第4話 それぞれの想い

 いつからかは、何となくわかっている────


 私の身体のことだ……今どういう状況なのか、これからどうなっていくのかはわかる。


 そして、どうしてこうなってしまっているのかも、わかっているつもりだ。

 でも、絶対にユウキには言わない、悟らせない。


 だって、ユウキにはこの先前を向いて生きて欲しいから。


 そして、徐々にだ。

 本当に少しずつではあるが、確かに身体を動かすのがだるく感じてきはじめて、今日この日、突然のことだった。


 私の姿はユウキの目にすら映らなくなってしまった────



 □■□■□■



 瑠衣は本当に要領が良い。

 教えたことはすぐに覚えるし、応用問題も少し時間を掛ければ自分で解けるようになる。


 だから、瑠衣の同年代の友達との勉強の進度の差はグングン縮まっていき、ついこの間追い付いた。

 もう、俺が教える必要もなくなったというわけだ。


 少し寂しいような気もするが、別に会えなくなるわけではない。

 結構仲良くなったし、これからも家に遊びに来たりもするだろう。


 と、俺はそんなことを考えながら学校の帰り道を歩いていた。

 そして、家に着いたのだが────


「ん、瑠衣? どうしたんだ俺ん家の前で?」


「あ、先輩……!」


 もう冬だ。

 どれくらいの間こうしていたのかはわからないが、マフラーの端から窺える瑠衣の耳が冷えて赤くなっており、微かに顔も紅潮しているような気がする。


「寒いだろ、中入るか?」


「い、いえ……今日はここで……」


「そうか……?」


 何だろう。

 いつもと少し様子が違う。

 妙にソワソワしているというか、なかなか切り出せない話でもあるのだろうか。


「わ、私……先輩には凄く感謝してます」


「ど、どうしたんだよ急に……?」


「見ず知らずの私を男の人達から庇ってくれました。勉強についていけてないことを相談したら、優しく私に勉強を教えてくれました……」


 本当に急にどうしたんだろうか。

 いきなりそんな風に感謝を口にされると、気恥ずかしくてたまらない。


「初めて先輩に会ったときから妙にドキドキしていて……でも、日を重ねるごとにもっと心臓がうるさくなってきて……最初はまた心臓がおかしくなっちゃったのかと思ったんですけど、そうじゃなかったみたいです──」


「瑠衣……って、お、おい……!?」


 近くに寄ってきて俺の右手を取ったかと思うと、その手を自分の左胸に持ってきたのだ。

 俺の手には、瑠衣の確かな胸の膨らみの柔らかさと弾力が伝わってくる。


「……こんなに速いのは、私の心臓がおかしいんじゃなくって、先輩のせい……なんですよ?」


「る、瑠衣……?」


 確かに、温かく柔らかい感触だけでなく、その奥で速打ちする心臓の鼓動を感じる。


 俺の身体も妙に熱くなっていく。

 多分、瑠衣の心臓の鼓動に負けず劣らず俺の鼓動も速いだろう。


 そして、一気に周囲の雑音が途絶える──そんな感覚を覚える。

 聞こえるのは瑠衣の声だけ。


「好きです、先輩────」


 そう言って瑠衣は甘く微笑む。


 一気に俺の心臓が高鳴り、顔が物凄く熱くなる。

 頭の中も真っ白になり、口から言葉が出せない。


 そして、瑠衣もみるみるうちに顔を真っ赤に染め上げていくと、恥ずかしさの限界に達したのか、俺の手を離すと駆け足で去っていってしまう。


 しばらく俺は瑠衣の去っていた方向を呆然と眺めていた。

 冬の凍えるような寒さなど、もはや気になどしていなかった────



 □■□■□■



「た、ただいまぁ……」


 どれくらいの時間外で立っていたのかわからないが、流石に身体が冷えた。


 顔はまだ熱いが。


「あれ……渚ぁ~?」


 渚の声がしない。

 しばらく前にもこんなことがあって、焦ってお風呂を見れば渚が入浴中という事件があった。


 しかし、まだ風呂には湯を張っていないので、渚が入浴しているということはないだろう。

 何せ、自分では物に触れられないのでお風呂も溜められない。


 となると、どこかの部屋にいるはずだが────


「いない……」


 嫌な予感──それも、これまで感じたことがないほどの。

 こめかみがピリピリと痛む。


 そして、一気に心にポッカリと穴が開いてしまったような感覚に陥る。これは前にもあった、忘れもしない感覚…………


 ────渚が死んでしまったときの感覚だ。


「ウソだろ……渚……? 渚……渚ッ!?」


 俺は何度も名前を呼び掛けながら家中走り回るが、渚の姿は見当たらない。

 ならば外か?


 一人で渚が外出したことなど今まで一度もないが、だからといって今日外出していないという証拠にはならない。


 どこだ? どこだ? どこにいる……ッ!?


 日はどんどん沈んでいき、闇がどんどん広がってくる。

 街灯の明かりが灯り始め、人の気配は徐々になくなっていく。


 寒い……もう指先の感覚は失くなっている。

 吐息も驚くほどに白いし、気温は氷点下になっているのではないだろつか。


 しかし、そんなことを気にしている場合ではない。


 見付けたら絶対に文句を言ってやる。

 絶対だからな……絶対文句を言わせろよ。


 何度も何度もそう心の中で渚に語り掛けながら────


「っ……どこにいるんだよ……!?」


 そう溢した瞬間、不意に心当たりが浮かび上がってくる。


 そうか……しかないよな?


 俺は走った。

 ひたすらに走った。


 そして────


「はぁ、はぁ、はぁ……ったく、やっぱりここだったか……」


 公園────


 ここは、小さい頃から渚といつも遊んでいた公園だ。

 そして、かなり思い入れのある公園。


『もう……遅いぞユウキ?』


 ふふっと優しく笑って渚が振り返る────

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