第24話 対応策4 書く「体力」づくり

 前回は、野球を引合いに出した上で、モノを書くうえで必要な体力につき、とびぬけたものは不要、とびぬけた技術なども不要という趣旨のことを述べました。

 それは確かに、そのとおりなのです。

 ですから、文章を書くというのは、基本、言葉を知っていれば誰でも書ける。

 野球評論家になってサンケイスポーツに入った広岡達朗さんが、早稲田大学の先輩になる記者に言われた言葉に反発して、「文字ぐらい書けらい」ってのもありまして、まさに、その世界。


 ただし、文章を書くという作業をきちんとこなしていくという「体力」は、必要なのです。これは、紙媒体の場合とこのようにワープロ機能を使ってパソコンなどで行う場合とでの違いはありまして、確かにそこは、この数十年来で「革命的に」変わったところではありますが、本質がそう変わったとは、私は思っておりません。もちろん、ワープロやパソコンを使うことで文字入力が速くなり、その分多く文字を打て、素早く修正を施せる。そのため全文が以前より相対的に長くなっている傾向は感じられますが、それはまあ、それ。

 これについては、「鉄道ジャーナル」という雑誌で「定点観察」してみれば一目瞭然。1970年代後半のものと、最近のものを読み比べてみればわかります。明らかに、1ページの文字数は増えております。ではその分、内容が深くなったかというのは、また別の話ですけどね。


 さて、この「文字を書く体力」というより、「文章を書いてまとまったものをつくりあげる体力」というのは、実は、誰にでも備わっていると言えば確かにそのとおりなのですが、実はこれ、それゆえに厄介なものです。特に、書くことを決心して書き始めた当初は、とくに。

 最初は、とにかく、文字数を増やしていくことができないもの。小学生の時の作文で、とにかく何か書いて埋めねば、その体験があればわかると思いますけど、同じことが、パソコンで文書作成していても起るものです。

 そこはしかし、同じような文章を打ち続けていくことで、同時並行して他の本などを読み倒していくうちに、だんだんと、自分自身の書ける「ストック」が増えて参ります。そうしていくうちに、早く、しかも正確に、ある程度まとまった文章が書けるようになるというわけ。

 それは肉体的な力もそうですけど、それよりも、その力をうまく使って文章を仕上げていくことに集中させるという「体力」というべきものを鍛えねばならんのだということでしてね。

 よくよく考えてみれば、野球でバットをもってボールを打ち返すための「体力」というものと、よく似ている気がしなくもないと思われる。

 力を入れさえすれば、強く打ち返せるという単純なものでも、どうやらないらしいですな。私は経験がないので何とも言えんが。もちろん、あの硬球を遠くへ打ち返すには、基礎体力を幼少期からさんざん鍛え倒していかないといけない。その上で、基本的な技術を身に着け、試合などの形式で実践を積んでいく。その中でしかつかない「体力」であるということが言えますね。

 それを、文章を書くという視点に置き換えてみると、やっぱり、同じようなものがあるのだということに、気付けるのではと思われる。


 さてさてここで、われらのみのりんが再び筆を執って「書く」という作業、それも、小説という分野の創作に戻っていくには、どうすればよいか。

 もちろん、これまで以上に本を読む、さまざまな経験を積む、人とのつながりを作っていくという「身体体験」を増やすことも必要。これは今回のプリキュアの子たちよりもいささか小柄でかわいらしい彼女であっても、十分できる範囲のことです。例えは何だが、私がプロ野球選手より体格面でも劣るし小柄ではあるけれども、文章を書くということになればそこらの野球選手などより早く正確に書けるようになっているのと、同じこと。そのレベルの素質が今の一之瀬みのりという女子中学生には、十二分に備わっていることは、プリキュアの各回を観ていれば明らかです。

 そしてそこから、さあ、書いていくわけだけど、最初はやっぱり、ぎこちないのは無理もない。まとまりが悪くなるのも、無理はない。

 だからこそ、小パーツだけでもいいから一つ一つ「完結させる」という訓練をしていくとよかろう。いきなり長編を仕上げてやろうとか、そんな大それたこと考えても仕方ない。

 漫画で長年にわたる名作を描き続けてきた人も、最初の頃は、短編、それも後の作品から見れば粗削りな絵とストーリーの作品を書いているものです。それはそれとして、後に商品として人目に触れることもあるわけだけど、それはそれとして、皆、嗚呼、あの作者も最初はこうだったのだなと、後の彼(彼女)と比較して分析してみるためのツールとなるわけね。


 ちなみに私、小説を書き始めて約2年ほど、ひたすら書いておりましたけど、それほど賞に応募することに血道をあげていたわけでもない。とにかく、人目に大いに触れる場所に出ることは考えていましたけどね。もちろん、賞に応募してみたことも、何度か、あります。そんなもん、取れるわけもないレベルだったと今では思うけど、そんなことは問題ではない。

 とにもかくも、書いて完成させ、出来たら次、そして次、さらに・・・。

 それに、尽きるのです。


 で、2年目の秋口頃から、毎日1つ、テーマを決めて、短編を作っていくことを2カ月近く実施しました。

 あくまでも小説形式で、その上で、テーマを決める。

 で、そのテーマに沿った話を、作っていく。

 それを30編ほど作ると、確かに、力がついているという実感さえ持てました。

 それで、そのまとまった状態のものをとある出版社に送ったら、出してみないか、ということになった次第。小説と名の付けられるシロモノを書き始めて、3年目に入った丁度その頃のことでした。

 まさに、3年目のハワイキャンプで鶴岡親分の眼に止まり、「野村が使える目途が立った」と言わせしめた時と同じ状態に、自分も慣れたなという確信が持てました。

 その後、半年後にはさらに先ほどの作品を差替えたり順序を組替えたりして、ひとつのテーマを持った小説として世に出せた、という次第。


 ただこれは、私が当時で50年近く生きてきたからできたものという要素も大きく作用しているため、みのりんが、同じペースでできるとは、限らんだろう。さらに幾分の時間も、かかるだろう。

 だが、彼女の素質は、間違いなく私よりあると思われる(またも、親馬鹿!)。

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