第17話 祐雅の原点

 ようやく一年二組の教室に辿り着くと、授業はもう始まっていた。

 科目は算数のようで、文章問題が黒板に書かれている。


『りんごが二個あります。三個買ってくると全部でいくつでしょう?』


 当たり前だけど、小学一年生の算数ってこんなもんだよな。大人になるとわかって当然の問題も最初はこうやって授業を受けて解けるようになるんだ。

 凪沙はというと、窓際の席に座って、鉛筆を持って素直に座っている。でも肩を落としてどこか落ち込んでいるように見える。


「じゃあ、この問題がわかる人ー」


 授業をしている先生が生徒の方へと向き直る。親にいいところを見せようと、教室中の手が一気に挙がる。


 凪沙は、うつむいたまま教科書を見つめていた。

 わからないってことはない。いつも家で勉強をみてやっているが、昔の俺と比べてもかなり頭のいい子だ。


「凪沙」


 参観に来ている親の前を通り抜けて、窓際まで行って名前を呼んだ。振り返った凪沙に小さく手を振ってやる。

 その瞬間に満開の花が咲いたように凪沙の顔に喜びが広がった。


「はーい!」


 前を向いて、元気な声で手を挙げる。


「じゃあ、土師さん」


「ごこです!」


 元気に凪沙が答えると、父兄から拍手が起こる。凪沙がこっちを振り向いたのに合わせて、親指を立てて返した。


 授業が終わると、凪沙はまっすぐに俺の元へとやってきた。


「おにーたん、なんできてくれたの?」


「凪沙が頑張ってるところが見たかったからだよ」


「おにーたんすごい。ちょうのうりょくしゃ!」


 くっついてくる凪沙を抱き上げる。すごいすごい、と凪沙がぎゅっと抱きついてくる。


「今日は頑張ったから好きなもの食べような」


「おにーたん、おしごとは?」


「大丈夫。お休みにしたから。何が食べたい?」


 凪沙は少し悩んでから、

「はっぽーしゃい」

 と言った。なかなか難しい料理の名前を知っている。野菜炒めとあまり変わらない気がするけど、ちょっと豪華に肉だけじゃなくエビなんかを入れてあげよう。


「あ、そうだ。ちょっとだけ寄り道していいか?」


「うん。どこいくのー?」


「すぐそこだよ」


 俺は凪沙と手を繋いで、一年の教室から階段を上がり、四年生の階にやってきた。こっちも授業参観があったみたいで父兄の姿が見える。俺は来客用の名札のおかげか、特に怪しまれることもなかった。


 俺が通っていた頃は四組まであったのに、今は二組しかない。並んだ空き教室の隣、表札に多目的室とある教室の前で止まった。


 ゆっくりと扉を引くと、中から埃っぽい空気が流れてきた。多目的室というのは名目だけでやっぱり今も使われていないんだろう。他の教室でいらなくなったらしい机やイスが押し込まれていて、教室内が狭く感じる。


「あるわけないのにな、俺も何で見にきたんだか」


 十五年前、ここには俺が作ったゲームがあった。家で一人遊びのために作ったゲームはたくさんあるが、友達とやるために作ったのはあのレースゲームが初めてだった。ちょうど教室後方の窓際に机を積んで、そこをスタートにして教室を渦巻くように作ったコースの記憶が甦ってくる。


 おもちゃがなければ一緒に遊べない、ということを俺は否定したかったんだ。あるものを使って楽しめるものを作る。最初は自分だけのために考えていたゲームを、今回はみんなで遊べるように作ったんだ。


 誰もが平等に遊べるゲームを。そう考えて作った俺のレースゲームは、たった一つの小学校の、たった一ヶ月だけだったが、プロが考えたおもちゃに勝ったんだ。


「なんか、大切なことを思い出した気がする」


 本当にいい作品は評価される。そんな甘えたことを言うつもりはない。この世界には売れたものがいいものという考え方が確実にある。そのために必要なリサーチがあり、テンプレートな戦略がある。


 それでも、いいゲームというものはプレイヤーに感動を与え、人生の目標さえも時に変えてしまうようなパワーを持ったものであるはずだ。


 俺がこの段ボールレースゲームからゲームを作ることの楽しさを覚えたように、俺のダンジョンに入ったプレイヤーの心に大きな感動の爪跡を残すことこそが、俺の理想のダンジョンじゃなかったのか。


 目先の利益に囚われて、集金方法を考えていてどうする。金が儲からないなら潰すっていうなら、売上を上げながら感動させるダンジョンを造るまでだ。


「よし、凪沙。帰ろうか」


「うん。きょうはね、なぎさもたくさんおてつだいする」


「じゃあまずはスーパーに材料買いに行かないとな」


 凪沙と繋いだ手がブンブンと振り回される。俺は昨日とはまったく違うすっきりした気分で母校を後にした。




 翌日、事務所に向かうと、俺の顔を見て昌兄はにやりと笑った。


「いい顔してるな。なんか作戦思いついたか?」


「一応。でもこの後キレて殴りかからないでくれよ」


「するわけないだろ、言ってみろ」


「これから二ヶ月で、ダンジョンをリニューアルする」


 昌兄は俺の言葉を聞いて、持っていたコーヒーをこぼしそうになった。そして、大声で笑うと、俺に近づいてきて背中を何度も叩いた。


「殴るなって言っただろ!」


「殴ってねえよ。お前があまりに最高だから励ましてんじゃねえか」


 昌兄は笑いながら俺の背中を気が済むまで叩いた後、涙を拭いながら自分の机に帰った。


「それで、具体的にどうするんだ?」


「別に具体的な案はまだないんだが、要はリピートしたくなる、そして誰かに伝えたくなるようなダンジョンを造ればいいんだ」


「簡単に言うけど、そんなもんそうそうできないぞ」


 そんなことは百も承知で言っている。それでも俺は売上だけを目標にしたイベントなんてやるつもりはない。やったところできっと大きな効果もない。


 それよりももっと、この何もないド田舎に人を呼び込めるような大きな魅力をもったダンジョンを造るんだ。


「じゃあ、とりあえず企画書考えるか」


「ふわっとしたやつな。どうせあいつら興味ないし、なんなら実現できそうにない方が喜びそうだ」


 自分のデスクに向かい、バッグの中からパソコンを取り出す。まだ頭の中には何も策は浮かんでいないのに、なんとなく俺の頭の中は青空が広がるようにさわやかだった。

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