隣にいるから

 放課後。俺は◯ーグルマップを頼りに、藍白あいじろが住んでいるという『天竺荘』周辺まで来ていた。


 スマホの画面上には、目的地まで100mと表示されている。

 

 少し先の角を曲がると、 視界の先には目的地と思われる建物がある。


 茂が言っていた通り、確かにあまり綺麗とは言い難い。


 ポストを探して、藍白の部屋番号を確認する。


 どうやら二階にあるようなので、階段を登り、『藍白』と書かれたプレートが張り付けてある部屋の前で立ち止まる。


 深呼吸をして、インターホンを鳴らす。


「……………」


 返事はない。


 しばらく待ってからもう一度鳴らしてみる。


「……………」


 いない、のか…………?


 ここまで来たのに何の成果もなく帰るのは嫌だが、だからといっていつまでもここにいるわけにもいかない。


 どうしたものかと考えていると、突然横から声をかけられた。


「あ、あの、誰ですか?」 


 その声があまりに幼かったので、少し驚く。


 反射的に右(正確には右下)を振り向くと、そこには小学生の女の子が立っていた。


 その子の髪色を見て、すぐに察しがついた。


 藍白と同じ、銀色の髪。


 藍白の妹、だろうか?


「あ、えっと、藍白さんの友達なんだけど、藍白さんが学校を休んでるから心配になって………」


 変な風に思われてないよな? できる限り優しい口調で言ったつもりだが………。


「もしかして…………やすおさんって人?」


 突然俺の名前が飛び出したので驚く。


「え………そ、そうだけど、どうして知ってるの?」


「…………お姉ちゃんが、毎日やすおさんの話をするから」


 (ぐはっ!)


 ま、まさか妹を経由してまで俺の心臓を壊そうとしてくるとは…………恐るべし。


「そ、そうなんだ」


 平静を装って答える。


「……………あの」


 そこで、ずっと下を向いていた妹さんが顔を上げて、俺にすがるような眼差しを向ける。


「やすおさん………お姉ちゃんと、付き合ってるんだよね…………?」


 ま、まさかそこまで知られているのか。


「う、うん」


 藍白の妹さん相手に誤魔化すのも変な話だと思い、素直に肯定する。


「…………じゃあ、お姉ちゃんを元気づけてあげて………」


 妹さんは深々と頭を下げる。


「ちょっ、ちょっとどういうこと? 藍白さんを元気づけるって………?」


「……………お姉ちゃん……今すごく元気がないから………私じゃお姉ちゃんを元気にさせてあげられないから……やすおさん、お願いします

…………!」


 妹さんはまたもや頭を下げる。


 尋常とは思えない様子に、頭のなかはかなりパニックになっているが、あまり俺が騒ぐと話が進まなさそうなので一旦落ち着く。


「え、えっと、まずは藍白さんが今どうしているのか知りたいんだけど………えっと、名前、教えてくれる?」


 しゃがんで、妹さんよりも低い目線になって話しかける。


「…………栞」


「栞ちゃんか。それで、栞ちゃんのお姉ちゃんって、今どこにいるか分かる?」


 栞ちゃんは泣きそうになっている目をこすりながら答えてくれる。


「………家………お姉ちゃん、家のなかにいる」


「家って、ここのこと?」


 俺が目の前の部屋を指差しながら聞くと、ゆっくり頷く。


「じゃあ、お姉ちゃんに直接話が聞きたいから、お姉ちゃんを呼んできてくれる?」


「………わかった」


 そう言うと、栞ちゃんは家のなかに入っていった。


 しばらくして家の中から出てきたのは、栞ちゃんではなく藍白だった。


「藍………弥子」


 たった二日間会っていないだけだが、ひどく懐かしく感じられる。


 藍白はなぜか制服を着ているが、髪はぼさぼさだし、疲れがはっきりと顔に出ている。


「…………康男くん」


 俺の名前を呼ぶと、藍白は突然泣き出した。


「え? み、弥子? 一体ど」


 俺の言葉を遮るように、藍白は俺を抱き締める。


「えっ、ちょっ」


 胸元で赤ん坊のように声をあげて泣く姿を見て、咄嗟に藍白の背中を優しくさする。


 かなり長い間、藍白はそのままの状態でいた。ひとしきり泣いて少し落ち着いてきた頃、話を切り出す。


「弥子。話せるならでいいから、どうしたのか教えてくれないか?」


 藍白は瞳に涙をうかべ、こくりと頷く。


「私…………思い出したの………何もかも」


 最初の言葉が、それだった。


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。


 それほどまでに、衝撃的なことだったから。


「もしかして………記憶喪失のことか?」


「…………うん」


「…………そう、だったのか」


 なんと言ったらいいのか、全く分からない。


 それでも藍白は、話を続ける。


「それで私……………恐くなって………お母さん…………お母さんが………」


 お母さんと口にした途端、声が震え出して、泣きそうになる。


「大丈夫。落ち着くまで泣いていいから」


 そう言って俺は、藍白の不安を取り除くように、抱きしめる。


 今の俺にできることは、これくらいしかない。


「お母さん……………帰って………来なかった………『行ってきます』って……言ったっきり……帰って来なかった………」


 藍白の様子から、俺には想像もできないような悲しみを抱いているのが、嫌でも分かる。


「それで私………恐くなった………大好きな人が………また私の前からいなくなっちゃうんじゃないかって…………栞と………康男くんがいなくなったら私………」


 どこにも行かないで。そう言うように、藍白の腕の力が強くなる。


 藍白の話を汲み取ると、おそらく藍白のお母さんは外出中に亡くなったんだろう。


 藍白にとって、お母さんという存在は大きなもので、だからこそ、記憶をなくすほどのショックをうけた…………。


 お母さんが亡くなってから、藍白は不安な毎日を過ごしているはずだ。他に頼れる人がいるのかもしれないが、この様子だとそうは思えない。


 毎日学校に行って、帰ってきたらすぐに晩御飯を作っているのかもしれない。バイトだってしているだろう。この前、メイド喫茶にいたのも、多分そうだ。


 聞いたことがある。メイド喫茶のバイトの給料は、他のバイトよりもほんの少しだけ高いと。


 身体的にも精神的にも、相当負荷がかかる生活を送っている………そうだとすれば、藍白の成績があまり良くないのだって納得できる。


 だから俺は、少しでも藍白の支えになりたい。


 そのために、今俺ができる最大限のことをする。


 藍白を、笑顔にする。


「大丈夫………俺はどこにも行かないから」


「…………うん」


「……栞ちゃん、俺に泣きながら頼ってきたよ。『お姉ちゃんを元気にしてください』って……

それぐらい、栞ちゃんも弥子のことを大切に思ってるんだよ」


「…………うん」


「この二日間、心配してたんだよ。学校には来ないし、メールの既読もつかないし」


「…………うん」


「本当に………心配してた……体調を崩したんじゃないか……何か事故に巻き込まれたんじゃないかって」


「…………うん」


「俺は………大好きな人の前からいなくなったりしないから」


「……………………うん」


「だから………そんなに不安にならなくても、いいんだよ」


「…………うん」


「………少しは元気出た?」


「…………うん」


「………そうか」


 それからしばらくは、抱き合った状態のままでいた。


 藍白が顔を上げた時には、涙は笑顔にかわっていた。




後書き

第16話を読んでくださりありがとうございます!

もしかすると、前回から主人公がちょっと真面目だったり、展開が早くてあまり感情移入できなかったりしたらすみません。僕の力量不足です。

突然ですが、この「メインヒロインが記憶をなくしちゃいました」は次回かその次で最終話となります。是非最後まで読んでいってください。


 




 


 


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