第6話 天使が部屋にやってきた
約束通り、俺は朝に学校に休みの連絡を入れ、凪沙と東京へのお出かけの準備をしていた。岩山のやつがすぐに折れてくれればいいが、最悪何泊もする可能性はある。ビジネスホテルは小学生なら連れ添い無料のところもあるらしいから、そこで何とかしのぐか。
「おにーたん、おひるごはんは?」
「駅でお弁当買うよ。好きなの食べていいからな」
「おみせでかうごはんきらーい」
そうなのだ。凪沙は外食や買ってきた総菜をやたらと嫌う。にんじんは嫌いなんだが、それ以外なら俺が作った代わり映えのしない野菜炒めやサラダの方が好きだと言う。俺が小学生の頃だったら、スーパーに積まれたコロッケやからあげを全部食べたいと思ったくらいだけどな。
肉が嫌いなのかと思ったけど、そういうわけでもなくて、俺が作った形の悪いハンバーグは喜んで二つも食べたくらいだ。凪沙にはまだまだ俺の知らないところがある。
「じゃあ、簡単にサンドイッチでも作って持っていこうか」
「わーい、さんどいっちー」
「でもお出かけのときはご飯は買ってくるしかないから我慢してな」
「うん。おにーたんがいっしょにたべるならいいよ」
なんとか自炊できるようなホテルでもないだろうか。でもやろうとすると調理器具や調味料もいるし。こんなことなら東京で借りてたアパートを引き払うんじゃなかった。後悔しても遅い。まずはお昼のサンドイッチを準備しなくては。
パンと野菜を切ってハムと卵と一緒に挟むだけ。凪沙が両手をマヨネーズでべとべとにしたのを拭いていると、玄関先でブレーキ音がした。
「祐雅。駅まで送っていってやるよ」
「昌兄。仕事はいいのか?」
「仕事ったってお前がいなけりゃ人探ししかやることないからな。凪沙ちゃんもいるし、電車よりはストレスないだろ」
「助かるよ。こっちはほとんど電車来ないからな。ただし、凪沙はやらん」
親バカ、と昌兄は呆れたように首を振った。何とでも言ってればいい。俺はこの健気な少女を守る使命があるんだ。
国道を昌兄の車で走っていく。車は詳しくないけど、車高の低い流線形のデザインからして高いスポーツカーなんだろう。地方とはいえ公務員。なかなかの給料をもらってるんだろうな。
田んぼ続きの田舎を抜けて少しずつ建物が増えてくる。せめてこのくらい栄えてる場所にダンジョンを置けたら、なんて考えてしまう。
凪沙は一緒にお出かけというのが気に入ってくれたのか、俺と繋いだ手をぶんぶんと振り回して元気な様子だ。昨日の悲しそうな雰囲気は少しもなくなってくれて本当によかった。
「おっでかけ、おっでかけ、しんかんせーん」
「凪沙、今は昌兄の車だからいいけど、新幹線に乗ったら静かにな」
「はーい」
新幹線の止まるターミナル駅に降ろしてもらい、昌兄と別れた。凪沙に最後まで手を振り返していたけど、あの調子で事故とか起こさないか心配だ。
凪沙はすっかり新幹線に乗ることが楽しみみたいで、昌兄のことなんてすっかり忘れているみたいだが。
平日の朝ということもあってか、座席はずいぶんと空いていた。凪沙にとってもちょうどいいだろう。二人並んで座っていると、凪沙は俺の顔を見て興味津々に聞いた。
「しんかんせん、とうきょうにいくの?」
「そうだよ。お兄ちゃんが前に一緒に働いてた人に会いに行くんだ」
「なぎさもいく?」
「いや、凪沙はどこかで遊んでいれば」
「やだ、いく! いっしょがいい」
凪沙は自分の席から立ち上がって、俺の膝の上に乗ってきた。ひとりぼっちは絶対に嫌がる。とはいえ、岩山のところに連れていくのはちょっと気が引けた。あいつの部屋なんてグロい資料が山ほど転がっていてもおかしくないからな。
「わかった。でもお仕事だから中には入れないぞ。部屋の前で待っててな」
凪沙は返事をする代わりに俺の胸に頬を擦りつけた。わかっているんだかわかっていないんだか。どっちにしてもどこかに置いていくのはなし、ということになった。
東京駅から地下鉄に乗り換えて、錦糸町に向かった。岩山の住んでいる賃貸マンションは駅からそれほど遠くない場所にある。エレベーターを使って五階まで行き、部屋番号を頼りに扉を見つけた。
チャイムを鳴らす。出てこない。もう一度鳴らす。やっぱり出てこない。
「あんにゃろう。出ないつもりか」
「なぎさもおしたーい」
「あぁ、もう。好きなだけ押してやれ」
凪沙を抱き上げてチャイムのボタンの前に連れてきてやる。瞬間、凪沙の顔がぱあっと明るくなった。田舎じゃどこもろくに鍵なんて締めてないし、大声で呼べば出てくるからな。押したことなかったんだろう。
ピンポンピンポンピンポンピンピンピンピピピピピ。
容赦のない連打だった。キラキラした顔で連打が続く。いつ止めさせようかちょっと悩む。このままにしていればいつか岩山が出てきそうだし。
「なんなんだ、僕に、何の用だ」
扉を少しだけ開けて岩山が顔を出した。ぼさぼさの伸び放題の髪に、脂の浮いたニキビ顔。不摂生が服を着て歩いているみたいだった。扉にかかった手は骨が浮いていてペンより重いものは持ち上げられないんじゃないかと心配になる。
さすがに耐えきれなかったらしいな。子どもの無邪気さは時に大人の策略より恐ろしい。
「お、マジで出てきた。やったな、凪沙」
「やったー」
両手を挙げて喜ぶ凪沙を廊下に降ろしてやる。後で本当は連打しちゃいけないってことを教えておこう。
「古見。何しに、来た」
「仕事の依頼に決まってるだろ」
「地元に、帰ったって、聞いたぞ」
「だからわざわざここまで来てやったんだろうが」
閉じられようとする瞬間。俺は足を挟み込んで妨害する。力を込めて岩山が抵抗するが、徐々に扉が開いていく。こっちは凪沙と過ごすために毎日定時で上がって、夜も九時には寝てるんだ。健康度が違うんだよ、健康度が。
諦めたのか、岩山は抵抗をやめて部屋の中に逃げていった。すぐに追いかけて追い詰める。ここでなんとしてでも首を縦に振らせてやる。
一人暮らしにしては豪華なダイニングキッチン付きの間取り。仕事部屋兼寝室らしい部屋に鍵がかかる前に手をかけた。
中に押し入ると、岩山はせめてもの抵抗とばかりに布団にくるまっていた。なんかもう小学生と同レベルだぞ、お前。
「そういう無駄な抵抗止めろよ」
「無駄じゃない。お前の、話を聞かないことは、できる」
いや、できてねえし。
「クリエイターは、孤独だ。孤独に腕を、磨き続けて、自分の力を、認めさせるだけ、しかできない。他人のために、自分を折ったら、終わりなんだ。僕は、一人きりなんだ」
何を言っても聞くつもりはなさそうだ。布団に守られるように震えながら、僕は一人だ、とうわごとのように繰り返している。
どうしたもんか、と考えていると、俺の横をするりと抜けて、凪沙が部屋の中に入ってきた。いつものように俺にしがみつくのかと思ったのに、まっすぐに岩山の隠れている布団の前に立ったかと思うと、小さな手で布団の上からぽんぽんと岩山の頭を小さく叩いた。
「ひとりじゃないよ。おにーたんがいるよ」
「……凪沙」
「なぎさもひとりだったけど、おばたんがきて、いまはおにーたんがいるの。だからだいじょぶなの」
凪沙の言葉に、岩山はくるまっていた布団の中から顔を出した。いつから風呂に入ってないのかわからない顔が、モニターのバックライトを受けて脂で光っている。凪沙は笑ってもいないし、悲しんでもいないようだった。ただまっすぐに岩山の顔を見つめている。そこには口を挟めない独特の存在感があった。
「古見。僕の腕は、イラストは、どう思う?」
「そうだな。やっぱり流行りじゃねえ。今の業界じゃ簡単には仕事はとってこれないだろ。ただ、実力は間違いなく一級品だ」
嘘はつかなかった。凪沙がこんなにもまっすぐに向き合っているんだ。俺が話を逸らすなんてできなかった。岩山は俺の話を聞きながら、目はずっと凪沙の方を向いている。俺じゃなくて凪沙と話しているようだった。
「僕に、描けるか? お前が欲しがっているようなイラストが」
「かけるよ!」
俺が答える代わりに凪沙がはっきりと言った。
「おにーたんがいっしょだったら、かけるよ。なぎさはわかるもん」
岩山が崩れ落ちるように顔を布団に埋めた。それを見て、俺は凪沙を抱き上げて部屋から出ようとする。そういうところは誰にも見られたくないもんだ。
「古見、僕、描くよ」
ふいに背中に岩山の声が届いた。声が震えて上ずっている。理由は聞かない。聞く必要もない。
「こんな小さな子に、そこまではっきり言われたら、描くしかないよな。時間ないんだろ。明日には、必ず送るから。今から依頼書読むから、ちょっと待っててくれ」
「そんなに急ぐなよ。今日はこれから凪沙とデートなんだ。風呂入って、飯食って、ちょっと散歩でもしてくれば、いいアイデアが浮かんでくるかもな」
岩山は何も言わなかったが、後ろでうなずいているような気配がした。
「凪沙、ありがとうな」
岩山の住むマンションから出て、俺は手を繋いだ凪沙にお礼を言った。
「ほんとーのこといっただけだよ。おにーたん、やさしいから、きっといっしょにいてくれるっておもったから」
「うん。凪沙が言ったから、岩山も信じてくれてるよ」
さて、一番頑張ってくれた凪沙にまずはお礼をしないとな。
「さ、どこに遊びに行きたい?」
凪沙は考えるように首を左右に傾げた後、ある方向を指差して、俺の腕を引っ張った。
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