第三章 十三話 「弔い」

 狗井とソディックがそれぞれ前方と後方を警戒する中、二人に挟まれた幸哉とエネフィオクは分担して、政府軍兵士の遺体を運搬した。


 今までにも死体を運搬する機会はあったが、自分が殺めた分、より重たく感じられる遺体の足を抱え、藪の生い茂る獣道を行く中、幸哉は様々なことを考えていた。


 彼は贖罪をしたかったのか……?あの時、彼が自分の指示を無視して抵抗したのは武器を取ろうとしたのではなく、ただ少女を守ろうとしただけだったのか……?だとしたら、引き金を引いた自分の決断は本当に正しかったのだろうか……。


(いや、そんなこと考えても仕方がない。俺はあの時、彼に向かって引き金を引いた瞬間、確かに覚悟を決めたのだから……!)


 脳裏にまとわりつく迷いと後悔の念を、首を左右に振って払い除けた幸哉だったが、ふと傍らを並んで歩く幼女の姿を目にすると、様々な想像が彼の頭の中を巡り始めるのであった。


 彼が贖罪を果たすため、自らの部隊を捨て虐殺の場に戻って来たのだとしたら、どうしてこの少女を連れていたのか……。


 誰に指示された訳でもないのに、幸哉達に付いてきて、運ばれる死体の傍らにずっと寄り添っている少女の様子を見て、やはりこの政府軍兵士は彼女にとって大切な存在だったのではないかと幸哉が罪悪感にも似た複雑な感情を抱いた時だった。十分ほど歩いて来た獣道の左右に生い茂る藪が突如として開け、目の前に悠然と流れる大河が姿を現したのであった。


 ヘンベクタ要塞からの脱出を思い出させるような光景と状況を目にした瞬間、狗井の言っていた"非常時用の退路"の全容をようやく理解した幸哉は思わず声を漏らしてしまった。


「非常時の退路って、船を使った逃走路のことだったんですね……」


 作戦説明を十分に受けていなかったため、今になって初めて作戦の概要を理解した幸哉の方を振り返った狗井は微笑とともに頷きながら、河川の下流の方を指差した。


「この先、八百メートルのところで待機してくれている」


 そこまでの道は既に俺達が偵察してある、と続けた狗井の指差す方向を背伸びして見た幸哉だったが、百メートルほど先で大きくうねり、その左右は背の高いサバナ草原の草木に覆われている河川は船の停泊している場所まで見通すことは不可能であった。


 だが、作戦を指揮する訳でもない幸哉にとってそんなことはどうでも良かった。それよりも彼にとっては自分の殺めた兵士の死体を狗井がどう弔うつもりなのか、その事の方が何倍も重要なことだった。


 そんな幸哉の心中をその目を見て察したのか、河川の方を振り返った狗井は、「時間があれば埋葬してやりたかったがな……」と言葉を漏らすように言うと、再び幸哉とエネフィオクの方を向いた。


「水葬ですか……」


 狗井の意思を無言の内に理解したエネフィオクだったが、葬儀方法といえば火葬しか知らない幸哉は上官の意図を十分に理解できず、


「す、水葬……?」


と首を傾げた。


「死体を川に流すんだよ」


 物分かりの悪い部下の青年に呆れたような表情で説いたエネフィオクは幸哉が上官の言葉の真意を理解し切るよりも先に、二人で運んでいる死体を引っ張って川の方へと歩いて行こうとした。


「えっ、でも、それって結局死体を放置するのと変わらないんじゃ……」


 いや放置するよりもっと酷い……、そんな非難するような視線を向けて問うてきた幸哉にエネフィオクは一旦足を止めると、軍葬に関しては全く無知な青年にも納得できるよう、噛み砕いて説明した。


「あのな……、水葬ってのは各国の葬儀でも取り入れられている立派な弔い方なんだぞ」


「そ、そうなんですか……」


 エネフィオクの真剣な表情から決して彼らが死体をいい加減に扱おうとしている訳ではないことを感じ取った幸哉は反論することなく、上官の話を静かに聞き続けた。


「要は肝心なのは心だ。相手を思う心。俺には理解できんが、お前にはこいつの死に対して何か思うことがあるんだろ?」


 そういう思いを昇華させながら水葬するなら、もうそれは立派な弔いなんだよ……。そう言ったエネフィオクの言葉に幸哉は頷くことしかできなかったが、心中ではその思慮深さに感銘を受けていた。


(思いを昇華させる……)


「いい加減、手が痺れてきたし。早く済まそうぜ」


 完全に力の抜けた成人男性の遺体は普段、機関銃を振り回しているエネフィオクにとっても重たいらしく、顔をしかめたダンウー族の機銃手に頷き返した幸哉は川の方へと近づく足を踏み出したのだった。


 表面を茶褐色の水面に覆われているため、川底を見通すことのできない河川の外観は入国前に健二から忠告された寄生虫の懸念を幸哉に抱かせたが、サバナの乾きと暑さの中にあっては足を踏み入れた水中の冷たさは心地良くもあった。


「ワニがいるかもしれんから、あんまり深くまでは行くなよ」


 岸でソディックとともに周辺を警戒する狗井が二人に忠告する。


「えっ、ワニ……」


 ここは日本とは全く生態系の異なるサバナの大地……、考えてみればワニが川に生息しているなど当然のことであったが、母国の常識のままに行動していた幸哉は敵を前にするのとはまた全く異なる恐怖感に突然襲われた。


(いや、そんなこと心配している場合じゃない……)


 ここに来たのは自分自身の意思……、関係のない戦友達も巻き込んで敵の遺体を弔いたいと言ったのも自分自身……、ならば自分にはしなければならないことがある……。


(この思いを……、迷いや後悔も含んだこの心中を昇華させる……)


「ここらへんで良いだろう」


 岸から十メートルほど離れたところ、水深が膝と腰の中間までの高さになったところでエネフィオクと幸哉は政府軍兵士の遺体を川の流れの中央へと押し出しながら手放した。その瞬間、幸哉は日本のような平和な国から必要もなしに来た自分のような人間に殺されてしまった敵の兵士に憐憫の情とともに哀悼の念を送ったのであった。


(また次に生まれ変わるようなことがあれば、その時は平和な国に生きてくれ……)


 水深のやや浅いところで水葬したため、川底のどこかに引っ掛かるのではないかと心配に思っていた幸哉だったが、川の流れに乗った遺体はゆっくりと川の中央へ下流の方へと流れていった。


「もうそろそろ時間だ。戻るぞ」


 岸の方から警戒についていた狗井がかけてきた声にエネフィオクとともに頷き返し、川から出る足を踏み出した幸哉はその瞬間、川岸の一角で佇んでいる少女の姿を目にして、再び心が揺さぶられるのを感じた。


 ゆったりとした水流に揉まれながら、ゆっくりと下流の方へと流されていく政府軍兵士の遺体を何も言わずに見つめる幼女の純真な眼差しに幸哉は自分が為したこと、そしてこれから為すであろう行動に対して付きまとう責任と覚悟の重さを自覚するのであった。

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