第18話 課題8 まずは、短編を完結させる力

 みのりん小説の一番の課題は、現段階で実は、既に達成できているのよね。確かに先輩とやらに内容を酷評されたか知らないが、まあ、されてるねんけど、そんなことが問題ではない。


 小説という名のつけ得るジャンルの文章を書くにあたって必要なことは、何といっても、ひとつの物語を完結させる力なのです。


 さて、その視点に立って分析してみましょう。

 みのりんは、既に「マーメイド物語」という短編小説を完成させ、人に見せるというところまで完璧に進んでおるのですぞ。

 それも、中1の13歳になるかならんかの時点で!

 とまあ、こんなこと言い出したら、間違いなく親バカ以外の何物でもないから、このあたりで、やめておこう。

 でも、今述べたことは、厳然たる事実である。

 事実は重いぞ! そして、決して消えないのであるぞ!

 その事実に基づき、次の適切かつ適正な行為に進んでいくことが、小説家としてだけでなく、人として生きていく上で最も肝要なことである。


 さて、このところテーマにしているお話をもう少し。

 かの大文豪、松本清張氏の経歴を、昨日WIKIPEDIAでざあっと何度か読んでみました。氏が本格的に小説執筆に入ったのは40代。点と線なんて、まさに50歳に差し掛かろうかという頃に完成しておるのです。

 もっとも、若い頃から短編小説らしきものを書いていたような形跡はあるようですけどね。まあその、彼はいいところの家のお坊ちゃんではなかったわけで、高等小学校を出てすぐに働きに出ていたような人。職を転々としていく中で、書を読み、文学に目覚め、そして表現者となって行ったのです。

 実際は広島市で生まれたようですが、出生届は福岡県の小倉、現在の北九州市で出されています。東京に出たのは、40歳を過ぎて。本格的に小説家として一本立ちしたのは、50歳を過ぎて。外国に出たのも、50代半ばというわけ。

 それまでの読書と経験が、一気にこの頃に爆発的に花開いた感がありますね。


 さて、ここで問題にするのは、松本清張氏の幼少期から青年期にかけての苦節物語、まあその、お涙頂戴のお話などではありません。

 彼が最初、世に出るためにということばかりでもなかろうけど、書いていたものは何かといえば・・・、

 やっぱり、小説、それも、短編。

 そこから、さらに長編へと進み、さらにはノンフィクションにも創作の場を広げ、作家としてさまざまな社会問題にも取組まれた。


 彼がもし大学出の、そうでなくても旧制中学で出もいいから、新聞記者であったなら、ましてや出版社の編集担当者なら、小説を皮切りに文筆活動に入っていく、ということはまずなかったでしょう。

 レイルウェイライターと自らを銘打って鉄道紀行文を多く書かれた種村直樹氏は、京都大学法学部出身の元毎日新聞記者。同時期、「時刻表二万キロ」という紀行文を出して本格的に作家活動に入った宮脇俊三氏は、元中央公論編集長で、小説家たちとも親交のあった人だが、この方に至っては、元陸軍大佐で衆議院議員もされていた宮脇長吉氏の末っ子(!)。戦時中に「不急不要の汽車旅」とやらをされた記録も残されておりまっせ。終戦の玉音放送を今泉線の列車で聞かれたぐらいよ。


 幸か不幸か、松本清張氏は種村氏や宮脇氏のような恵まれた環境ではなかった。それゆえ、作家デビューに時間がかかった側面もある。それだけでなく、文章を「書く」という所業に入るまでの葛藤や、それ以前の「読む」と「書く」のバランスをうまくとって書いていくというレベルに達するまでには、相当な時間、それもかなり密度の濃い時間を体験されていると思われる。

 そして何より、そんな松本清張氏が最初に世に出るきっかけとなったジャンルはやはり、「短編小説」だった。

 そのことに着目しないわけにはいかない。


 短編であれ長編であれ、小説は小説。

 本来起こった事実に立脚する必要は薄い、というより、そこから離れたところでかけるのが、小説の本質。

 それゆえに、参入障壁が低いのですよ。

 そしてその短編をきちんとまとめる力ができてくれば、さらに中編、長編へと、ここはあくまでも分量の問題だけれども、どんどん長いものもまとめていけるようになるわけですな。

 だからと言って、短編が長編に比べて楽なわけでは、決してないのだけど。


 というわけで、本題に戻る。

 すでにわしの娘(=隠し子)のみのりんは、小説を一つ書き上げることが達成できているのです。

 そして、いくら先輩が「酷評」したとはいえども、その小説を「活字」にしてもらって、ちゃんとあおぞら中学校の「会誌」に掲載してもらっているわけですよ。

 その事実は、もはや消えない。消せない。また、消す必要もないのです。


 いやしくも表現していこうと思うなら、さらに短編小説をどんどん書いていくことなのです。ボツになっても、人に見せることなく終わっても構わん。できれば、人に見せて、読んでいただくことが大事です。

 私も、2年間はそんな感じでした。

 一応、何かの賞に応募しはしたけど、何も連絡ないから、まあ、そんなものはこちらもいちいち相手にせず、どんどん、書くことにして、書いてきました。

 一つだけ、趣向を変えてノンフィクションも書いたけどね、賞にも出したけど、箸にも棒にもかかっとらんみたいじゃな。

 そんなことは、どうでもええわ。


 で、そうこうしているうちに、なぜか、私の駄作を本にしないかという話になって、今、2冊、出てるねん。

 これどちらも、小説ね。それも、シリーズものの。


 みのりんにわしがアドバイスするなら、こうじゃな。

 今は無理に、書くことはしなくてもよい。

 だが、ある時期が来たら、また書くことに目を向けてほしい。

 必ず、前作を上回る作品が書けるはずだ。

 ~ただし、予想外に早く世にデビューしてしまうと、後が続かなくなる可能性もあるからね。まあ、それはまた、いずれ別の話でね。

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