ソルジェニーツィン『収容所群島』を読む―第二巻(三・四部)を中心に―

坂本梧朗

第1節

   1 初めに


 ソルジェニーツィンの『収容所群島 ―1918~1956 文学的考察―』(新潮社 一九七四年刊 木村浩訳 以下、『群島』と略記)を読み始めてから半年程になるだろうか。全三巻、訳稿にして四百字詰原稿用紙五千枚を超える大作だ。それを、主として通勤の往き帰りの電車の中で読んできた。まだ読了していないが、第二巻まで読み終わった。翻訳者の木村浩氏が「あとがき」で、「端的に言って第二巻(三・四部)は『収容所群島』全三巻のなかでいわば中心的な部分を占める」「『収容所群島』の核ともいうべき〈収容所の〉(傍点は木村氏―筆者注)が克明に、まさに〈文学的考察〉に値する形で、えぐりだされている」と書いているが、私も第二巻の内容には考えさせられるもの、啓発や示唆を受けるものが多くあるように思った。それで、第三巻は未読であるが、第二巻までを読了した時点で、中間的なまとめをしておこうと思う。

 ソルジェニーツィンと収容所との関連について述べると、彼は一九四五年、砲兵大尉として対独戦の前線にいた時に、友人への手紙のなかでスターリンを批判したことを理由に逮捕され、八年の刑期を宣告される。そして監獄から収容所に送られ、強制労働をさせられるのだ。八年の収容所生活を終えると永久流刑となり、一九五六年のフルシチョフのスターリン批判によって無罪となるまで流刑生活を送る。一九五七に正式に名誉回復される。

 執筆活動は一九五四年から密かに始めていた。長編『煉獄のなかで』、『マトリョーナの家』などの諸短編を執筆。『イワン・デニーソヴィチの一日』はフルシチョフの許可によって発表されるが、『煉獄のなかで』『ガン病棟』などは発表が終に許可されない。フルシチョフのスターリン批判以後も検閲体制は持続しており、フルシチョフの失脚後はスターリン時代への逆戻りが顕著となる。検閲廃止を求めるソルジェニーツィンのソ連国家を相手にしての闘いは厳しさを加える。

『群島』は一九五八年四月から書き始められ、一応の完成をみたのが一九六七年二月、それに手を加えて、最終稿を書き上げたのは一九六八年五月である。十年の歳月を費やしたことになる。

『群島』の内容と成り立ちについては、「献辞」に続く冒頭の文章で、ソルジェニーツィンは「この書物には虚構の人物も虚構の出来事も描かれていない。人物も場所もすべて実名で語られている。イニシアルを使った場合は、個人的な配慮によるものである。まったく名前が示されていない場合は、人間の記憶がそれらの名前を憶えておくことができなかったからにすぎない。だが、すべてはここに描かれているとおりであった。」と書き、またそれに続く文章で、「この書物を創るのはひとりの人間の手にあまることであった。私が自分の目と耳を働かせ、自分の皮膚と記憶に焼きつけて、《群島》から持ち出せるだけ持ち出したもののほかに、総計二二七人に及ぶ人々が、その物語や回想や手紙の形で、この書物の資料となるものを、提供してくれたのである。私はそれらの人びとに対して、ここで私個人の謝意を表することはしない。それはこの書物が迫害され責め殺されたすべての人びとのためにわれわれが一致協力してうち建てた鎮魂の碑であるからである。」と書いている。さらに「あとがき」では、「この書物は私一人で書くのではなく、事情に通じている人びとにそれぞれの章を割り当て、そのあと編集会議で互いに助言しあい、全体を統一すべきであった。しかしながら(略)依頼した人びとはその仕事を引き受けなかった代りに、口頭あるいは書面による話を寄せてきて、私にその取扱いを一任した(略)。いや、実際には、大がかりなスタッフが必要だったのである。(略)新聞やラジオに呼びかけて(「名乗り出て下さい!」)、公開の文通をしなければならなかったのである。しかしながら、私にはそんなことはできなかったばかりか、自分の構想も、手紙類も、資料も隠匿し、分散して保管し、いっさいの仕事を秘密裡に進めなければならなかった。(略)私はこの書物の執筆を何度も始めては、何度も放棄した。このようなものを私一人で書いていいのか、と私は長いこと迷った。私の力量でははたしてどんなものになるか?とも考えた。しかしながら、集めた資料のほかに、私のところへ全国の多くの囚人たちから手紙が殺到したとき、私はそのすべが自分に任されたからには、自分はなんとしてもこの仕事をなしとげなければならないと悟ったのである。」と述べている。

『群島』は収容所ラーゲリの記録である。収容所はソ連の東端から西端、北端から南端まで全土を覆うように設けられていた。ソ連が「収容所群島」に覆われた国であることは、国外に対してはもちろん、国内においても秘密だった。それはソ連という国の恥部であるとともにこの国の本質を示すものでもあった。『煉獄のなかで』や『ガン病棟』などの発表さえ許されない国で、そのものずばり収容所のドキュメントである『群島』の執筆は極秘裡に行うほかはなかった。国家保安委員会に察知されないように、ソルジェニーツィンは「この仕事にかかっているときも、まったく別な仕事をしているかのように振舞わなければならなかった」(「あとがき」)のだ。

 一九六五年九月、国家保安委員会はソルジェニーツィンを急襲して『煉獄のなかで』その他の原稿を押収する。その時以来、最も危険な『群島』の原稿と資料は押収を避けるために様々な場所に分散された。ソルジェニーツィンはその各場所を回って執筆を続けたのだ。だから「この書物は全体として、つまりそのすべての部がそろった形では、一つの机の上に乗っていたことはなかったのである! (略)この落ち着きのなさと推敲不足こそが、わが国の迫害されている文学の特徴なのである。だから、この書物もそのようなものになってしまった。」(「あとがき」)と書いている。(傍点は原文。以下、注がなければ同様。)

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