第23話 対応策3 身体体験の補強
みのりん小説の酷評された内容はすでに述べてきたとおりですが、何より最大の課題というのは、表題に掲げた通りのこと。
要は、「頭だけでなく、身体でも感じられる表現」が不足しているという点。
これに、尽きる。
さてここで、例えを。
これが自然科学、例えば数学の世界なら、「天才数学少年」なるものが現れることもままあるでしょ。まあ、大したものだと思う、空間図形にてこずった私としては。しかし数学には、「身体経験」が問題となることは基本的にないはずよ。それとは離れた世界だからさ。
あるいは、司法試験に合格した15歳の少年というのが話題になったこともあるのだが、これは、いわゆる「司法一次」のこと。要は、教養科目の試験。法律科目の「二次試験」ではない。その受験要件というのは、大学の教養課程を修了するのが基本で、まあもちろん、先程の一次試験の合格者も受験できないわけがない。実際それを経由して合格された人もいる。
だけど、先程の少年、その後本格的に法律を学んだかどうかはわからないが、少なくとも、二次試験に最終合格したという話は関係者間からは聞かれない。
そのことについて、元司法試験予備校講師で現在は某法科大学院の教授をされている方は、「法学を学ぶのにはある程度人生経験のいるものではないか」と、著書で指摘されております。
ちょっと考えてみてほしい。
よしんば、小学生で司法一次に合格し、中学生で司法試験に最終合格、それでもって高校生の年に司法研修をして、大学に行くかどうかの年ごろでさあ、法律家になったとしましょう。
裁判官になったとして、しっかりした判断、その人物ができると思う?
あるいは検察官になって、被疑者をきちんと起訴して法廷で仕事することはそりゃできようけど、なんか、違和感ない?
ましてや弁護士として、依頼者の代理人として、頼りになるとおもえるかい?
さてま、そういうことで、小説はさあ、先に述べた数学の例えと司法試験の例えのどちらに近いといえるでしょうか?
確かに、若いうちから読書をこなし、小説も書ける「天才文学少年」というのが生まれる余地がないとは、言わない。現に今も中学生や高校生でしっかりした小説を書かれている人はこのカクヨムその他のサイトにたくさんおいででしょう。
だけどその一方で、私より年長の50代以上、特に60歳を超えた方で小説家にデビューされているという方、結構、おられるらしいで。
それはなぜかと言えば、その人たちの豊かな「人生経験」があるからこそのこと。だからこそ、物語の一つやそこら書けるだけの力が、すでに備わっているということなのよ。そこは実は、ハンデどころか、みのりん世代の子らに対しては、圧倒的に優位に立てるアドバンテージであるということね。
それに、小説というのは、ひとつやそこら書けても、後が続かなくなっていく人は結構おられる。西村京太郎さんや松本清張さんみたいに長く書き続けて、しかもどれもがと言っていいほどの多数の作品がベストセラーになって売れるわ、映画化、ドラマ化されるわ・・・、といった人なんて、ほんのわずかでしょう。
これが野球なら、最低でも9人必要。それでもようやく1チーム。それなりの規模で「興行」していこうと思えば、今のプロ野球ぐらいの人数は必要なわけよ。それに加えて裏方さんや営業、経理、その他必要な人材もいる。まあ、後ろのほうは野球経験者じゃなくてもできる余地のある仕事(というか、そんなもの必要ないか)が増えているけど、野球ができて試合に出られる人だけでも、今の12球団で1軍だけに絞っても、数百人規模の人がいないといけない。さらに言えば、元選手で評論をする人とか、その人たちが活躍できる報道の世界まで広げていけば、もう数千人の世界。
そこに来て、小説家ってどうかと言えば、ひとりでもできるわけ。野球なら一人ではどう見ても無理だろうけど、小説家はそうじゃない。むしろ、人がいては仕事にならんことだってままあるわい。野球は、ひとりでは試合どころか、ホームランも打てないし三振もとれないよ(ゲームの話は、知らん~苦笑)。
それに、小説家には身体的には特別な能力は必要ない。野球がそうでないことは言うまでもないけど、そういう能力や技術は、必要ないのよ。もちろん、それを活かした小説というのは、あるよ。だけど、必須のものではない。そんな者よりむしろ、文献にあたって行かないと書けないもののほうが多いはずじゃ。
とはいえ、「経験値」がないと、物事を知らないと、その肝心かなめの「表現」ができない、よしんばできたとしても、それが不十分な、あるいは「とんちんかん」なシロモノに成り下がったものが出てくるのが、オチというもの。
それこそ、「暗号」でも解読する気で読めと言わんばかりのシロモノの出来上がりってわけね。ちなみに「アンゴー(阿呆、の意の岡山弁)」ってことばがあるけど、これが何かの言い合いであれば、まだ洒落にもなる。一般にそんな言い合いはひと迷惑なものだけど、ことと次第では、笑いさえもたらす場合もなくはなかろう。
その「アンゴー」ってことば、なんとなくでも、意味は分かるでしょ。
でもさ、こちら文章の形態をとって書かれた「アンゴー」じゃあ、洒落の体裁にはなっているけど、洒落にはならんがな。単なる言い合い以上に、人への迷惑は神代の代から末代に至るまでの、世にも大迷惑ってことよ。
さっき「迷惑は甚大」って書こうとしたら、「神代」と出たので、少し洒落にして残してみた。まあこれなら、洒落で済まないこともなかろう。駄文の上塗り感はあるけど(苦笑)。
だらだらと駄文を述べてきましたが、さあ、どう?
みのりんはなんだかんだ言っても、まだまだ、かわいらしい女子中学生です。
これからの経験一つ一つが、後の大文豪一之瀬みのりを形作っていくのです。
もちろん、仮に彼女が小説を書く世界とは違うところに行ったとしても、小説を一篇仕上げた事実も、今こうしてトロピカる部という場所の内外で得た経験も、すべてが、彼女にとっての糧となって、世に有益な社会人になってくれることは、間違いないと、最後は、親馬鹿で締めくくりです。
というわけで、さらにさまざまな角度から、みのりん小説のその背景を分析してまいる所存であります。
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