第5節
c 社会的親近分子
「社会的親近分子」とは、わかりやすく言えば犯罪者、泥棒である。《唯一の正しい教義》(マルクス=レーニン主義を指すー筆者注)では、「職業的犯罪人たちを資本主義的分子たち(つまり、技師たち、大学生たち、農業技師たち、修道女たちのこと)と同一視してはならない―後者は一貫してプロレタリアート独裁に敵対するが、前者はただ(!)政治的に不安定であるにすぎない。(職業的殺人者はただ政治的に不安定であるにすぎないというのだ! )ルンペンは財産を所有していない。したがって、彼は階級的敵対分子たちの仲間に加わることができず、喜んでプロレタリアートの仲間入りをする。」と論じられ、「収容所管理本部の公式文書の中でこの連中は社会的親近分子と名づけられている」のだ。つまり、常習犯罪者は、プロレタリアートと階級的に「親近」だとされるのだ。だから彼らを信頼し、勤労者と一致する階級的利害を説明しなければならない。彼らの優れた面を引き出し、利用すべきだ。彼らが好むものーロマンティック、功名心、スリル、を与える形で、うまく仕事をさせよう。自尊心が強いのであれば、指導的ポストに任命すべきだ。特に彼らの首領たちを。収容所のために無頼漢どもの世界でできあがったその権威を利用すべきだ。こんなことがアヴェルバッハの著書には書いてあるという。「この整然たる理論が収容所の土地に降り立ったとき、(略)最も札つきの、海千山千の無頼漢どもに《群島》の島々で、収容区で、収容地点で、無限の権力が手渡されたのである。」指導者格の盗賊たちは特権囚となり、収容区を支配し、好きなように女囚の中から自分の臨時妻を選び、個別の《
ソルジェニーツィンは無頼漢たちの気質や生活態度、習慣を詳しく述べている。その観察は鋭く的確で、どこの国でもこの種の人間の性向は共通だと思わせる。そのシニックな表現には、この連中に苦しめられた《五十八条組》の一人としての彼の強い嫌悪と憎悪が感じとれる。
盗賊(無頼漢)の心理として、ソルジェニーツィンは、⑴自分が生きて楽しみたい、ほかの奴なんかどうでもいい! ⑵いちばん強い者が正しい。⑶自分に関係がなければ、手を出すな!を挙げている。なるほどな、と思う。この心理をもっと短く表したものが《お前は今日死ね、俺は明日だ! 》だ。お前は俺の命を明日まで延ばすために、今日犠牲になれ、という意味だ。
国家財産の窃盗には、じゃがいも数個でも十年や二十年の刑を科しながら、個人財産の窃盗には数ヶ月から一年の刑しか科さない。スターリンはその法律によって盗賊どもに、「私の財産を盗むな!私有財産をぬすめ!」と教えたとソルジェニーツィンは書く。臆病な盗賊どもは、法律の擁護と徹底した警備の下にある国営商店と倉庫には向かわず、「けしかけられたところへ(略)つまり、一人歩きの人びとを略奪し、無防備な住居で盗みを働いたのであった」。「二〇年代、三〇年代、四〇年代、五〇年代!市民の頭上にふりかかっていたこの脅威を忘れた者がいるだろうか」しかも、「泥棒に入られた市民は誰でも、民警が犯人を捜そうともしなかったことを、自分の仕事の成績を悪くしないために事件に手をつけようともしなかったことを、よく承知している」。どうせ捕えても刑は六ヶ月にしかならず、労働日認定制度のもとでさらに三ヶ月減刑されるのだから、骨を折ってまで捕まえることもないと言うのが民警の気持なのだ。捕えられた匪賊どもが裁判にかけられるかどうかもわからない。検事たちは事件を「もみ消すという奇妙な方法」で《犯罪を低下させている》からだ。そして必ず実施される減刑。「証人よ、裁判での証言は慎むべきだ! ―連中のすべてが間もなく帰ってきて、証人に立った人びとに復讐するのだ! 」こうして市民たちは犯罪を目撃しても、何も見なかったふりをすることになる。
これらの他に、⑴殺人犯・匪賊・泥棒の恩赦、⑵刑事法〈正当防衛の限界に関する〉第一三九条、⑶刑事法で国民の火器および刀剣類の所持を禁じていること、⑷犯罪情報の非公開、などが「泥棒や匪賊どもの繁盛を助け」ているとソルジェニーツィンは書く。⑵は、被害者は加害者がナイフをもって飛びかかる以前に自分のナイフを抜いてはならない。また被害者は加害者に刺される以前に相手を刺してはならないという規定のようだ。赤軍兵士のアレクサンドル・ザハロフが、集会所の近くで乱暴者に襲われ、ザハロフは折畳みのペンナイフを出して、乱暴者を殺した。彼はそのことで、純粋な殺人として十年の刑を科された。こういう規定が犯罪者に対する現場における市民の対応を弱化させるのだ。⑷は、ソ連の新聞には裁判や犯罪に関する報道が全くないということ。「《進歩的理論》(マルクス・レーニン主義を指すー筆者注)によれば、犯罪は階級があるから発生する。わが国では階級がないから、犯罪もないことになり、だから新聞で犯罪のことを書いてはならないのである!」犯人の顔写真なども一切出ないので、殺人者は他の州に移って楽しく暮らせるのだ。
こうして無頼漢どもは娑婆でも監獄でも収容所でも繁盛していたのだ。それはまた「無頼漢たちの世界観が最初に《群島》を征服し、簡単にその境界線を乗り越えて(略)全ソ連邦の思想市場全体を席巻して」しまうことでもあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます