第4節
b 忠誠派の人びとと特権囚
「忠誠派」とは正統派の共産党員たちのことで、逮捕される前は検事や判事、収容所管理者など、高い地位を占めていた人びとのことである。彼らには一九三七・三八年の粛清によって収容所送りになった者が殆どだった。彼らは収容所においても特権囚として、一般作業からは除外されていた。
特権囚には収容所構内のそれと、作業現場でのそれとがある。収容所構内の特権囚とは収容所の維持作業に携わる囚人で、靴工、裁縫師、料理人、パン切り工、倉庫番、医師、床屋、風呂番、作業手配係、簿記係、文化教育部の教育係などである。彼らは作業現場に行く必要がなく、厳しい扱いは少ないし、寒さに耐え忍ぶこともなく、労力もそれほど消費せず、労働日も短い。「彼の仕事場は温かいところか、あるいはいつでも暖をとれるところである。このほか彼の仕事は作業班でするものではなく、職人として個人的にするものであるから、せきたてられるのは仲間からではなく、当局の者からだけである。ところが、彼はしばしばその当局の者の個人的な注文で仕事をするから、せきたてられる代りにかえって施し物を受け取ったり、大目に見てもらったり、誰よりも先に衣服や靴をもらい受ける許可を得たりするのである。」また、「収容所ではこの構内特権囚たちの徒党が強ければ強いほど、所長はそれをいっそう頼りにして、自分はわずらわしい管理の仕事からできるだけ身を引くのだ。新たに到着するすべての人びとと、護送に出されるすべての人びとの運命、また一般の働き手たちの運命は、この特権囚たちによって決定される」と説明される。作業現場の特権囚には、技師、技手、現場監督、職長、ノルマ算定者などがある。彼らも肉体労働を免れている。
収容所を生きて出てきた人たちの中では特権囚の割合は極めて高い。《五十八条組》で生き残った長期受刑者のたちの十分の九までが特権囚だという。ソルジェニーツィンは特権囚ではなかった。彼が生き残れたのは、大学理学部数学科を出て、数学の教師だったという経歴が幸いして、囚人に科学技術の開発をさせる特殊研究所(『煉獄のなかで』の舞台)に入れられ、刑期の半分をそこで過ごせたからだ。そこは一般の収容所に比べれば「
忠誠派の囚人たちは、収容所当局に尊敬と友誼を示し、「われわれはあなたがたと同じ者であり、同類である」と当局者に説明し、「われわれをなんとか温かく扱ってほしい」と頼みこむ態度をとった。彼らが逮捕されたのは、何かの間違い、あるいは外国の諜報機関の仕業、または内務人民委員部にもぐりこんだ「害虫」の仕業であるとして、ソビエト政権を批判することはなかった。彼らの願いは釈放されて元の地位に復帰することだけだった。彼らをあたかも政治犯であるかのように言う論調に対して、ソルジェニーツィンは政治犯の基準を示して反論し、否認する。その基準は「何のためにぶちこまれているのかを承知していて、自分の信念を曲げない人びと」である。忠誠派の人びとは「何のためにぶちこまれているのかは知らなかった!」のだ。彼の基準をアンナ・スクリプニコワという信念を貫いて五つの刑期を務め上げた女囚が立てた基準に変えてもいいという。それは「政治犯とは、それを棄てることによって自由を獲得できるような信念をもっている人びとのことである。そのような信念をもっていない者は、政治的ならず者である」というものだ。忠誠派の人びとには棄てるようにと強制されている信念がないのだ。だから前項で述べたあわれな裁縫師や女店員や集会所の守衛など、わけもわからずぶちこまれた犠牲者たちと同類になるのだ。
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