場所にやって来たのだった。


「何故だ!何故、車を止める!こんなところで襲撃を受けたら一溜まりもないぞ!」


 狗井達が集合に遅れた件から苛立ち続けているヤンバの激昂する声に、狗井が冷静な姿勢で反論する声が聞こえる。


「少佐、仰る通りですが、事態を完全に把握できない以上、下手に行動すれば逆に危険区域に足を踏み入れかねません」


「そんなことは分かっとる!ワシに戦略行軍論を説教するつもりか?」


「ですから……」


 ピックアップトラックのフロント前で二人の上官が言い争うのを聞きながら、幸哉は半ば上の空で現状の事態について考えていた。


(無線が切れたということは……、守備隊は全滅?)


 輸送機には護衛班の十数人とサシケゼの集落から貸し出された兵士達の合わせて三十人程度の守備隊が防衛についていたはず。決して多くはない人数だが、その全員が一瞬で全滅したとは俄には信じ難い話だった。


「少佐、非常路を使いましょう!」


 守備隊の安否、敵の戦力規模、交戦の可能性について考えていた幸哉は突如、サバナの草原に響いた狗井の透き通った声に意識を現実に引き戻された。


「第十三独立軍の兵士が居た道だぞ!そんな道は使えん!」


「居たのはただの脱走兵です!少佐!」


 絶対に譲らぬといった表情ですかさず反論したヤンバに狗井は交渉を続ける。しかし、ヤンバも引き下がる様子は全く無く、二人の話し合いが平行線のまま終わらないのではないかと幸哉が憂慮した時だった。


「少佐、非常路を使いましょう」


 整然と透き通った一声、まるで小風の音のように穏やかな声が聞こえた瞬間、言い争っていた軍人達は一瞬で沈黙すると、ピックアップトラックの荷台の上から自分達を見下ろす声の主の方を直立不動の姿勢で向き直った。


 仲間内で争い合っていた部下達を一瞬で宥めたのは疑いようもなく唯一人、エジンワだった。


(すごい……)


 先程までの激しい論争を一気に沈黙させ、平穏の静寂を現出させたエジンワの指導力に幸哉が感嘆している傍らで狼狽えた様子のヤンバが意見しようとする。


「しかし、閣下……」


 だが、その先は声にならず、受け答えたエジンワの返答が代わりに続いた。


「私は狗井を信じるぞ」


 決して強制したり、部下の意見を挫こうとしたのではない。しかし、力強く発せられたエジンワの言葉には人を無意識に従わせる強さがあった。


「分かりました……」


 まだ不服はありそうだったが、一礼したヤンバは自身の乗る装甲車の方へと戻って行った。狗井や他の兵士達も持ち場に戻る中、幸哉は自身には無い人々を導くカリスマ性と才能を目の前で見せつけられ、感嘆するとともに打ちひしがれてもいた。


(俺にはあんな風に人を従えることはできない……)


 だが、そんなことで本当に弱い人達を救うことができるのか……?


 自分がズビエに来た理由、いやそれ以上に今は人生の目的ともなっている生き甲斐を自分の軟弱さ故に果たすことができないのではないかと不安に駆られた幸哉を乗せ、ピックアップトラックは再びサバナの草原を走り始めた。しかし、その方向は"エンジェル・バード"の待機する荒野の方ではなく、サシケゼの集落と廃村がある方角だった。


 先導車両を先頭にUターンした車列は狗井達が会合中に偵察していた非常路に向けて、乾燥した荒野の中を疾走し始めたのであった。

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