第29話 対応策6 仮定法を徹底実践!
この正味3年弱の間にわたって私が実践してきたことは、一言で、そのことに尽きるのではないかと思われます。
なぜかみのりんではなくみのりんパパ? のおっさんの話で始めて申し訳ないが、小説などの物語を書くということは、究極には、それが一番大事であるということが言えるはずです。
タラは北海道!
これは、「もしあの時エラーしていなかったら・・・」などという反省を口にする選手に対し、別の選手だか指導者だかが、過去に起こしたエラーなどの失敗をいまさら言ってもしょうがないということでかけていた声の一つです。
これに加えて、元大洋・阪神の長崎啓二さんは、自著で、「レバは焼肉屋」みたいなことをおっしゃっていて、私は早速、それをレパートリーに加えました。
それが、ちょうど大学生の頃でした。で、そんな頃、私が幼少期を過ごしていた養護施設に行って当時の職員の対応その他を批判していたときのこと。
今後は、そんなことのないように・・・(以下略)
と、その男性幹部職員は私に、やたら述べることが増えた。
で、これを逆読みしてみれば、こういうことになる。
これまでそのような問題のある(悪い)対応があったことは確かである。
~それに自身が主体的に関与していたことも、認める。
これで私、ふと、思ったのよね。高校時代から野球本を散々読んできた経験から、タラは北海道という言葉を何人かの野球人が使っていたことを知っていたから、無理もないところ。
コンゴはアフリカや!
相手に向ってそう言い切ったわけではないが、なるほど、これはいい表現だと我ながら、思った次第。
タラは北海道、レバは焼肉屋、コンゴはアフリカ。
この組合わせ、我ながらなかなかのものだなと思っておる次第ですけど、それはともあれ、とりあえずではなく信念をもって、ビールではなく本題に(苦笑)。
創作の基本は、「想像すること」。
まあその、イマジネーションってことになるのかな。それはそれで、間違いじゃない。そこで一番必要とされる力のうちの一つが、何といっても、これでしょう。
仮定法の徹底活用!
もし、長嶋茂雄が南海に入団していたら、~
~私には、ごめん、想像つかん(汗汗)。
もし、藤田平選手の入団が10年早かったら?
~三塁三宅、遊撃吉田、二塁鎌田に加え、一塁藤田で、超鉄壁200万ドル内野陣や‼~と思ってかなり前、2ちゃんねるに書いたら、一塁はスラッガー(藤本勝巳、遠井吾郎)の指定席で、ただでさえ当時品だの阪神でそれはちょっと・・・。で、二塁藤田にして、終盤に守備固めでその布陣にすれば、確かに言えないこともなかろうと、言われた。
もし、鶴岡一人氏が1970年に阪神監督に就任していたら、~
~川上巨人はV5で終わっていただろう(わっはっは)。
日本シリーズはロッテとやりあって、小山VS村山対決!(もちろん、阪神の勝ち~って行きたいけど、どうなったろうな~苦笑)。
吉田義男は現役もう1年で、この年で有終の美を飾って引退だったかもね。
もし、阪神が1973年にリーグ優勝していたら、~
~阪神は野村南海を倒して日本一になっていただろう(わっはっは)。
大毎オリオンズの榎本喜八選手がもしもう少し「遊び人」だったら?
~それなら、3000本以上の安打を打っていたに違いない(これは、打撃の師匠の荒川博さんもおっしゃっているよ)。
またも特製野球知識を述べまくったけど、こんな感じね。
もちろん、実生活において過去の失敗をくよくよしてもしょうがない。それこそ「タラは北海道」で、いい。とはいっても、単なる無反省では、困るがね。
しかし、ここで述べているのは、創作という仕事をしていく上で大事なことは何かということですねん。毎日野球をプレイしている世界とは、別の世界よ。
創作というのは、実在しないことをあたかもあるかのように、あったことであるかのように表現することです。
みのりん小説のマーメイド物語も、わしの傑作(!)も、そこは一緒なのよ。
その話の全体の構成から、個々のシーン、それも、登場人物の心理に至るまで、こういう態勢ならどうなったか、という仮定法の問いかけを出しては答え、答えてはまた出し、そしてそれに答えていく。
その繰返しなくして、創作などできない。
小説だけじゃない。
ノンフィクションだって、その問いかけがベースになくして、まともなものは書けるはずもなかろう。
だけどね、小説は、あくまでもフィクション。
その「仮定」をベースに、さらなる仮定を作っては組合わせ、あるいは切り離し、そして大きくまとめていく作業なのであります。
間違えても、「タラは北海道」などと言っておっては、仕事にならんのです。
ともあれ、仮定の構文を作り、それに答えてさらなる仮定を引出し、またそれに答えを出していく。
その繰返しが、物語という一つの大きな川の流れになっていくのであります。
あ、今思い出したぞ。
いつぞや、図書館で、こんな小説を見かけました。
その作品名も著者も忘れましたが、こんな内容でした。
阪神が優勝した場合と、阪急が優勝した場合。
それが、その物語のある時点からだったと思うが(定かではない)、その本(物理的な意味でね)の上下に分かれ、上が阪神、下が阪急がそれぞれ優勝したという仮定の上での物語が展開していくという、そんな塩梅でした。
もうひとつ。
それこそ、今日(2021年10月17日)放送されたプリキュアの雑多なストーリーを集めた回など、まさに、その「仮定」というものをうまく表現しているなと、感心した次第ですよ。
もともとある物語や、今現に展開しているプリキュアの人物たちにそれぞれ、もしこうであれば、という仮定のオンパレード。それで、ひとつの物語がさらに作られていく。その過程(仮定じゃないよ)を、上手く表現されていましたな。
中学・高校で英語を習っていく上で結構な難関になる文法事項のひとつが、なんと、この「仮定法」であるというのも、何だか、頷けますね。
この「仮定法」というものを「実践」的に使うのが、創作という仕事なのです。
みのりんが幼少期より「想像することが好きだった」と述べている回がありましたが、それはズバリ、状況等を「仮定」して検証していくという作業を彼女は「想像」することによって、無意識のうちにしてきた(=できるようになっていた)ということになりますね。
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