第16話 裏口から授業参観
翌朝も凪沙は授業参観のことを言わずに学校に行った。まったく子どもがそんな気を遣わなくていいってのに。
まぁ、俺があれだけ荒れてたら敏感な凪沙は俺が追い込まれていることをすぐに気づいてしまうだろう。家に帰ってから持ち帰った仕事を夜中にすることは珍しくなかったが、それはいつも凪沙が寝た後にしていた。凪沙のために定時で帰ることが、俺にとって負担に見えないようにしているつもりだった。
「昨日のは失敗だったな」
子どもはね、たくさん愛情を向けられる権利があるんだから。
お袋の言葉を思い出す。
凪沙は俺に気を遣わないで、ただただ愛される権利がある。でも凪沙の性格がそれを許さないなら、俺は凪沙が気を遣う必要がないくらいに強くなければいけないんだ。
「もう一回、あのハゲの鼻を明かしてやる」
そうだ、俺はこれまでダンジョン制作と凪沙との生活。どっちもやり通してきた。今回だって今までにないやり方で、凪沙と俺のダンジョン、両方を守ってやる。
決意を固めたはいいが、拳の振り下ろす先は定まっていない。とにかく今日は午後半休で凪沙の授業参観に行く。まずはそれからだ。
懐かしい通学路を歩いて小学校へと向かった。帰り道によく通った駄菓子屋は今も健在で、そこだけ時が止まったみたいに営業している。
通学路から見える裏山に続く獣道は、登っていくと池と沼の中間くらいの水たまりがあって、そこで自作の竹竿で魚釣りしたことを思い出す。
神社へと続く山道はめちゃくちゃな急坂でスポーツ少年の格好のトレーニング場だった。俺も何度か付き合いで練習という名の鬼ごっこをやった。今なら半分と持たずに息が切れるだろう。
いろんなことが変わったと思っていたが、この田舎にも変わっていないところは残っている。そんな懐かしい思い出を辿っていると、いつの間にか小学校の校門に辿り着いていた。
「ここは少し変わったかな」
昔は黄緑色のペンキで塗られていた校門が、今はオレンジ色に塗り替えられている。いや、通っていたときよりも一回り高くなったかもしれない。そして何より変わったのは校門の脇に警備員の服を着たおじさんが立っていることだ。
「こんな田舎でも治安悪くなってるんだなぁ」
俺が子どもの頃は日本中で子どもが狙われる事件が起きていてもどこか他人事のように感じていた。東京に出たら、住んでいる近くで事件が起きることもあって、それがどんなに身近なことか理解できた。それがこんな町にまで影響が出ているなんてなぁ。
「おい、ちょっと君」
懐かしい校門をくぐろうとして、警備員に呼び止められる。
「勝手に入っちゃダメだよ」
「今日って授業参観だろ」
「入っていいのは保護者だけだよ」
「いや、俺も一応保護者なんだって」
お袋は今家にいないし、一緒に暮らして凪沙の面倒だってちゃんと見てる。俺を保護者と言わずして誰が凪沙の親代わりを名乗るつもりだ。そんなやついたら問答無用でぶっとばす。
「嘘言っちゃいけないよ。俺は生まれてこの方、この町で生きてきたんだ。そんな若い親がいたら噂になってるよ」
そう言われると田舎では反論しにくい。この世界で光通信情報網より速い情報伝送があるとしたら、それは田舎の噂話だと信じたくなるくらいにはみんな情報を交換しまくっている。そのせいで年寄りはその情報網に絶対の信頼を置いていて、こっちの話を聞いてくれなくなるんだ。
「ほら、帰った帰った」
警備員に肩を押され、校門と逆を向かされる。これ以上いても騒ぎになるだけだ。俺は冷静さを装いつつ、その場を離れた。
「ま、諦めないんだがな」
俺は欲張りで諦めの悪い人間なんだ。それに、少し変わったとはいっても通っていた小学校。裏道くらい知っている。
俺は校門の裏手に回り、石と鉄柵でできた外周の塀を見た。大人の俺の背丈よりも高い。
「でも修繕はしてないな。あそこはまだ欠けてる」
ここは昔から俺たちが忍び込む秘密の入り口だった。石柱の欠けた部分に手をかけ、地面を蹴り飛ばして体を浮かせる。その勢いで柱のてっぺんをつかめば簡単に乗り越えてしまえるのだ。
「今なら楽勝だな」
あの頃の小さな体からすると、この高い塀は絶対的な障害だった。大人になった今ではこうして簡単に越えてしまえる。中身は全然成長してないのにな。
「さて、と。凪沙の教室はどこだ?」
降りた先は職員や来客用の駐車場になっている。この先の入り口の正面に事務室の受付があったはずだ。
一年二組なことは知ってるが、教室の配置は昔と一緒だろうか。少子化が進んで規模を縮小している小学校も多い。変わっていたら探すのも一苦労だ。
「こら! そこで何している!」
「やべっ!」
キョロキョロと周囲を見回していた俺に怒鳴り声が飛んでくる。逃げようかと思いつつ、声の主を見る。
「あ、ムンク!」
睨みながらこちらに歩いてくる教師の姿には見覚えがあった。四年生のときの担任だ。痩せこけた頬が特徴的でムンクの叫びに似ているから、俺たちは「ムンク」と呼んでいた。
当然その頃よりも老けて、髪も白髪交じりになっているが、やっぱり叫んでいそうな頬骨の張った顔は変わらない。
「なんだ、卒業生か?」
ムンクも自分がそう呼ばれていたことを知っている。俺の声を聞いて睨んでいる顔がわずかに緩んだ。
「古見、って言ってもわかんねぇか」
「あぁ、テープレースの古見か」
「覚えてるのか?」
もう十五年も前の話だ。俺と違ってムンクにとっては何百人と担当した児童の一人でしかないはず。俺は別に成績がよかったわけでも特別悪かったわけでもない。記憶に残るようなことは何もしていないつもりだった。あの、レースコース以外は。
「俺も三十年以上教師をやってきたが、空き教室にあんなでっかいおもちゃを一人で作って遊んでいた児童はお前以外おらんよ」
俺が子どもの頃、モーターがついたレースカーのプラモデルをコースで走らせるおもちゃが大人気だった。本体もそれなりにするし、パーツやコースも買うとなるとかなりの金額になる。生活で手いっぱいになっているお袋におねだりなんてできなかった。
それで俺は自分の手でレースゲームを作ることに決めたんだ。用務員さんや近所のスーパーから段ボール箱をもらってきて、切って折ってテープで繋げてコースの形を作った。
空き教室の机を積み重ねて高さを作り、ゴールのゲートができたときにはコースの長さは五メートルを優に超えていた。完成した途端に学校で遊べるそれは周りに噂話として伝わっていって、元ネタのプラモデルを超える人気になったんだ。
ゴミ箱に捨てられていたセロハンテープの芯を使ってそれぞれのコースを走らせる。転がるものなら何でもよくて、ビー玉、スーパーボール、果ては点数の低かったテスト用紙を丸めたものまで何でも使った。
当然すぐにバレて撤去されることになったんだけど、ムンクが文化祭の展示にしようって言って、一ヶ月ほど延命してもらったんだった。
「懐かしいな」
「お前はあの頃からゲームを作れるやつだった。遊ぶだけじゃなく、どうすればあるもので最大に楽しめるのかを考えられる発想力があった。いい仕事に就いたな」
「駅前のダンジョン、俺が作ったって知ってんの?」
「古見議員が自慢話を言いふらしているよ。まだ俺は行けてないんだが、孫と今度遊びに行くよ」
叔父さんがそんなこと言ってくれてたなんて。そう思うと少し恥ずかしくなる。ムンクからこうして褒められるのもあのコースの出来栄えを褒められて以来だ。
「それで、なんで不法侵入なんてしたんだ?」
「あ、やべ。そうだった。実は親戚の子を預かってんだ。お袋も今はいなくて。それで俺が代わりに来たんだが、警備員につっかえされてさ。一年二組って昔と教室変わってない?」
「それで秘密の抜け道から入ってきたのか」
「知ってたのか」
「教師は子どもが思っているよりはめざといんだよ。教室の配置は変わってないが、ちょっと待ってろ」
そう言ってムンクは出てきた扉から校舎の中に戻ると、入ってすぐの事務室で何かを話して戻ってきた。
「ほら、これをつけておけば大丈夫だ」
渡されたのは来客を示す名札だった。
「いいのか? 借りちゃって」
「卒業生なら来客として認められる。別に不正じゃない。保護者を名乗るならもう少ししっかりすることだな。裏から忍び込むようなやつは子どもに悪影響だ。
ほら、早く行ってやれ。俺は自分の子どもの授業参観には行ってやれなかった。気にしてない、って言ってたけど、やっぱり寂しかったろうからな」
ムンクは笑いながら俺に親指で行け、とジェスチャーする。おっと、そろそろ授業も始まっちまう。思い出話はいくらでもできそうだったが、今は凪沙が優先だ。ムンクに手を振って、俺は記憶を頼りに凪沙の教室へと廊下を走りそうになる自分を戒めて早足で向かった。
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