ポポポーポ・ポーポポ
鈴北るい
紳士ポポポーポ・ポーポホの事件簿/あるいは――
0
ポポポーポ・ポーポポは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の殺戮オランウータンを除かなければならぬと決意した。
ポーポポはパリに住む作家である。パリで起こる怪事件を、年は若いが有能な警官が華麗に解決するような、新しいタイプの小説を書こうと志していた。
ところがあのアメリカ人、エドガーなにがしという不埒者が、ポーポポの構想を横取りしたかのような作品を、彼の愛するパリを舞台にした小説を発表したのみならず、パリ警察を無能扱いし、あまつさえパリが殺戮オランウータンなどという胡乱なものを登場させてパリを貶めたものであるから、ポーポポはすっかり怒り心頭で、友人であれなんであれ、とにかく出会った者にエドガーなにがしの悪口を言って回っていた。
口では同情を述べ、名作の完成を願っているよと言ってくれた友人たちであったが、ある日集まりに行ってみると、先に集まった友人たちが何事か話している。
「ポーポポのやつは最近いっそううるさくなったね。書けもしない名作のことばかり言っていやがる」
「エドガーなにがしがパリを貶めたとかなんとか言っているが、あいつこそパリの恥晒しというものさ」
「あいつの話なんかよそうぜ。それよりさ、そのエドガーなにがしの本を読んだかい、君」
「読んだとも読んだとも。ああ、あれこそ傑作というものさ。くやしいなあ、ああいうものをこそフランス人が書かねばならなかったと思わないかい」
「まったくだよ。僕はね、本格的な研究をするためにアメリカに行ってみようと思ってるのさ」
ポーポポは激怒のあまり声を上げることも出来ず、呆然として立ち尽くした。その後も友人たちはエドガーなにがしの話で盛り上がっていたが、ポーポポの頭は真っ白になってしまって、あとのことは耳には少しも入ってこなかった。
気づくと、ポーポポは自分の下宿に帰ってきていた。狭く、暗く、汚い部屋の中で、ベッドに転がり、小さく丸まりながらポーポポは泣いた。
ああ、世界はなんと残酷なのだろう。憎きエドガーなにがしは、自分からアイディアを盗み、パリを貶め、友人さえ奪おうとしている。
だというのに、自分はただこうして小さくなって泣くことしかできない。許されていいはずがない。こんな理不尽が許されていいはずがないのだ。
泣いて、泣いて、泣いて、そしていつの間にか眠ってしまったらしい。夜中、ふと目を覚ましたポーポポは、頭の中がいまだかつてなくすっきりと冴えているのに気がついた。
涙が憂いの曇りを洗い流してしまったかのようだった。どうにもならないように見える状況でさえ、このように明晰な頭で考えれば、意外なほど簡単な答えが見つかるものだ、ということは、読者諸兄も体験したことがあることだろうと思う。ポーポポにもまた、天啓とも思えるひらめきが、どうしてこんな簡単明瞭な解決策を今まで思いつかなかったのだろうと不思議に思うような冴えたひらめきが去来していた。
「私が殺戮オランウータンになることだ」
ポーポポは言った。言葉にしてみると、そのアイディアが本当に確かなものだということが改めて実感された。
「私が殺戮オランウータンになればよかったのだ!」
1
懸命なる読者諸兄には明瞭すぎて冗長であろうが、いちおう、ポーポポの企んだところを説明しておこう。
エドガーなにがしの小説において、怪奇なる殺人事件を行った犯人は殺戮オランウータンであるとされた。
エドガーなにがしは、それが他に考えられない論理的帰結であるかのようにそれを描いた。
それがあまりにたくみなので、ひどく胡乱でインチキな話であるにもかかわらず、人々はそれに騙されてしまう。
だが、仮に同様の怪事件が発生し、そして犯人が全くの別人であったとしたらどうだろう。
エドガーなにがしの示した考察などというものが、まったくのでたらめであるということの良い証明になるではないか。
さて、しかし小説と全く同じ事件が起きるまでひたすらに待つなどということは、合理的な考え方とは言えない。
であれば、小説と全く同じ事件を自分で起こしてしまえばいいのである。
ポーポポが企んだのは、つまりそういうことだった。
ポーポポはまず被害者を選ぶことから始めた。あまりに腹が立ったので一度しか読んでおらず、したがって内容はうろ覚えなのだが、確かエドガーなにがしの小説では、二人暮らしの女性が被害者であったはずである。
近所で適当な人物はいないかとそれとなく探してみたところ、レスパネエ夫人とその娘カミイユ・レスパネエが、ポーポポの住むモルグ街の家に住んでいることが分かった。
ポーポポは次に脱出方法を考えた。確か、エドガーなにがしの小説では、鍵のかかった建物の四階で殺人が起こり、犯人は窓から逃げたということだった。さて、人間が猿のように窓から逃げることができるものだろうか。
何か細工をしようかとも考えたが、そこでポーポポは思いとどまった。
確か、二人はひどくむごたらしく殺されて、一人の死体は煙突の中に突っ込まれていたはずである。
そうするには、かなり体を鍛えなくてはならないだろう。オランウータンと同じような殺し方をするには、オランウータンと同じ筋力でなければならぬ。
そして、オランウータンと同じ筋力になれば、窓からの脱出も容易に違いない。
きわめて論理的な判断に基づき、ポーポポは体を鍛え始めた。それにはずいぶんと時間がかかった。
ポーポポの友人たちが時々訪ねてきたが、ポーポポは彼らに会おうという気にはならなかった。
友人にも、パリにも、いずめ自分が彼らの目を覚まさせた時、その時にこそ会おう、そう思って、彼は部屋の鎧戸を閉め、
ただろうそくを一本立てて、ひたすらにトレーニングに励んだ。
2
ついに決行の夜が来た。トレーニングの結果は覿面であった。今や、彼は人の骨を握り折ることすらできた。
夜半、ポーポポは部屋を出て、レスパネエ母娘の家へと向かった。長いこと真っ暗な部屋の中、ろうそくをつけて過ごしてきたので、真夜中であってもポーポポは昼間同様に進んでいくことが出来た。
家にやってくると、寝静まっているようだったが、意外なことに戸は空いていた。不用心なことだが、手間が省けたとも言える。
ポーポポは家に入りこんで鍵を締め、そろりそろりと二人が眠る四階へと向かった。
扉の前に立ち、深呼吸をする。これまでの苦労を思うと、心臓が高鳴った。失敗は許されない。そのことは恐ろしかったが、同時に、ついに殺戮オランウータンを、パリを貶める殺戮オランウータンを、抹殺することができるのだと思うと、早くなる鼓動も心地よいものに感じられた。
行くぞ、と思い、ドアノブに手をかけた、その瞬間であった。
すさまじい悲鳴が、ドアの向こうから響いた。
咄嗟に逃げ出さずにドアを開けたのは、まったく偶然だった。だが、この時は偶然がよい方向に作用した。
部屋の中にいたのは、ベッドから転がり落ちたレスパネエ夫人とその娘と、ベッドの上に立つ小柄な人影であった。
ポーポポの目は、暗闇の中こちらを伺う影の正体がはっきりと分かった。
オランウータンであった。
心臓が止まるような衝撃、一瞬の忘我、ポーポポはその中で、声ならぬ声を聞いた気がした。
ああ、哀れなるポーポポ、エドガーなにがしは、お前の考えなんて読んでいた。そのうえでエドガーなにがしは、一瞬お前の先を行ったぞ。
オランウータンが吠えた。同時に、ポーポポも吠えた。怒りの咆哮だった。
ああ、なんということだ、なんということだ、エドガーなにがしは、エドガーなにがしは自分をこれほど苦しめたいのか、パリをこれほど貶めたいのか、許せない、許せない、許していいはずがない、殺戮オランウータンなど、存在していいはずがないのだ。
飛びかかるオランウータンに対してポーポポはひるまず組み合った。オランウータンは驚いたようだった。
ひ弱なこの毛無し猿のなかに、これほど力が強い者がいるのかと、驚いた風であった。
そうだ、そうだ、下等な猿め、胡乱なアメリカ人の送り込んできた胡乱な猿め、これが文明人の力だ、文明の街パリだ。
ここはお前なんかの跋扈していい街じゃない。ここでお前は死ぬんだ。エドガーなにがしとともにここで死ね。
ポーポポはついにオランウータンを押し倒し、怨念の限りその首を締めた。オランウータンはわめき、暴れ、滅茶苦茶にポーポポの顔を引っ掻いた。
だが、ポーポポは負けなかった。殺戮オランウータンに負けなかった。少しも怯むことなく、首を絞める手に力を入れ続けた。
やがて、ポーポポはオランウータンが動かなくなっていることに気がついた。首の骨をおられたオランウータンは、痙攣することもやめて単なる肉塊となっていた。
ああ、やった――
俺はついに、殺戮オランウータンを、殺してやったんだ――
死闘による疲労のためだろう、達成感の中、視界が白く染まっていく。ポーポポは部屋にやってくる人たちの足音を聞きながら、ゆっくりと横たわり、そして目を閉じた。
3
ポーポポはそれからしばらくパリの英雄として扱われた。友人たちは今度こそ心からの敬意をポーポポに示し、ポーポポは心安らかに彼らのことを受け入れた。
モルグ街の怪事件はかくして幕を閉じ、ポーポポは本から抜け出たような偉人として、市民に後々まで愛されたということである。
さて、この、パリっ子が言うところの、『筋肉ムキムキのデュパン』の話がイギリスの作家にある有名な話を書かせたということであるが……その話はまた、機会があれば語ることにしよう。
ポポポーポ・ポーポポ 鈴北るい @SuzukitaLouis
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