第2話 幽霊なキミ

 意識がふっと浮かび上がってくる────


 寝起き特有の曖昧な意識の中で、重たい目蓋をゆっくりと持ち上げる。すると、部屋の窓から差し込む朝日が眩しく俺の視界を染め上げる。


『あ、やっと起きた……』


「……何してんの?」


 晴れた視界に真っ先に映ったのは、先日の夕方再開を果たしたオバケの渚。

 いや、本人はオバケではなく幽霊だという謎のこだわりを持っているので、一応きちんと幽霊ということにしておこう。何が違うのかよくわからないが。


 ともかく、そんな渚が宙に浮かんで俺の顔を上から覗き込んでいた。

 鏡合わせみたいで不思議な感覚に陥るが、俺が鏡を覗いてもこんなとんでもビックリ美少女の顔は映らないことは、昔から痛いほど理解している。


『ドキッとした?』


「そりゃな。朝っぱらから目の前に幽霊がいてビビらない奴いないだろ?」


『もう! そういう意味じゃな~い!!』


 渚は俺の襟首を掴んで揺すっているつもりなのだろうが、残念ながら俺の身体に触れることは出来ない。

 もちろん俺も渚の幽体に触れることは叶わない。


 パパっと朝の支度をして、朝食を取り──さて、どうしよう?


 今日は土曜日。

 学校はお休みなので、特にすることはない。


 意外と優等生な俺は、宿題なんて日曜日の夜にパパっと終わらせればいいかという一周回って天才的な思考に至るので、今のうちからやっておく必要はない。


 毎日コツコツ進める人は、本当にご苦労さんだ。


『ねえねえ、デートしよ?』


「ぶっ……!? はぁ!?」


『だって、特にすることなさそうだしー。ね、良いでしょ?』


 渚が首を良い感じの角度に傾けて、甘えるような瞳を向けてくる。

 もう、男を落とすために計算され尽くされたかのような必殺技と言っても過言ではないだろう。


 効果は抜群。

 俺の口からは自然と「仕方ないな」と溢れていた。



 □■□■□■



 まあ、デートと言っても端から見れば俺が一人で歩いてるだけ。

 どうやら渚の姿は俺にしか見えていないようなのだ。


 だから────


『あ、あそこ行きたい!』


「ん……って、女性モノの洋服店じゃねぇか!?」


『ね、良いでしょ~?』


「良くないわ! どこにこんなパッとしない男子一人で女性服の店に入る勇者がいるんだよ!?」


『さぁユウキ……貴方は選ばれし勇者です! (店の)門を跨ぎ、道なる世界(店内)へと向かうのです!』


「そんな勇者は魔王に滅ぼされてしまえ!」


 と、店の前でツッコミを入れる俺に、道行く人達の怪訝な視線が集まる。


 しまった……これではオシャレな洋服店の前ではしゃぐ中二病こじらせた痛い人みたいじゃないか。

 いい歳して恥ずかしすぎるだろ。


「ほ、ほら行くぞ?」


『ああ! 待ってよ~!』


 行ける場所は限られている。

 飲食店に入っても、食べられるのは俺だけ。その姿をひたすら渚に見られているだけの羞恥プレイだ。


 ただ、特に何かをしたわけでもないのに、意外にも時間はどんどん過ぎていく。

 気が付けば夕方だ。


 俺と渚は、一休みに公園のベンチに並んで座っていた。


 目の前のブランコでは、男女の子供が楽しそうに遊んでおり、その母親が「帰るわよ~?」と声を掛けている様子があった。


『ここ、懐かしいね?』


「昔、よく二人で遊んだな」


『高校生になってもユウキに彼女がいなかったら、私がなってあげるって言ったの……覚えてる?』


「……さあ」


 もちろん覚えてる。

 そして、そう言われたとき恥ずかしくなって、誰がお前なんかと付き合うかと言い返したのもしっかりと覚えている。


『怒ってる……?』


「何で?」


『私が……別の人と付き合ったから……』


 渚の声のトーンが落ちた。

 横に視線を向けてみれば、渚は複雑な顔をして俯いてしまっている。


「……怒ってないって言ったらウソになる。でも、一番怒ってるのはっ……」


 ────アイツだ。

 渚をまったく大切に思っていなかったあのイケメンなだけのクソ野郎。


 俺のその気持ちを察したのか、渚は優しく微笑んで俺の肩にあたまを預けてきた。

 もちろん重さなどない。


『私のために怒ってくれてありがと……』


「別に……」


 俺は思わず涙が溢れそうになるのを堪えて、紛らすように立ち上がる。


「ほら、そろそろ良い子は帰る時間だから俺らも帰るぞ?」


『あはは、そうだね! ユウキはともかく私は良い子だから帰らなきゃね!』


「おい」


 はははと何気なく笑い合いながら、俺と渚は帰路についた────



 □■□■□■



 帰ったあと、俺は風呂を洗って浴槽に湯を張り、夕食の支度に取り掛かろうとしたのだが、不覚にもそこで食材を買ってくるのを忘れていたことに気が付く。


 ということで俺は渚を家に残し、近くのスーパーまで行って買い物をし、今帰ってきたところだ。


「ただいま~」


 あれ? 返事がない。


 渚のことだから『お帰り~! ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し?』くらいのからかいはしてきそうなものだが、なぜかしてこない。


 俺は部屋のあちこちを探してみるが、渚を見付けられない。

 そして、嫌な予感が過る。


 ────消えてしまった!?


 俺は焦りながら家の中ををドタドタ走り回りながら探し、そして────


「渚ッ!?」


『きゃあっ!?』


 思い切り浴室の扉を開けると、その先に渚の姿があった。


「よかった……」


 どうやら消えてはいなかったようだ。

 それにしてもどうしてこんなところでかくれんぼなんかしているのか……


『よ、よかったって……何が……?』


「え……?」


 時が止まったかのような錯覚を覚える。


 湯煙で視界が曇っておりすぐには気が付かなかったが、渚が湯に浸かっている。

 幽体といえど、流石に服を着たまま風呂に入ったりはしない。

 そういうわけで裸だ。


 こちらに驚いたような視線を向けてくる渚の瞳には涙が浮かんでおり、隠すべき場所を腕で押さえている。

 雪をも欺く白い肌は、本当に濡れているかのようにしっとりとしていてなまめかしく、腕の隙間から覗くほどよい大きさの胸の膨らみがなんとも扇情的。


「あ……いや、これは……!」


『っ……!?』


 き、気まずい! 死んでいる人の前で思うのはなんだと思うが、本当に死ぬほど気まずい!


 渚は俺に背を向けるようにする。覗く横顔は真っ赤に染まっており、実に恥ずかしそうだ。


 俺はこんな状況で、血液はないだろうにどういう仕組みで赤面するのかと考える研究者ではない。

 慌てて理由を話す。


「か、帰ったらお前がいないからっ……その……消えちゃったんじゃないかと思ってっ……!」


『…………』


「け、決して覗くつもりはなかった! 本当に!」


 しばらく俺と渚の間に気まずい沈黙が流れる。

 そして────


『ユウキ……いつまで見てるの?』


「あ…………」


 渚が涙を浮かべたジト目で睨んでくる。


「ごめんなさい…………」


 俺はそっと浴室から出ていくのだった────

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