第8節

 f 収容所の役人と囚人労働


 第二十章「犬の務め」には監獄や収容所の役人たちのことが書かれている。ソルジェニーツィンは「収容所の役人がいったい善良な人間でありうるのか? 」と問いかけ、彼らには、傲慢、専横、貪欲、悪意・残忍性、好色など、性格的に共通する特徴が見られるという。そして彼はそれぞれにその実例をたくさんあげている。彼らは前世紀の農奴所有者たちと共通する面を多分にもっていた。収容所所長たちは収容所を彼らの領地と見なしており、彼らはそこからできるだけ多くの収益を得ようとするのだ。囚人たちは彼らの私物のように扱われる。まさに農奴制は収容所において復活していたのだ。役人たちによる収容所の物品、食糧品などの横領、着服もすさまじい。横領については、占領したドイツ領土から取れるだけのものを略奪し、それを封印列車に入れ、自分の収容所構内に引き入れた所長もいる。その荷降ろし作業にはもちろんゼックたちが使われた。それにしても、ソルジェニーツィンがこんな事を密かに書き付けている時にも、連中は社会において健在であり、「われわれと一緒に列車に乗ったり、(略)飛行機に乗ったりしている」というのはやりきれないことだろう。

 第二十二章「われらは建設する」では、収容所の存在価値が検討される。先ず、政治的な存在価値については、「恐怖におとしいれるために、何百万もの人びとを押し込めることのできる場所として収容所はスターリンの考えていた目的には最適」だった。社会的な存在価値としては、「収容所はあるきわめて大きな階層、つまり、無数の収容所の将校たちの私利にかなうものだった――収容所は彼らに安全な銃後での《軍事勤務》、特別配給食、給料、軍服、住居、社会的地位を提供していた。そのほか、ここでは看守たちの大軍と、収容所の望楼で居眠りをしていた大男の警備兵たちが(略)甘い汁をすっていた」。

 収容所の経済的な存在価値がこの章の主題だ。収容所にかり集められた囚人の数はテロを加える必要のある人数を上回っている。その数は政治的必要性ではなく、経済的必要性に相応していたのだ。一九三〇年からは「計画された運河建設のために慌てて収容所の人員をかき集めた」のだ。「白海運河ペロモルカナルの建設が始まったとたんに、ソロフキの囚人たちの不足が悪影響を及ぼし、三年という《五十八条組》の刑期はあまりにも短く、非経済的であるから、一挙に二つの五ヵ年計画にわたる刑期を科さなければならないことが判明したのである。」

「収容所はその従順な奴隷労働とその廉価さのために(略)有益なものだったのだ。いや、廉価のためというよりも、むしろまったく無料のためであった。」ゼックたちの労働には特別な宿舎も、衣服も、給与も必要ではない。作業のための機械や道具も不要だ。例えば、ヴォルガ運河(その規模はパナマ運河やスエズ運河に匹敵)の建設では、「深さが五メートル以上で、上の幅が八十五メートルもある運河敷が百二十八キロにわたって掘られ、そのほとんどの作業がつるはしとシャベルと手押し一輪車によって進められた」。「二十世紀の最盛期に」だ。ソルジェニーツィンはここに、「船に乗って運河を遊覧するとき、いつもその底に眠っている人びとのことを思い出してください。」という注をつけている。零下三十度の酷寒のなかで、毎日七キロの道を往復した上に、十時間の伐採作業を行う労働(一九三七年、ヴォルガ収容所)珪土の埃が濃霧のようにたちこめ、四ヶ月後には不治の珪肺症にかかって死ぬ運命の坑道へ、補強も出水防止工事もされていない坑道へ、ブレーキの付いていないリフトで送りこまれ、十二時間働かされる労働(ジェズカズガンの鉱坑)を囚人以外の誰ができるだろうか。収容所はこうして経済的に明確な存在価値を持っていたのだ。

 国家は初期から収容所の独立採算をねらっていた。一九二一年の《監禁地に関する法規》では「監禁地の維持費はなるべく囚人たちの労働でまかなうべきである」と説明され、一九二四年の矯正労働法も監禁地の独立採算の必要性を説き、一九二八年の第一回全ソ懲治活動家会議では「国家が監禁地につぎ込んだ費用を、監禁地施設網全体の努力によって国家に返還」しなければならないことが強く主張された。一九二九年から矯正労働施設のすべてが国民経済計画に組み込まれ、一九三一年からロシア共和国とウクライナ共和国の収容所と教導所のすべてが完全な独立採算制に移行することが決定された。「国家はなんとしても収容所がほしかったのだ、それも無料なやつが! 」

 収容所の維持費と収容所から上がる収入を同一にするにはどうすればよいか。一九三二年に法律学者たちは「矯正労働施設の維持費は減少しつつあり(これは信用してもよいが)、しかも自由を剥奪された人びとの収容条件は年々改善されている(? )」と「誇らしげに宣言している」。維持費は減少している。「収入をふやすことはもっと簡単である――囚人たちを引きしめればいいのだ! 」ウクライナ共和国の収容所管理局は独立採算制への移行を命じられたとき、翌年の労働生産性を前年比二四二パーセント高めることを「断固として」決定した。「つまり、どんな機械も導入しないで、一挙にその生産性を三倍半に高めるのである! 」

 しかし、どう頑張ってみても《群島》の出費を収入と同一水準に抑えることはできなかった。従って、「年若いわが労農国家(のちには成熟した全人民国家)はこの汚れた血みどろの袋をみずから背負わなければならな」かった。その原因として、これは恐らく当局側が持ち出したものだろうが、第一に囚人たちの無自覚と怠慢さ、第二にゼックたちと一緒に働いている自由雇用人のやる気のなさと盗み癖、第三に、またまた囚人たちで、彼らの「自主性の欠如」があげられている。囚人たちの「自主性の欠如」とは、囚人たちが、看守、収容所当局、警備、望楼で囲まれた収容所構内、計画生産部、保安部、ひいては収容所管理本部に至る諸々の収容所管理機構なしではやっていけないことを指す。これは当局側の言い分をソルジェニーツィンが皮肉な形に言い変えたものだろう。もう一つ、大きな原因がある。それは「《指導部》自体の自然な、無理からぬ見落とし」だ。例えば、凍土に深さ八メートルの試掘竪坑を掘るために五百人ものゼックを送り込み、竪坑を掘り終った時、ゼックの半分は死んでしまった。ところが金属の含有量が少ないことが分かり、爆破を思い止まった。ほっぽらかした竪坑に水がたまり、使えなくなった。二年後、また試掘竪坑を、しかも同じ場所に彫り始めた(シュトゥルモヴォイ金鉱ザロースシイ泉 一九三八年)。あるいは、丸太のバラ浮送計画の超過達成をもくろんだ収容所当局は、「働ける者も働けない者もとにかく全員」作業に駆りだし、その結果、浮送木材中央貯木場に二十万立方メートルもの木材が集中してしまった。冬の到来までにその木材の陸揚げが間に合わず、木材は川面に凍結してしまった。貯木場の下流には鉄道橋があり、春になって凍結した木材が動き出せば、その橋が破壊される。収容所所長は起訴されるかもしれない。冬の間にダイナマイトを川底に沈めて、凍結した木材を爆破し、その丸太を陸揚げして燃やすことにした。二百人のゼックが冷たい水の中の、全く余計な労働に動因された(ウスチ=ヴイミ収容所 一九四三年)。あるいは一九四九年から着工したサレハルド―イガルカ間の鉄道は、その鉄道で運ぶ貨物がないことが判明して中止になった。「この誤りを誰がおかしたかは言いにくいのだ。《彼自身》なのだから…」つまりスターリンだ。ソルジェニーツィンは他にも原因をあげているが、こんな浪費があれば独立採算は無理だろう。この章を読めば、囚人労働が置かれていた国家的枠組みが見えてくるのだ。


  


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