第3節


 2 第三部の内容から

 

 第三部には前書きがある。「この第三部で取り扱われるべきことは、とてもその全貌を見とおせるものではない。その野蛮きわまる意味を理解し把握するためには、絶滅を目的として考え出された収容所グラーグで、特権がなくてはとうてい一つの刑期も務めあげられぬ収容所で、たくさんの人生を生き抜かなければならないからである。したがって、より深く身を入れて、より多くのものを味わった人びとは、すでに墓の中に眠っていて、何一つ語れない。これらの収容所に関する最も重要な部分は、もはや誰一人いつになっても語ってはくれないだろう。さらに、その歴史と真実のすべてを明らかにする仕事は、たった独りの筆には不可能である。結局のところ、私の力でできたのは覗き穴から見た《群島》の一部の記述であって、塔の上から眺めたその全貌ではない。」この部は全二十二章、六〇〇ページに及ぶ。しかし、それは「覗き穴から見た《群島》の一部の記述」であり、「最も重要な部分」は語られていないのだ。我々はこの言葉を記憶すべきだろう。

 第三部は「絶滅=労働収容所」と題されている。収容所は正式には「矯正労働収容所」と名付けられているが、刑法第五十八条によってぶちこまれた囚人は「矯正」の対象になっていないことをソルジェニーツィンはヴィシンスキー(粛清裁判における主席検事)やアヴェルバッハ(法律学者)の文献を検討して確認した。《五十八条組》は「絶滅」の対象となっているということでこの題名とした。それは彼が「自分の肌で感じとった」ことでもあった。


  a 《五十八条組》


 第六章「ファシストどもが運ばれてきた!」にはソルジェニーツィンがルビャンカ監獄からノーヴィ・エルサリム収容所へ移され、収容所生活を始めた頃のことが書かれている。ここで『群島』の構成について少し触れると、第一部の第一章は「逮捕」という題名で、彼自身の逮捕時の体験を回想しながら、「逮捕」の様々な形態が述べられている。その後には「審理」(第三章)、「初監房」(第五章)と並ぶ。第三巻に入って、第六部の第六章は「刑期を終えて」、第七章は「娑婆へ出た囚人たち」という題名になっている。つまり、自分の体験を織り込みながら、逮捕から出所までという時間軸に沿った構成に大まかにはなっていると言えるだろう。話を戻して、「ファシストども」とは刑法第五十八条によって逮捕された囚人たち、すなわち《五十八条組》に対する仇名だ。以前は「反革」と呼ばれていたが、独ソ戦が始まると無頼漢ども(後述)が使いはじめ、当局も積極的に賛成した呼称だった。

 刑法第五十八条の内容は、第一項、祖国に対する裏切り、第二項、共和国連邦からの強制的離脱、第三項、ソ連邦と戦争状態にある国を助ける行為、第四項、国際ブルジョアジーに対する援助、第五項、ソ連邦に宣戦布告するように外国を説得すること、第六項、スパイ行為、第七項、工業、運輸、商業、金融、協同組合の破壊、第八項、テロ、第九項、爆破あるいは放火による破壊または破損、第十項、ソビエト政権の顚覆、破壊、あるいは弱化の呼びかけを含む宣伝または扇動、第十一項、組織的行為、第十二項、以上列挙された行為を当局に通報しないこと、などの十四項目からなっていた。これらはいずれも拡大解釈して適用された。例えば、第六項のスパイ行為は、その容疑、それどころか、容疑に通ずる関係にまで拡大された。あなたの知り合いの知り合いが、外国の外交官も利用する洋裁店で服を作っていれば、あなたはスパイだ、というわけだ。第八項のテロは、下からのテロの禁圧であって、これも拡大解釈され、例えば、夫が妻の愛人を殺した場合、その愛人が党員でなければ普通の殺人事件として処理されるが、党員である場合は党に対するテロということになり、この条項を適用され、「人民の敵」となってしまうという具合だった。第十一項はソルジェニーツィン自身に適用されたもので、友人との文通のなかでスターリンを批判したことは、二人がそういう思想を交換しあっていたことであり、それは組織の萌芽、すなわち組織と解釈されたのだった。

《五十八条組》はいわゆる政治犯に該当するのだが、ソ連では政治犯の存在は認められず、専ら刑事犯として処置されている。帝政時代の牢獄では政治犯には特典があったが、ソビエト政権下では「反革」「人民の敵」として、他の罪科の囚人たちより苛酷な扱いを受けることになる。

 第五十八条が適用された驚くべき例をいくつか紹介しよう。ある裁縫師が針仕事をやめて、針を壁に貼ってある新聞にとめたところ、紙面に載っていたカガノヴィチ(党政治局員)の顔の目に当り、それを客が目撃して、テロの項目で十年の刑となった。ある女店員が入荷商品を受け取ったが、適当な紙がなく、新聞紙に個数を書きとめた。石鹸の個数を書き込んだ数字が紙面のスターリンの額に当った。これで十年の刑。ある集会所の守衛がスターリンの胸像を運ぶのに、首に革帯をかけたら、テロで十年の刑。聾唖者の大工が、仕事をしている間、レーニンの胸像に上着と帽子をかけていたら、十年の刑、等々。「第五十八条で罰することができないような過失とか、意図とか、活動とか、不活動とかは天が下にはひとつもない」とソルジェニーツィンは書いているが、これらの例はいかにこの条項が猛威を振るったかを示している。こうして罪のない多くの人びとが「政治犯の代りに」収容所に送り込まれていったのだ。

 政治犯はいなくなったが、「この世の重大な特質によって、政治犯たちがいなくなったまさにそのときに彼らが出現した」とソルジェニーツィンは書く。ソビエト時代にも真の政治犯たちはおり、帝政時代よりもその数は多く、以前の革命家たちよりずっと不屈で勇敢だったと。帝政ロシア時代の政治犯たちは社会の注目を浴びる存在だった。ハンストなどを行えば反響も大きく、要求を勝ち取ることも比較的容易だった。それで特典もあったのだが、ソビエト時代にはハンストを行う囚人は隔離され、その闘いは他の囚人にも知らされず、その効力を著しく失った。おまけにハンストを行う者には刑期の延長とか、もっと条件の厳しい他の監獄への移送などの圧迫が加えられた。ソビエト政権の囚人管理は帝政に比してはるかに冷厳だった。しかし、その困難な状況の中でも、死に至るまで自分の信念を曲げなかった人びとはおり、彼らをソルジェニーツィンは「政治犯」として書き記している。彼が挙げるのは先ず信仰の故にぶちこまれたキリスト教徒。その数は百万人にも及ぶ。プレオブラジェンスキー主教、ヴォイノ=ヤセネツキー大主教の事例が書かれている。それから「階級的敵性分子」である技師のなかでは銃殺されたパリチンスキーの事例も。


  

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