第5話 孤高のグラフィッカー

 コールが五回を超えて、やっぱりか、と諦めようとしたところだった。


『……誰だ』


「古見だ。久しぶりだな」


『……お前が、いまさら、何の用だ』


 予想通り、ゾンビみたいな不機嫌な声が返ってくる。この男、岩山徹いわやまとおるに仕事を頼むのはやっぱり無謀だったかもしれない。


「仕事の依頼に決まってるだろ。今は手が空いてないか?」


『仕事? お前が、僕にか? クスリでもやって、頭がおかしく、なったのか』


 途切れ途切れの言葉ははっきりとした拒絶の色が強く浮かんでいる。


「そうだよ。お前にしか頼めない仕事なんだ」


『必死だな。不幸だ、って怨嗟えんさの声が、聞こえるぞ』


「とにかく、できるかできないか、だけ教えてくれ」


 本題に入るだけでも時間がかかる。でもこっちだって退いてやれるほどの余裕もない。岩山は電話口の向こうで、少し悩んでいるようだった。


『仕事は、今は、ない』


「そうだろうな。お前だって食っていかなきゃなんないんだろ。報酬はきっちり出す。案件は後でメールするから」


『嫌だ。どうせまた、僕のポリシーを曲げろ、って言うんだろ』


「いいかげんお前も諦めろよ。お前のリアルでグロテスクな表現技術は認める。でも今はそういうのは流行りじゃねえんだよ」


 岩山は前の会社で何度か仕事をしたことがある仲だ。イラストからCGグラフィック、さらにはモーションまで作れる優秀なやつだ。仕事の早さも一級品で、今から一ヶ月でAR用のCGキャラを作ってもらうとすれば、こいつに頼むしかない。


 問題は、岩山は自分の作風に絶対的な執着を見せることだった。

 グロテスクに肌がただれたゾンビ、地獄の底から這いだしてきたような死神、体が欠損した人間。


 そういうものを描かせたら間違いなく業界でもトップクラスだろう。ただ悲しいかな、今は中世ヨーロッパ風の世界観が人気のゲーム業界。岩山はたびたび依頼されたイラストを自分好みの作風に変えてはボツをくらっていた。


 フリーランスになってからも、活躍したのはシリーズが長年続いているゾンビシューティングゲームくらいで、仕事に困っているという話はときどき聞いていた。


『僕が、仕事を受けるのは、僕の作品を、認めてくれる、人だけ』


「だから、実力は認めてる。お前にしか頼めないんだよ。とにかく案件を送る。一度ラフをもらって、たたき台にして検討しよう」


 岩山は返事もせずに電話を切った。わかってくれたとは思わないが、あっちも金に困っているはずだ。なんとか説き伏せて描いてもらうしかない。


 小学生向けダンジョンのナビゲーター役。かわいらしく、子どもに人気の出るデザインで。

 ついでに企画書もスケジュール以外はつけておく。ナビゲーターが終わったら他の敵キャラなんかもデザインしてもらわなきゃならないんだ。


 岩山のラフは会議のあった市役所から事務所に戻ってすぐに送られてきた。それを見て三秒後に俺は岩山に電話をかけていた。


「おい、あれなんだよ!」


『ラフだ。すぐに、描いてやった』


「案件見たか? 子ども向けだって言ってんだろ。なんでボロボロの黒ローブをまとった死神が田んぼをいじるんだよ」


 確かに稲刈りってのは昔は鎌でやってたよ。だからってあんな大鎌を持った半分骨が見えてるような死神にならないだろ。あんなもんにナビゲートされたら行く先は稲刈りじゃなくて魂狩りだ。


『僕の作風が、認められないなら、諦めろ』


「諦めるのはどっちだよ。お前だって活動実績残していかないと本当に消えちまうぞ」


『消えるなら、消えればいい。僕の腕が、足りなかったと、諦めれば、いいだけだ。クリエイターは、自分の腕と心中する、しかできない愚かな、生き物だ』


 岩山の声はあいかわらず途切れ途切れで聞き取りにくかった。だが、その決意は途切れることない一本のピアノ線のように簡単には断ち切れそうにない。


『お前は、前に言っていたな。金儲けのため、仕事を、やらせるやつは、嫌いだと。今のお前も一緒だ。自分のために、僕のポリシーを曲げようとする』


「なんだと!? あ、切りやがった」


 岩山は言いたいことだけ言って、通話を切ったらしい。好き勝手なことばかり言いやがって。


 自分の好きなものしか描かない、作らない。そんなもの誰だってそうしたいに決まってる。だが、そんなわがままが通るのはほんの一部の例外だけだ。自分を騙し、苦しめられながら、自分が作りたいものを作る、そのを目指して歯を食いしばっているんだ。そうじゃなかったら、俺はもっと前に会社を辞めて飛び出していただろう。


 おじさんからこの仕事をもらえたのは偶然だ。だからこそ簡単に諦めるわけにはいかない。岩山にとってはの話でも、俺にとって自分の作りたいものを作れる瞬間は今なんだ。


 怒りのやりどころに困っていると、役所の打ち合わせを終えた昌兄が事務所に帰ってきた。俺の顔を見て、他に誰もいないことを確認すると、すぐにジャケットを脱ぎ捨ててネクタイを緩めた。やっぱ公務員向いてないんじゃないか。


「キャラクター描いてくれるやつは見つかったのか?」


「あぁ、ラフを送って来やがったよ」


 さっきもらったばかりの岩山のラフを昌兄に見せてやる。丁寧に色ラフもつけてくれやがったおかげで怖さがさらに増している。


「おいおい、これでいくわけねぇよな?」


「当たり前だろ。でもこの早さでこれだけ描ける実力があるんだ。時間を考えたら今回は岩山を使うしかない」


「説得できるのか? それに時間がかかるんなら他を当たった方がいいかもしれんぞ」


「わかってるさ。だから一つ聞きたいんだけど、新幹線の代金って当日券でも領収書あれば経費で落ちるよな?」


「おいおい、お前まさか」


「東京に行って説得してくる。家の前で座り込みでも土下座でもやってやる。せっかく俺のダンジョンが造れるんだ。何が何でも描いてもらうしかない」


 そんなもんで簡単に岩山が折れてくれるとは思っていない。でもできることがあるうちから諦めるつもりはない。あいつがと考えている場所は、今俺が立っている場所だと教えてやる。


「行くのはいいけどよ。祐雅、大事なこと忘れてないか? 凪沙ちゃんどうするんだよ」


「あ、……そうか。って言っても一日か二日だし、待ってもらうしかないよな」


「俺が預かってやろうか?」


「絶対に断る。若い男の家はダメだ。おじさんのところに泊まってもらうか」


「おいおい、お前。あっという間に過保護パパになってるじゃねえか」


 当たり前だろ。凪沙をなんだと思っているんだ。たとえ昌兄でも嫁入り前に独身男の家になんて泊められるか。やっぱり東京行くのやめるか、いやでもなんとしてでも岩山にキャラクターを描かせないと。


 頭の中は凪沙と岩山のことで堂々巡りになっていた。結論が出ないまま定時になって家に帰る。凪沙はいつものように真っ暗な部屋で、じっと俺の帰りを待っていた。玄関が開く音を聞いて、凪沙がぽてぽてと部屋から出てきて迎えに来てくれる。


「おかえりなさい」


 そう言いながら、俺の脚にしがみつく。最初の頃より少しだけ明るくなったような気がするけど、この甘えたがりなルーティンワークは変わらない。


「ただいま。いい子にしてたな」


「うん。ごはんたべる」


 嬉しそうに凪沙が微笑む。こんな事されたら言い出しにくいに決まってるだろ。いつものように野菜炒めとおみそ汁。それから今日は機嫌を取るために買ってきたはずのショートケーキを食べ終わるまで明日東京に向かうことを言えないでいた。


 このままだとお風呂に行ったら凪沙は寝てしまう。言うしかない。眠そうに目をこすり始めた凪沙に意を決して言葉を出す。


「あのさ、凪沙。お兄ちゃんな、仕事で東京に行かなくちゃいけないんだ」


 俺の言葉を凪沙はすぐには理解できなかったようだった。それでも虚ろだった目は急に力を帯びて、凪沙は座っている俺の膝に飛び込んできた。


「だめ」


「寂しいかもしれないけど、すぐに帰ってくるから。一日だけ。おじさんのところにお泊りに行ってくれないか」


「やだ」


 短いけど絶対的な拒否。こういうとき気持ちを動かすのは難しい。自分の子どもの頃も同じだった。下手に言い訳を並べるとほころびを摘まみ上げられて言いくるめられてしまう。だから本当に嫌なときは嫌としか言わないんだ。


「おにーたんはまいにちかえってくるってやくそくした。てーじでかえってくるってやくそくしたもん。だからなぎさ、いつもいいこでまってるもん」


 俺の体にすがりつきながら、凪沙は俺の胸をぺたぺたと叩く。全然力なんてこもっていない。やり場のない両手を俺に触れることで抑えつけているのだ。


「そうだよな。約束したな。毎日定時で帰ってくるって」


 いつも寂しそうに真っ暗な部屋で待っている凪沙を、一日だって誰かに渡すことなんてできない。俺は頭の中で自分の貯金通帳の額を思い出す。働いてばかりでろくに使う暇がなかったからかなり残っているはずだ。


「わかった。じゃあ一緒に行こう。お兄ちゃんと一緒にお出かけならいいだろ?」


「なぎさもいっしょにいっていいの?」


「あぁ、東京にお出かけに行くんだ。お兄ちゃんはお仕事があるけど、すぐに終わらせるから。その後一緒に遊びに行こう」


「ずっといっしょだったら、いいよ」


 これが俺の決意だ。ダンジョンは絶対に完成させる。凪沙との約束は絶対に守る。俺には二つやり遂げなくちゃならないことがあるんだ。岩山、お前のプライドと俺の決意のどっちが固いのか。明日はっきりさせてやる。


「じゃあ、明日はお出かけだから今日はもうおやすみしような」


「うん。きょうはおにーたんといっしょにねる」


 そんなに心配しなくても俺は一人で行ったりしないって。そう言おうと思って、やっぱり黙っておいた。そんなこと絶対にしないってことは凪沙には行動で示してやらなきゃいけないんだから。

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