第5話 別れ。そして、前を向いて

『もう……遅いぞユウキ?』


 柔らかい微笑みを浮かべてそう言う渚。


 いつも少しは透け感のある身体だが、今は今にも消えてしまいそうなほどに薄い。

 まるで点滅しているかのようで、少し姿が濃くなったかと思えば、恐ろしいほど薄くなったりする。


 その姿を見て、状況を理解できないほど俺はバカではない。


「最期……なのか……?」


『あはは……そうっぽいね』


 渚はこんなときでさえ笑ってみせる。


「俺の、せいだよな……」


 何となく察している。

 どうして渚が消えかかっているのか。


 恐らく──いや、まず間違いなく瑠衣との関係の変化だ。


 俺はずっと渚のことばかりを考えていた。

 渚が死んでからも、幽霊として目の前に現れてからも、俺は渚を常に一番に想っていた。


 でも、瑠衣と出逢ってからそれが徐々に変化していったのだ。


 いつも渚のことで一杯だった俺の頭の中には、瑠衣の存在も含まれるようになってきていた。

 その割合はどんどん変化していき、遂には同じくらいに……そして今日────


「瑠衣に、告白されたんだ……」


『そっか……』


 俺の想いは、瑠衣に傾いてしまった。


『あはは……おめでとうだねユウキ! 初めての彼女じゃない? 大切にしなきゃぁ……ダメ、だよっ……?』


「渚……」


 渚は俺に背を向ける。

 声は湿り気を帯びており、震えている。


『あはは、複雑だなぁ……』


 渚はそう言って夜空を仰ぎ見る。

 涙が溢れないようにだろうか。


『最期は泣かないって……決めてたんだけどなぁ……っ!』


 俺の身体の底から様々な感情が込み上げてくる。

 そして、それが涙となって目から溢れ出る。


 そうこうしているうちに、渚の身体が淡く発光し始める。


「渚っ……! 頼むよ、行くなよっ……!」


 いや、渚を消すのは俺なんだ。

 俺が行くなと願うのは身勝手過ぎることだ。

 でも、それでも渚には傍にいて欲しい。


「どうしてっ……どうして言ってくれなかった!? 俺がずっとお前のことを想い続けていれば、お前は消えなくて済んだんだろっ……?」


 渚は目許に溢れんばかりの涙を溜めて、振り向く。


『そんなことさせられないよ……ユウキにはきちんと前を向いて生きていって欲しいから……私の死に、いつまでも囚われていないで欲しかったから……』


「良いよそれでもッ! 俺はずっとお前のことを忘れずに……お前だけを想っていけた……いけたはずなんだよっ!」


『知ってる。ユウキなら……ずっと私のことだけを考えて生き続けるのも出来ると思った。

 だからこそだよ……私は黙ってた、隠してた。

 私が消えることを知ったら、絶対にユウキは私の死をずっと背負っていくでしょ?』


「っ……!?」


 何も言えない。

 言いたいことは他にも山ほどあるはずなのに、最期とは、こんなにも言葉が出てこないものなんだろうか。


 そんな中、雪が降ってくる────


 白い雪。

 音もなく、ゆっくりと暗い空から舞い降りてくる。


 俺の身体に当たっては溶ける。

 しかし、渚の身体には触れない。


『そろそろ、かな……』


 そう呟く渚の身体の輪郭がぼやけてきていて、そこから漏れ出る光の粒子が空に向かって登っている。


「一つ、聞いて良いか……?」


『ん?』


「渚……俺のことどう思ってたんだ……?」


 俺がそう尋ねた瞬間、渚の瞳に黙っていた涙がすっと頬を伝って落ちる。


『聞かないで……欲しかったよっ……! だって、そんな……聞かれたら、別れたくなくなっちゃうじゃんっ……!』


 渚は肩を震わせて、しばらく俯いたあと、涙の枯れない瞳を俺に真っ直ぐ向けてきた。


『そんなの……子供のときからずっと、小学校も中学校も高校に入ってもっ……ずっとずっとユウキが好きだよぉ……!』


「どうしてっ……? それをもっと早く聞いてればっ……俺はお前をッ!?」


 でも、今の俺では、渚を心の底から愛しているとは言えない。


 言いたいよ。


 でも、瑠衣を想ってしまうこの感情に嘘を吐いて渚に「好きだ」と告げても、それは渚の思いを踏みにじることになる。


『素直になれなかった罰なのかな……』


「そんなのって……!」


 俺は身体に力が入らなくなって、その場に膝をつく。


『でも、最期だから……後悔のないように、私、素直になるよ──』


「────ッ!?」


 最期の輝きか──渚の幽体がこれまで見た中で一番鮮明になる。

 身体から無数に光の粒子を散らせながら膝をつく俺に寄ってきた渚は、そっと顔を近付けてくる。


 触れられないはずなのに、確かに感じる温かく柔らかな唇の感触。

 俺の頬に添えられた渚の手の温もりさえも、しっかりと伝わる。


 そして────


 ブワッと一気に光の粒子が溢れだし、渚の姿が霞んでいく。

 渚の手が、足が、胴体がフワッと消え、満面の笑みを見せたその顔も消える。


 そして、最期に────


『前を向いて────』


 そんな渚の声が俺の胸にすっと吸収されるように入り込んでくる。


 もう我慢は出来なかった。

 俺は夜空に舞い上がっていく光の粒子を見上げて…………


「渚ぁ…………ッ!?」


 虚しく雪が舞い落ちる中、冷気が身体の芯まで冷やしてくる中、俺はひたすらに────



 ────泣き叫んだ。



 □■□■□■



 俺はこの日からしばらく立ち直れずにいた。

 でも、それではダメだと……そんなことを渚は望んでいないと知っている。


 ────前を向いて。


 渚は言った。

 俺に前を向いて生きて欲しいと。

 自分の死にいつまでも囚われて欲しくないと。


 渚のことは忘れない。

 渚のことが心から好きだったという気持ちも忘れない……忘れてたまるものか。


「──輩? せぇーんぱい?」


「ん……ああ、悪い。考え事してた」


「もう……デート中なんですよ? 私のことだけ、考えてくださいよ……」


 瑠衣が不満げにぷくぅと頬を膨らませて、上目遣いでその栗色の瞳を向けてくる。


 ────そう、俺は前を向いて生きていく。


 いつまでも渚のことに囚われていては、死んでから渚に会わせる顔がない。

 そして何より、それが渚の願いなのだから────


「わかったよ。ほれ、行くぞ?」


 俺は瑠衣の手を取って、再び────

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俺の初恋の君は死んだ~死んでしまったはずの初恋相手が、幽霊になって俺の前に現れました~ 水瓶シロン @Ryokusen

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