第2節
『群島』は執筆を終えてから五年間秘匿されていた。「私は胸に何か重苦しいものを感じながら、数年の間、すでに完成したこの書物の出版を思いとどまってきた。それはまだ生きている人たちに対する義務の方が、死んでしまった人たちに対する義務よりも重かったからである。」とソルジェニーツィンは冒頭の文章の中で述べている。国家保安委員会は躍起になってソルジェニーツィンの首にかかった縄を絞めようとしていた。『群島』の所在が明らかになればそれは押収され、ソルジェニーツィンは再び逮捕され、今度は死刑判決が下されるかもしれない。彼に協力した人びと、『群島』に実名が出ている人びとにも弾圧は及ぶことになる。執筆はもちろん全面的に禁止される。ソルジェニーツィンには書かなければならないライフワークがあった。彼が中学卒業時に最初の構想を得たといわれる小説だ。彼は『R17』という符牒をその作品に付しているが、正式名称は『赤い車輪』だ。一九一七年のボリシェヴィキ革命の見直しを意図したとされる歴史小説だ。『群島』を発表すれば彼はその小説を書けなくなる可能性が高い。彼は残された時間を最大限に活用してその執筆を続けながら、『煉獄のなかで』や『ガン病棟』の国内での発表許可を求めて、ソ連作家同盟や共産党中央、国家機関への抗議や要請を行い、権力との綱引きを続ける。一九七○年のノーベル賞受賞は彼の立場を強める。権力も彼に対して暴力的な手出しがしにくくなる。ソルジェニーツィンは果敢に闘う。外国新聞のインタビューを利用して自己の立場や主張を表明し、また地下出版(サミズダート)に『ガン病棟』を流し、『煉獄のなかで』を西側で発表する。そうするなかで『群島』の発表の機会をも窺っているのだ。しかし、一九七三年八月、遂に『群島』の原稿は国家保安委員会に押収される。国家保安委員会は『群島』のタイプ刷り原稿を保管していた協力者、エリザヴェータ・ヴォロニャンスカヤを五昼夜ぶっ通しで訊問し、白状させたのだ。家に帰されたヴォロニャンスカヤは自殺した。
もう猶予はならなかった。もし『群島』が闇に葬られるようなことになれば、ソルジェニーツィンは犠牲になった囚人たちに対する義務を果せず、彼自身の人生もその意義の大半を失うのだ。「国家保安委員会がこの書物を押収してしまった今となっては、ただちにこの本の出版にふみきるほかに残された道はないのである。」(前出、冒頭の文章)ソルジェニーツィンは印刷の開始を指示する。『群島』の発表を恐れる当局はソルジェニーツィンに「二十年間何も発表しなければ『ガン病棟』を出版する」という取引を提起してくる。ソルジェニーツィンははぐらかして時間を稼ぐ。一九七三年十二月、『群島』第一巻がパリで刊行される。これを機にソルジェニーツィンを「裏切り者」とする大キャンペーンがソ連国内で展開される。一九七四年二月、ソルジェニーツィンは逮捕され、「国家反逆罪」で国外追放となった。
この書物の劈頭にある「献辞」には「いのち足らずして/この真実を語れざりし/すべての人びとに―/わが見聞のいたらざるを/わが記憶のいたらざるを/わが洞察のいたらざるを/赦されんことを」とある。ここに『群島』を書き残したソルジェニーツィンの魂が刻印されている。彼は収容所の非人間的状況下での強制労働によって死んでいった
それにしてもこのような書物が専ら一人の人間の努力によって完成されたということは驚くべきことだ。しかも強大な国家権力と闘いながら。ソ連の崩壊によってこの闘いはソルジェニーツィンの勝利に終ったという感が深い。
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